第2話 最大の誤解

 吉川利香よしかわりかは今、人生最大の危機を迎えていた。

 深夜の寝静まった住宅街を、クラスメイトで利香りかが絶賛気になっている男の子である西野悠馬にしのゆうまと歩いているのだから。


(キャー!!!!)

(ヤバイ、ヤバイヤバイヤバイ!)

(西野にしの君と手繋いじゃってるんですけど⁉)

(これってもう、恋人同然じゃない⁉)


 利香りかは終始興奮しっぱなしで、冬の寒さなど忘れてしまうほどに身体全身が熱くなっていた。

 全神経が今、悠馬ゆうまと繋いでいる手に注がれている。

 そのせいで、軽く手汗をかいているような気がした。

 気持ち悪いと思われてないか心配だけれど、それよりも悠馬と手を繋いでいるという事実に浮かれてしまっている。


 悠馬が気づいていない最大の勘違い。

 それは、利香には彼氏などいないということである。


 利香に恋愛経験はなく、年齢=彼氏なしという寂しい青春生活を送っていた。

 そんな中、利香の恋愛の雪原に突如として訪れた春の芽吹き。

 利香は嬉しい反面、ガチガチに緊張して強張っていた。


 そもそも、利香はどうして悠馬と一緒に大崎おおさき駅で駅員さんにたたき起こされることとなったのか。

 事の発端は、数時間前まで遡る――



 ◇◇◇



 利香はアルバイトを終えて、渋谷しぶや駅で山手線に乗り込もうとしていた。

 渋谷駅は多くの路線が乗り入れるターミナル駅。

 乗り込むお客さんも多ければ、降りるお客さんも多い。

 よって、乗車位置の先頭に並んでいれば、高確率で座れる可能性が高いのだ。


 予想が当たり、電車に乗り込むと、運よく席が一つ空いており、利香は座ることが出来た。

 渋谷駅から最寄り駅である大崎駅までは三駅。

 しばしの至福な時間を過ごすように、利香はふぅっと息を吐いて脱力する。

 すると、ふと隣からふわりと心地よい陽だまりのような匂いが漂ってきた。

 視線を横へと注げば、なんとそこには絶賛気になっている男の子、西野悠馬にしのゆうまが座っていたのである。


(えぇぇぇぇぇぇぇ⁉)


 思わず出そうになってしまった声を必死に手で押さえ込み、利香は心の中で叫んだ。


(な、なななななんで西野君が隣に座ってるの⁉)


 悠馬は利香と同じ学校に通うクラスメイト。

 さらに言えば、利香が絶賛気になっている男の子。

 通りで、隣から好きな男の子の匂いがしてくるはずだと納得する利香。


(ヤバイヤバイヤバイ……すっごい緊張してきたんですけど……⁉)


 悠馬と肩が触れあいそうな距離で隣り合って座っているという事実に、利香はガチガチに緊張してしまう。

 さっきから、私の心臓はバクバクと早鐘を打ち、全然収まってくれない。

 学校でもこんなに至近距離になることがないのに、まさか電車で隣に座ることになるとは……。


 利香の全神経が左半身に全集中してしまう。

 悠馬の方を見たくても、恥ずかしくて見ることが出来ない。

 すると、ビクっと悠馬の身体が震えた。


「ひゃっ……!?」


 突然の出来事に、利香は軽く声を上げてしまう。

 利香は恐る恐る、悠馬の様子を窺ってみると、悠馬は目を瞑ってスヤスヤと舟を漕いでいた。

 深い眠りについてしまっているようで、利香には気づいていない様子。


「寝ちゃってるの?」


 利香は悠馬の顔の前で手を振ってみるものの、全く反応を示すことなく、彼は心地よさそうに寝息を立てている。


(これってもしかして、すっごいチャンスなのでは?)


 利香は思わずそんなことを考えてしまい、ごくりと生唾を飲み込んでしまう。

 常時漂ってくる悠馬の安心する匂い。

 教室で近くを通った際、残り香をちょっとだけ堪能することしかできないのに、今は隣で嗅ぎ放題のバイキング状態。


(ヤバイ、私絶対気持ち悪いこと考えてる)


 利香は辺りを見渡して、知り合いがいないか確かめる。

 車内には疲れ切ったサラリーマンがスマホの画面を見ながらそれぞれの帰宅時間を過ごしているだけで、見渡す限りは知っている顔は見受けられない。


 同じ制服を身に着けて男女が隣り合わせで座っているこの状況。

 周りからしたら、間違いなく利香と悠馬はカップルに見えるだろう。


 利香はもう一度悠馬の様子を窺う。

 どうやら疲れているのか、目を覚ます気配はない。


(ちょっとだけなら……いいよね?)


 利香は欲望に抗えず、そっと悠馬の肩口へと顔を近づけていく。


 クンクン……。

 そして、悠馬の匂いをそっと嗅いだ。

 刹那、利香の鼻孔が悠馬の匂いで包まれ、幸せホルモンが分泌、身体全身から力が抜けていく。


「うわっ、これヤッバ」


 思わず、心の声が漏れてしまうほどに、悠馬の匂いは強烈過ぎた。

 利香の脳は完全に悠馬の匂いに支配されていき、さらなる深淵を求めてしまう。


「よ、寄りかかってもいいかな?」


 つい、利香はそんな欲望を零してしまう。


(大丈夫だよね。電車で座っている時、寝ちゃった人が寄り掛かってくる事ってあるもんね)


 そう利香は自分に言い聞かせてから、悠馬が起きないことを願いつつ、意を決して悠馬の方へと自身の身体をゆっくり傾けていく。


 ピトッ。


 利香の頬が、悠馬の左肩に触れた。

 頬越しから伝わる悠馬の体温。

 頬が熱くなり、身体全身がぶわりとゆで上がる。


(ヤバイ、ヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイ!!!!!)


 利香は心の中で踊り狂っていた。

 表情は平静を装っているものの、今すぐに理性が外れて悠馬に抱き着いてしまいそうになる衝動を必死に堪える。

 馳せる気持ちを必死に抑えながら、利香はさらに悠馬の肩へ頭を委ねていく。


 肩越しからでも分かる、悠馬のごつごつとした男の子らしい骨格。


(ヤバイ、西野君の匂いがさらに強烈で温もりまで感じれるなんて……。これ好きかもしれない……)


 背徳感とドキドキしたまま、利香はゆっくりと目を瞑ってみる。

 先ほどまでの興奮した感じと違い、ドキドキするのに、後追いでそこはかとない安心感が利香を包んでいく。


(西野君温かい……)

(落ち着く)


 利香は悠馬の肩口に頭を乗せたまま、身を預けてしまう――



 ◇◇◇



 そこから先は、あまり覚えていない。

 気付いたら悠馬と一緒に眠りについてしまい、終着駅である大崎駅に辿り着いていたのだから。

 そして、悠馬が利香を家に送ってくれることとなり、今に至る。


 利香は手を繋ぎながら、隣を歩く悠馬をちらちらと見つめてしまう。


(うぅ……っ、恥ずかしい。けど西野君の手、凄く温かい……)

(このまま、ずっとこの時間が続けばいいのに……)



 利香がそんな恋愛漫画のようなことを考えてしまっている一方で……。

 悠馬はというと――

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