四章 龍神のつがい /四 龍神のつがい【2】


* * *



 それからの日々は、とにかく慌ただしかった。



 まずは屋敷の修繕。

 臣下たちが総出で片付けに入り、建築を専門としている者たちに修繕を依頼し、その間はみんな城で過ごした。

 城も修繕が必要だったが、屋敷ほどではなく、敷地も部屋も充分にある。

 屋敷にいた臣下が少しの間とどまっても問題はなく、さらに凜花はそのまま城に移り住むことになった。



 凜花自身、屋敷がとても気に入っていた。

 せっかく仲良くなれた料理係たちとは会う機会が減り、臣下たちともなかなか話せない上、お気に入りだった庭にも行けなくなるかもしれない。

 そんなことを考えていたが、聖は『好きなときに屋敷にも行っていい』と言ってくれたため、不安は一気に吹き飛んだ。



 城での生活は、屋敷にいたときから一変した。

 彼と凜花がつがいの契りを交わしたことが、瞬く間に広まったためである。

 火焔の襲撃でほんのいっとき不安に包まれた天界だったが、龍神である聖が契りを交わしたとなれば一大事。

 祝言は少し先になるため、近日中に天界を上げての祭りが行われるのだとか。



 城には、なんとか大臣だとか、どこぞの偉い人だとか……よくわからない年老いた者だとかが立て続けに訪れ、『一言お祝いを』とふたりへの謁見を希望した。

 そのため、凜花は聖と共に朝から晩まで対応に追われたのだ。



 慣れない環境下で初対面の人たちと挨拶をするのは、凜花にとっては不安と緊張の連続だった。

 弱気になることはなかったが、それでもそう簡単に慣れるものではない。

 ときにはオドオドしてしまい、彼のように堂々と振る舞うことはできなかった。



 ただ、聖は常に凜花を気遣ってくれた。

 なにより、祝福はふたりにかけられるおかげで、ずっと彼と一緒にいられた。

 少し前まではあまり会えていなかったこともあって、その喜びは不安や緊張を凌ぐほど大きかった。



 凜花にとっての原動力である聖の存在が、凜花に笑顔を絶やさせなかった。

 しかも、凜花は自分が人間ということで不満を抱く者が現れるのも覚悟していたのに、意外にもみんな好意的だった。



 龍のつがいの契りは、一度交わしてしまえばそう簡単には消せない。

 多少の不満がある者であっても、聖が選んだ相手が凜花ならふたりを祝福する方がいいと踏んだのだろう。

 もっとも、反対意見や反乱分子がいたとしても、彼が許すはずはないのだけれど。




 お祝いラッシュが落ち着いた頃、紅蘭がやってきた。

 彼女とは、火焔のことで責められた日以来ずっと会っていなかったため、凜花の中にはいささか気まずさがあった。



「あんた、本当に聖とつがいの契りを交わしたのね」



 ところが、紅蘭の方は言い方こそきついものの、以前ほどの冷たさはなかった。



「はい」


「そう」



 彼女は祝福の言葉は口にしなかったが、かといって凜花に突っかかる気もないようだった。



「火焔からみんなを庇ったんですって?」


「え? い、いえ……私はそんな……」



 確かに、菊丸を返してもらうため、自分の身を差し出した。

 しかし、結果的には火焔の炎に包まれただけで、なにもできなかった。

 聖が来てくれなければ、あのままどうすることもできなかっただろう。



 そんな気持ちから、凜花は戸惑いがちにかぶりを振ったけれど……。


「龍相手にやるじゃない」


 紅蘭はつっけんどんに言い、微かに笑みを見せた。



「紅蘭さん……」


「……悪かったわ。あんたのこと、気に入らなかったのもあるけど、あんたなんかに聖のつがいが務まるはずがないって思っていたの」


「はい」


「でも、今は……ちょっとだけ、そうでもないのかなって思うわ。言っておくけど、本当にほんのちょっとだけだから!」



 プライドが高いであろう彼女にとって、それは全力の謝罪だったのかもしれない。

 大人に見えていた紅蘭が可愛く思えて、凜花はつい笑ってしまった。



「ちょっと、笑わないでよ」


「紅蘭こそ、それで謝っているつもりか?」


「聖に関係ないでしょ。これは女同士の話なのよ」



 黙って聞いていた聖が見兼ねて口を挟んでも、彼女はフンッと彼から顔を逸らす。



「紅蘭さん」


「なによ」


「私は、凜さんのようにはなれないと思います。私は私だし、魂がどうであっても凜さんの真似をしようとも思わないから」


「……それで?」


