第32話 悠馬の気持ち

 落ち着きを取り戻した利香は、一人大崎駅構内のベンチに腰を下ろして、ボーっと焦点の合わないどこかを見据えていた。

 あれからどれぐらい時間が経ったのだろう。

 恵比寿駅で降りてから、大崎駅までいつ戻ってきたのかもはっきりと覚えていない。

 まさか、こんな形で悠馬の恋心を諦めなければならないことになるとは思っていなかった。

 しばらく、心の整理がつきそうにない。


「ホント、浮かれてた私が馬鹿みたい」


 本当は今日だって、悠馬に家まで送り届けてもらう予定だったのだ。

 それをあんな形で失うことになるとは……。

 一人感傷に浸りながら時間を過ごしていると、不意に利香の視界に立ち止まる足元が一つ。

 虚ろな眼差しのまま見上げると、そこにいる人物を見て生気を取り戻す。


「えっ……」


 なんと利香の目の前に現れたのは、肩で息をして膝に手を吐く悠馬の姿だったのだから。


「に、西野君……どうしたの?」

「吉川さんに……話したいことがあって……」


 絶え絶えの息を吐きながら、悠馬が言葉を紡ぐ。


「いいの? 悠馬君の彼女さんは?」

「彼女じゃない! あの人はアルバイトの先輩ってだけだ」

「でも、さっき電車の中で腕を組みながら仲睦まじそうにしてたのは……」

「俺が悪いんだ! 吉川さんに誘われる前に、先輩にクリスマス一緒に過ごそうって誘われてたんだ。でも、俺が吉川さんと一緒に過ごしたいから断ろうとしたら先輩怒っちゃって、腹いせに付き合ってるって嘘を吐かれたんだ」

「そ、そうだったの……!?」

「だから、俺は先輩とは付き合ってない。それと、俺は吉川さんとクリスマスを一緒に過ごしたいと思ってる。吉川さんを失望させたのも重々承知してる。不誠実であることも分かってる! それでも俺は、吉川さんとクリスマスを一緒に過ごしたいんだ!」


 大きく頭を下げてお願いしてくる悠馬。

 そんな彼の姿を見て、一つ聞きたくなってしまった。


「どうして……どうして西野君はそこまでして私と一緒にクリスマスを過ごしたいの?」

「そ、それは……」


 悠馬は頭を上げると、一瞬躊躇したように視線を泳がせた。

 しかし、一つ息を呑み込むと、まっすぐな目で利香を見据えて言い放った。


「俺は……吉川さんのことが好きだから」

「えっ……」


 利香の冷え切っていた心に、ぶわりと温かい春の風が吹き抜けた瞬間であった。

 悠馬に好意を伝えられ、ぶわっと胸の内から何か湧き上がってきてしまう。


「わ、私も――」

「お客様、申し訳ありません。終電が終わりましたので、駅構内から出てくださーい!」


 利香が悠馬の気持ちに応えようとしたところで、タイミング悪く駅員さんから声を掛けられてしまう。


「はい、分かりました。とりあえず、外に出ようか」

「う、うん……」


 利香は椅子から立ち上がり、悠馬に先導されながら、駅構内を後にする。

 改札口を抜けて出口を出ると、駅員さんの操作でシャッターが閉められて行く。


「なんかこの光景、前も観た気がする」

「うん、あの時の西野君、凄く動揺してたよね」

「そりゃだって、寝過ごして終着駅に連れて来られたとか、笑いものにならなかったから」

「今日は大丈夫なの?」

「家族に言ってあるから平気だよ。そんなことより、今は吉川さんのことが大切だから」


 そう言って、悠馬は迷いなく手を差し出してくる。


「送っていくよ」

「うん、ありがとう……」


 利香が遠慮がちに手を差し出すと、悠馬はその手をがっちりと掴んだ。

 緊張しつつ、どちらからともなく利香の家に向かって歩き出す。

 空は冬の星空が瞬いており、寒い夜風が顔に突き刺さる。

 けれど、そんな寒さを忘れてしまうぐらいに、利香の心は充足感に満たされていた。

 隣を歩く悠馬の同じなのか、どこか朗らかな表情をしているように見える。


「俺さ、ずっと吉川さんは芝原君と付き合ってるんだとばかり思ってたんだ」

「えっ? 私と芝原君が? どうして?」


 悠馬から言われた衝撃のカミングアウトに、利香はどうしてかと尋ねてしまう。


「だって、芝原君と一緒に帰るのも観たことあるし、部活が一緒だとはいえ、二人きりで仲良さそうに話してる機会が多かったから」

「そ、それはね、違うの! 芝原君とは部活もアルバイト先も一緒ってだけで――」

「うん、全部芝原君から聞いたよ。だからもう勘違いはしてないから安心して」


 悠馬は慌てて誤解を解こうとする利香に制止の声を上げてから、再び言葉を紡いだ。


「だからさ、初めて吉川さんの家に泊まった時、芝原君に示しがつかないって思ってたんだ。でもそれが杞憂だって分かってから、吉川さんに素直な気持ちを伝えようって決めたんだ」

「そ、そうなんだ……」

「でも、まさか吉川さんの方からクリスマス一緒に過ごさないかって誘ってきてくれたのは驚いたよ。おかげで、俺も確信することが出来たからね」

「確信?」


 利香が尋ねると、悠馬は歩みを止めて、利香の手を離すと、こちらへ向き直った。


「さっきは邪魔が入っちゃったけど……改めて、俺は吉川さんのことが好きです。俺と付き合ってください」


 悠馬は頭を下げて、手を差し出してくる。

 利香は悠馬の告白を受けて、その悠馬の手を再び握りしめた。


「はい……こちらこそ……!」


 利香がはっきりとした口調で答えると、悠馬はふっと表情を綻ばせる。

 それが何だかおかしくて、お互いにクスクスと笑い合う。

 けれど、それは気まずいものでも何でもなく、ただただ二人が恋人同士になれたという歓喜の笑いであった。


「これからよろしくね。利香……」

「うん、こちらこそ……悠馬君」


 お互い名前で呼び合い見つめ合う。

 そのまま吸い寄せられるようにして、お互いに顔を近づけていったところで、一台のバイクが爆音を立てて通り過ぎて行った。

 驚きで我に返り、咄嗟に顔を背ける。

 手を繋いだまま、お互いちらちらと様子を窺い合う。

 二人の間に、何とも言えぬ空気感が漂い始る。

 とそこで、利香が思い出したように悠馬へ尋ねる。


「ところで、悠馬君はこの後どうするの? 終電終わっちゃったよ?」

「あぁ……えっと、どうしよっかな」


 困り笑いを浮かべる悠馬。

 そんな悠馬に対して、利香は呆れたため息を吐く。


「もーっ、少しは素直に助けを求めてもいいんだよ?」

「だってねぇ……付き合い始めて1時間も経たないうちに入り浸るのもどうなのかなって」

「バカ。悠馬君を一人で夜の街に放つわけないじゃん」

「それはそうだけど……」


 躊躇う悠馬を見て、利香は一つ息を吐いてから笑みを湛える。


「私の家で良ければ、泊まっていって」

「それじゃあ……お言葉に甘えて」


 こうして、終電を乗り過ごした悠馬は、再び利香の家に泊まることとなったのである。

 今度はクラスメイトの知り合いとしてではなく、恋人として……。



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