第9話 いなくなってしまう寂しさ

「よ、吉川さん⁉」


 突然の出来事に、驚きの声を上げる悠馬。

 そんな悠馬を離さないと、利香は手の力を強める。

 利香も心臓がバクバクと高鳴るのを感じながら、必死に声を上げた。


「お願い。部屋にいて……」


 利香から放たれたか細い声。

 心なしか、声が震えているように聞こえた。


「私、音とか聞かれても全然気にしないから。だからお願い」



 念押しと言わんばかりに、そんな弱々しい声で懇願してくる利香。

 そんな風に言われてしまったら、部屋を出ていくという選択肢は、悠馬の中から消え去っていた。

 悠馬は一つ大きく息を吐いてから、後ろにいる利香に向かって優しく声を上げる。


「分かったよ……。吉川さんの言う通り、ちゃんと部屋にいるから」

「本当に?」


 確認の意を込めて、利香が再度尋ねてくる。


「あぁ。だから、早くシャワー浴びておいで」


 悠馬が出来る限り優しい声音で語り掛けると、利香がお腹に回していた手を解いて身体を離してくれる。

 振り返ると、利香は満面の笑みを湛えていた。


「ありがと……いなくなっちゃダメだからね?」

「分かってるって」

「ちょっとだけ待っててね! すぐに入ってくるから」

「風邪引くから、ゆっくり入ってきていいよ」


 悠馬はそう語り掛けたものの、聞こえていないのか利香はタンスの中から自身の着替えを取り出すと、一目散に脱衣所へと駆けて行ってしまう。


「それじゃあ、入って来る!」


 脱衣所の扉を閉める際、顔だけを覗かせてこちらへ手を振ってくる。


「うん、行ってらっしゃい」


 悠馬が手を振り返すと、利香は今度こそ安心したのか、脱衣所の扉をバタンと閉めた。

 一人馴染みのない部屋に取り残されて、悠馬は深いため息を吐く。


「何やってんだ俺は……」


 悠馬は思わず虚空を見上げて、利香が先ほど見せた笑顔を思い返してしまう。

 あんな笑顔を見せられたら、まるで悠馬に好意があるのではないかと勘違いしてしまいそうになる。


「全くよ……人の気も知らずに」


 悠馬は利香の彼女かのような可愛らしい行動に、頭をガシガシと掻くことしか出来ないのであった。


「良かった……そのままいなくなっちゃうかと思ったよ」


 脱衣所で一人きりになったところで、利香はほっと安堵の息を吐く。

 悠馬が目の前からいなくなってしまうのではないかという焦燥感に駆られて、気づいた時には彼に抱き着いていた。

 利香自身が自身の行動に一番驚いたけれど、今悠馬が目の前からいなくなるなんて考えたくもない。

 シャワー音を聞かれてしまうのは少々恥ずかしいけれど、悠馬が部屋からいなくなるよりは数百倍マシ。

 どんな邪な気持ちでも抱いてもいいから、少しでも悠馬には利香のことを考えていて欲しいと思っていた。

 きっと、今いなくなられてしまったら、寂しさで泣いてしまうから……。


「待たせるのも悪いよね。パパっとシャワー浴びちゃおっと」


 利香は考えを払拭して、悠馬を待たせないためにも、急いでシャワーを浴びることにするのであった。

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