第2章 第3話
翌日、
試しに話しかけたらどんな反応をするだろう。二人きりのときと同じような空気になるのだろうか。「やっほー牧っち! げんきぃ?」とか、呼んだことないニックネームを使いながら肩を叩いてみようか。飲みこむのが針だけでは済まなくなりそうだ。
声はかけず、自分の席からそっと、牧の腰の付け根あたりを観察してみるが、尻尾はやはり消えているようだった。スカートに戻っているし、隠そうとして不自然な膨らみができているわけでもない。猫耳同様、一日経たないうちに現象は収まるらしい。あまりにもじろじろ観察しすぎたせいか、移動教室のとき、途中の廊下でこっそり蹴られた。
話ができたのは放課後になってからだった。今日は委員会の仕事がある日で、強制的に二人きりになる機会でもある。職員室に向かっている途中、階段の踊り場で待ってると、後ろから牧が降りてきた。面倒くさくても、私と会うのが嫌でも、与えられた仕事は結局サボらない。
「あれから連絡もなかったから、登校してこないと思ってた」
「にゃあ」
「え、うそ! まさかいま猫入ってる? どうしようっ」
「馬鹿」
からかうように、牧が小さく笑う。演技だった。だまされた。そして妙に機嫌が良いというか、昨日よりも余裕がある。
職員室に寄って掃除用具と虫取り網を借り、この前と同じく、まずは中庭に向かっていく。途中で牧は余裕が生まれた理由を語ってくれた。
「もちろんこの瞬間も凄い不安だけど、ちょっと慣れてきた。あとなんとなく現象が起こる前の予兆がわかった」
「そうなの?」
「体の内側全体が少しもぞもぞするというか、かゆくなる。かゆい個所の表面の皮膚をいくらかいても、そのかゆみが治まらないときがあるでしょ」
「なんとなくわかる」
それと似ているということか。予兆がつかめたというのは、確かに元の生活を取り戻すうえでは前進といえるかもしれない。ルールというか、法則のようなものがつかめればもっと余裕ができるだろう。
「いまはその『もぞもぞ』は?」
「きてない。けど早く帰りたい。あんたのそばにいると少しずつ自分が汚れていく」
「こんな風に?」
「だからなんで昨日の写真持ってる! いつ撮った!」
スマートフォンでこっそり撮った牧猫コレクションの、尻尾版。例の如くすぐに消せ、と迫ってくる。もちろんクラウドに保存してあるので躊躇なく目の前で消すフリをする。写真が消えて落ち込む演技も少しいれておいた。にゃあ。
「そういえば、白猫の名前、どうしよう」
「なんでもいい。というか名前なんかつけなくていい」
「牧のなかにいるから、カタカナで『マキ』でいいかな。白猫のマキちゃん」
「絶対やめろ」
話しているうち、グラウンドの端にある林にたどりつく。あの白猫を見かけた現場の近くだ。探してみるが、やはり白猫の姿はない。牧のなかにいるから。
白猫の代わりに現れたのは、黒と茶色の毛が混ざったサビ猫だった。木の根元に座り込み、手もとを舐めて毛ずくろいしていた。私たちに気づいて目を上げるか、完全に人慣れしていて、すぐに逃げる気配はない。さすがは宮毛町の猫だ。
私たちの仕事はこうやって学校の敷地内に入り込んだ猫に帰ってもらうこと。ただしあまり乱暴にはしたくない。虫とり網でしっしと追い払うようなことをしたら、次に会ったとき嫌われてしまいそうだ。そうなったら泣く。できればやさしく抱っこして連れて行ってあげたい。猫も私もウィンウィンだ。
「って、あ」
躊躇している私の手から網をふんだくり、牧がすばやく仕事を始める。サビ猫には直接触れないものの、網の先で威嚇するようにつつき、その場から追い出す。サビ猫はこちらに友好的な雰囲気がないのを察知して、すぐに跳ねて逃げていく。
「ああ、行っちゃった……」
「行ってもらうのが仕事でしょ」
「でもあんなことしなくても。牧だって猫好きでしょ」
「ごめんなさいね、いまちょっと猫と折り合い悪くて」
世界で一番不気味な笑顔が浮かんでいた。無粋が過ぎると、ひとはこんな顔になるのだと知った。
がさ、と音がして、振り返るとさっきのぶち猫がいた。うんざりするように、牧がまた追い払う。
「さすがの
どうだろう。
不謹慎だけど、少し楽しむかもしれない。
表情に出ていたのか、呆れたように牧が溜息をつく。
「やっぱあんたは例外」
「だって色々興味あるじゃん。そもそも猫ちゃんが意識を奪ったときに、牧の体を使って『ニャア』って鳴ける仕組みがよくわかってない。本来は特殊化粘膜っていう粘膜組織を使ってあの声を出してるんだよ。人間にはない器官。ちなみに、ごろごろって喉を鳴らしてるように聞こえるあれも特殊化粘膜とは別の、喉頭室皺壁っていう発声器官を使ってて、なぜなら猫には声帯がないから――」
「あーわかったわかった。もういいその無駄な雑学」
進む先の木陰から黒猫があらわれる。と思っていたら、別の木から茶トラが降りてくる。この前よりも出会う確率が多い。片っぱしから牧は網を使っていく。欝憤が溜まっていたのか、キジトラがあらわれたときには走り出して追いかけていた。五歳のときの自分を思い出したが言わなかった。
「本当に多いね、ここ」私が言った。
「嬉しそうに言うな。生徒だけじゃなくて先生も餌上げてるって噂を聞いた」
ぶち猫が茂みからあらわれる。さっきとは違う、別の尾が短いトラ猫も。私の一番好きな種類の三毛猫もいた。白と黒が配置が反転しためずらしいブチ猫。さっきのキジトラに、サバトラ、最初に追いだしたはずのサビ猫。あれ、少し多すぎない?