「でも、いつかもし心から認めてくれたら、お友達になってください。私、ひとりも友達がいないので」


「は?」



 眉を寄せた紅蘭に、凜花は苦笑を零す。



 凜花にとっては、桜火や風子は姉のような存在で、良き相談相手。

 蘭丸と菊丸は弟みたいで、玄信は厳しい父親という感じである。

 料理係たちも臣下たちも、気安く話してくれるようにはなった。

 とはいえ、やっぱり凜花が聖のつがいである以上、彼らにとっては一線を越えることはできないのか、一定の距離は感じたままだった。



 だからこそ、凜花は欲しかったのだ。

 少しくらいきついことを言われるようであっても、対等に見てくれる相手が。

 これから天界で聖のつがいとして生きていく凜花には、きっと必要な存在だろう。



「ちょっと」


「はい」


「聖の妻になろうって奴が友達もいないなんてありえないわ。私が第一号になってあげるから、聖に恥をかかせないで」


「えっ?」



 相変わらず、口調は優しくない。



「あんた、色気もなんにもないから私が鍛えてあげる」



 それなのに、紅蘭の表情は今までで一番柔らかくて、凜花は自然と笑みを零した。



「はい。よろしくお願いします」


「言っておくけど、私は他の奴らみたいに優しくないわよ?」


「いいえ。きっと、紅蘭さんは優しくしてくださると思います」



 断言した凜花に、彼女が眉をひそめる。



「……聖からなにか聞いた?」


「紅蘭さんのおばあ様が人間だってことなら聞きました」


「げっ……! 聖、勝手に言うんじゃないわよ!」


「紅蘭のおばあ様の許可は得てある」



 不本意そうな紅蘭に反し、聖は飄々としている。彼女はため息をついた。



 紅蘭の祖母が人間だと聞いたのは、あの事件のあとのことだった。

 彼は、屋敷から城にやってきた凜花の傍にできる限り寄り添い、色々なことを教えてくれた。



 実は、龍のつがいに人間が選ばれるのはごく稀にあるのだという。

 現在も天界には数名の人間がいて、龍王院の中では紅蘭の祖母がそうだった。

 人間の血を受け継げば、龍の血が薄くなり、必然的に龍の力も弱まる。

 そのため、人間の血が入った家系は疎まれることもあるのだが、そんな紅蘭に優しく接していたのが凜だったのだとか。



 そして、紅蘭自身は人間の血が混じっていても堂々としているようだった。

 それを聞いたときから、凜花は彼女に対して少しだけ親近感を抱いていたのだ。



「……なによ? 私に人間の血が流れているのがおかしい?」


「いいえ、ちっとも。今度、紅蘭さんのおばあ様にも会わせてください」


「嫌よ。それでなくても、おばあ様は聖のつがいが人間だと知ったときから大喜びしていたのに、あんたと会ったら手がつけられないほど喜ぶに決まっているもの」


「ダメですか?」


「……気が向いたら考えておく」



 聖が小さく噴き出し、凜花もクスクスと笑う。



「紅蘭様、姫様には敵わないです」


「姫様はすごいお方です。ね、桜火様、玄信様」


「ええ、そうですね」


「我が主が選ばれたお方ですから当然だ」



 蘭丸と菊丸の言葉に照れくさくなった凜花だが、桜火と玄信にまで褒められて心がむずがゆくなってしまう。

 褒められることに慣れていないせいで、途端に頬が真っ赤になった。



「こら、凜花。俺以外の者の前で頬を染めるな。お前が顔を赤くしていいのは、俺とふたりきりのときだけだ」



 その上、聖に無茶な注文までつけられて、凜花は首まで朱に染まっていった。



「まったく、可愛いつがいだ」



 彼の瞳が緩められ、凜花の頬にくちづけが落とされる。



「ひ、聖さん……! みなさんがいるんですよ!」



 驚く凜花だったが、聖は艶麗な笑みを向けてくる。



「心配するな。玄信と桜火は優秀な臣下だ」



 玄信と桜火を見ると、ふたりはそれぞれ蘭丸と菊丸の目を覆いながら素知らぬ顔をしていた。紅蘭だけは呆れたようにため息をついている。



「蘭も見たいです」


「菊もです」


「お前たちにはまだ早い。私に勝てたら見せてやろう」



 騒ぎ出す蘭丸と菊丸は、玄信の言葉に膨れっ面をする。

 まごつく凜花に、聖がククッと笑った。



 そのまま今度は唇を奪われたが、優しいキスに胸の奥が高鳴ってしまう。

 凜花は、柔らかな幸福感に包まれながら、うっとりと瞼を閉じた。


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