番外編① side - 祭原牧
死ぬ前に何かよぎるかなと思ったけど、何もよぎらなかった。道路に飛び出していた白猫を拾い上げて、迫るトラックのほうを見ると、もう鼻の先に車体があった。最後に何を言おうかとか、あれがしたかったとか、これが食べたかったとか、そんな思考にさえ到る暇もなく、車体の銀色のボディがちかちかと視界を覆って、それから死んだ。遠くで一歌の叫び声が聞こえた気がしたけど、たぶん気のせいだろう。
「にゃ?」
死んだと思った。
まばたきをして、気づくと森の斜面にいた。すべてに降参したカエルみたいに寝そべっていた。
起き上がり、あたりを見回す。抱き上げていたはずの白猫がいない。頭上で木々がきしみ、鳥がどこかで鳴いている。天国だろうか。最近の天国の流行りは森なのだろうか。
もしくは地獄か。案外、地獄の入口というのは一見それとは分からないように、こういう穏やかな場所なのかもしれない。でも猫を助けたのに地獄行きというのはあまりにも報われない。地獄は一歌とかが落ちればいいと思う。誰かに肩代わりできる権利がもしあるなら、わたしは迷わず彼女を選ぶ。それくらいの貸しがある。
くだらないことを考えているうちに、天国でも地獄でもないこの場所がどこか、ようやくわかった。宮毛山だ。町に唯一ある標高一〇〇メートルにも満たない、小さな山。
ほんの数秒前まで学校にいたのに、いまは宮毛山にいる。いったい何が起こった。どうしてこんな場所にいるんだ。そして抱えていた猫は、どこにいった。
ひとまず斜面を登ると、神社の境内に出た。本殿の裏手だった。一番高いところからこの町を見下ろしている宮体神社。町の通りや商店街、公園など、さまざまな名前に「宮毛」という地名がつくのに、なぜかこの神社だけは「宮体」とついている。理由は知らない。わたしがいきなりこんな場所に飛んでいるのと同じくらい、意味不明だ。
境内には誰もいなかった。そのまま通り抜けて、正門の鳥居から階段を下りていく。観光客だろうか、神社に向かう男女のカップルと途中で通り過ぎた。わたしの顔をじろじろ見たあと、ふふ、となぜか楽しそうに笑われた。
「さすがだね」
「この町って感じだね」
背中から聞こえた小声の会話も、意味がよく分からない。落ち葉か何かついていただろうか。急いで体を払う。パーカーとスカートについていた土や葉っぱが落ちていく。
このときほんの少しでも、同じように頭を払っていれば、自分の身に起こっていた異変に一早く気づけていたはずだ。続いて通り過ぎたお年寄りにも、ほほ笑ましい笑顔を向けられずに済んだはずだ。
山のふもとまで下りる。この山は城跡でもあり、周囲をお堀がおおっている。その水面が鏡になってくれた。橋を渡ろうとしたとき、ふと、水面に自分の顔が映って、体が固まった。
頭の上に何か乗っていた。
というより、生えていた。
そっと手を伸ばすと、やわからい毛が指先に当たった。さらに撫でると、弾力のある薄い肉の感触につつまれる。ぴろん、ぴろん、と何度も撫でて、折れるたびに瞬時に立つ耳。二つの猫の耳。
「にゃんでええええ!?」
耐えきれず叫んだ。
何が起こっている。何が生えている。とつぜん学校から数キロ離れた山に飛ばされて、頭には猫の耳が生えている。夢か? お堀に落ちて水の冷たさを感じれば、わかるだろうか?
我に返り、見まわす。ほかに見られたひとはいない。すれ違ったカップルとお年寄りも、きっとコスプレか何かだと思っていたようだ。
「だめだ。ここにいちゃだめだ……」
行かないと。帰らないと。誰にも見られない場所に。
急いでパーカーのフードをかぶり、わたしは逃げ去った。何かの逃走犯にでもなったような気持ちだった。
× × ×
帰宅して、洗面台の鏡であらためてフードを取り、確認する。走っている間に取れていてくれないかなと祈ってみたが、耳は依然としてしっかりそこに生えていた。髪の毛をかきわけてみると、根元からしっかり、癒着するようにくっついている。
白と桃色がまざった毛。猫の耳。わたしが助けようとしたあの猫の耳とよく似ていることに、ようやく気付く。
「どうする? どうするの、これ」
鏡につぶやいても、映る自分は答えてくれない。
唯一よぎるのはこの宮毛町で昔から聞く、ある噂の一節だった。
『この町に住む猫はときどき、ひとを呪うことがある』
えええぇ、と思わず悲観のうめき声が出る。呪いか? これは呪いなのか? 助けようとしたのに、どうして呪われる。そしてなぜ猫耳。もしかして一生、このままなのか。
誰かこれについて分かるひとはいないか。呪いに詳しいやつ。あるいは、猫に詳しいやつ――。前者はともかく、後者で思い当たるのは、一人だけだった。
「……一歌」
スマートフォンを開く。メッセージを送ろうかと思ったが、そういえば前に絶交したとき、消したのだった。
というか一歌はいまどうしているのだろう。彼女から見ても、わたしはあの場所からいきなり消えたような認識なのだろうか。いまごろ探しまわったり、先生を呼んで助けを求めたりしているのだろうか。
一人暮らしで何かあったとき、まずは親に相談するべきだろうか。だけどすぐに駆けつけられる距離じゃない。一番近いのは同じ町内に住んでいるお祖母ちゃんだ。困ったことがあったらいつでも相談していいと言われているけど、たぶんお祖母ちゃんが想定しているのは家事のこととか、ご飯のこととか、風邪をひいたときとか、そういうことを言っているのだと思う。とつぜん猫耳が生えたと泣きついても、一緒に慌てて、最後には大騒ぎして病院に連れて行かれるだけだろう。
とすると、現状で頼れるのはやっぱり――。
「……いくか。あいつの家」
場所は覚えている。まだ引っ越していないなら、迷わずつけるだろう。
あの猫ジャンキーに見せたら、どんな反応をするのか。絶対叫ぶに決まっている。それだけは阻止しなければならない。明かす前に釘を打っておこう。
家を出るとき、とっさに昔よく使っていた帽子をつかんで、お守り代わりにかぶった。耳が邪魔して、かぶり心地はいまいちだった。
帽子のなかで耳が何度か動くのを感じながら、わたしは一歌の家を目指した。
(番外編① 了)
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