二人で顔を見合わせる。
「牧、これって……」
「訂正。やっぱり慣れそうにない」
気づけば無数の猫に、まわりを囲われていた。
***
学校を出ても猫たちは一定の距離を保って私たちについてきていた。途中で何匹かは飽きたのか姿が見えなくなったけど、まだ振り返ってちらりと数えるだけでも、七匹はいる。私たちというよりは、あきらかに牧のほうについてきている。
「すごい、猫を引き寄せてる。猫の吸引機だよいまの牧は」
「なんなんだこれ」
「ちょっと触ってくるね」
「なんなんだお前!」
一番近くにいる黒猫に近づいてみるが、あえなく逃げられた。黒猫の続くように他の猫も私から遠ざかっていく。心がずたずたになった。いまの私は完全にお邪魔虫だ。一番仲良くなりたいものほど、一番私から離れていく。
「吹き飛ばしてくれてありがとう、猫の扇風機」
戻ってきた私に牧がとどめの一撃を見舞う。背後でまた、散っていった猫たちが一匹ずつ集まってくる雰囲気があった。牧のなかにいるあの白猫の存在を感じ取っているのだろう、だからそうっと様子をうかがいながら接触してこようとしている。
住宅街の分かれ道にさしかかり、牧が道を折れて去っていくのを見送ることにした。その後ろをゆっくりついていく猫軍団という絵面が、ちょっと見てみたくなったからだった。できれば写真にも撮りたい。
ところが牧は去ろうとせず、こんな一言を向けてきた。
「今日も両親にいないんだっけ?」
「うん。いまは」
「いまからまた行っていい?」
「家に? なんで」
「あの猫の群れになんとなく自宅を知られたくないの」
なんと贅沢な悩みだろう。私は全員家に上げてパーティでも開きたいところなのに。けれど当の本人である牧は、猫との距離を測りなおしている最中だ。
来ること自体は別にいい。
けど、なんとなくなし崩し的になっている一年半前からの絶交中の件については、どう思ってるのだろうか。話すことはないし、話しかけるならとも言われている。もう解消されたということなのか。ずいぶん前から普通に話してるし。
ちゃんと口に出して安心させてほしいとか、そういう面倒くさい女に転生したわけじゃないけど。
まあ、まっすぐ訊きかえせるほど、度胸もなく。
「いいよ。けどお父さんが猫アレルギーだから、あんまりリビングのほうは立ち入らないほうがいいかも。万が一バレる可能性がある」
「わかった。部屋にいる。猫の群れがあきらめて消えたらすぐ帰る」
一緒に歩きだし、同じ道を進む。
たくさんの猫を引き連れて自宅まで行進。これまでの人生で夢に見ていてもおかしくない光景だ。途中で望遠機能を使いながら自撮りを試してみたけど、始終動きまわるのでなかなか上手くおさまらない。
そして猫のことから思考が逸れると、気づけばまた隣の幼馴染のことを考えている。同じ歩幅で同じ場所へ向かって歩いているけど、同じことを考えている顔では、あきらかにない。
自宅前にたどりつく。玄関の門を抜けて、ちゅうちょなく牧もついてくる。ドアを開けて玄関口で靴を脱ぐ。牧は丁寧に靴をそろえる。とん、とん、とん、と階段を上る足音が重なっていく。こんな時間がまた流れるなんて、想像できなかった。
このままゆっくり、さりげなく、ごく自然に、元の関係に戻っていくのだろうか。それとも問題がすべて解決したら、牧はまた私と口を効かなくなるのだろうか。使い終えたボールペンみたいに、役目を終えたら、すぐに意識の外に放り出すのだろうか。
尋ねたいことは昔から変わっていない。私が約束をやぶったあの日のこと。牧と一緒に旅行にいくつもりだった日、その待ち合わせ場所に行かなかったこと。あの日が牧にとって、どれくらい大切なことだったのか。それを知りたい。
どこかのタイミングで聞けるだろうか。問題をすべて解決したら、その報酬みたいに、質問に答えてくれたりするのだろうか。
あるいは、いま――
「ねえ、牧はさ」
振り返ろうとした、そのときだった。
「ぬわっ、ちょ、な!」
がっと腕が同体に回ってきて、そのまま抱きつかれた。
体をひねることができないほど強く。
「なに!? なになになにいきなりなに!」
一気に火照る。力が入らず、よろめく。
抱きついた牧が体重をかけてくる。
どたどた、と床を何度か踏んで、そのまま倒れこむように、ベッドに落ちた。
身をよじって、起き上がろうとするが、牧が素早く両手首をつかんで押さえつけてくる。馬乗りにされて、体の支配をとうとう完全に奪われる。
「牧っ! ちょっとどうしたの」
怪しく揺れる彼女の瞳を見て。
すべてを悟った。
「ニャア」
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