この子はあなたの子よ

むらた(獅堂平)

この子はあなたの子よ

「明日もまた、パパに会いに行きましょうね」

 女は人形を抱きながら言った。

「次こそ、抱っこしてもらえるわ」

 女は不気味な笑顔を浮かべた。

 

 *

 

 **

 

 ***

 

 僕は恋人の真由美とまっすぐに続く歩道を散策していた。

 彼女とは付き合って一年半になり、そろそろ結婚を考えていたが、そのためにはある悩みを解決しなければいけなかった。

「いい匂い」

 真由美が言った。ケバブ屋台から食欲をそそる匂いが漂っていた。

「お腹空いてきたね」

 僕たちは屋台に気を取られていると、肩に衝撃があった。よそ見をしていたので、通行人とぶつかってしまった。

「すみません」

 頭を軽く下げた瞬間、相手の相貌を見て、僕は息をのんだ。

 相手の女は長い黒髪を前に垂らし、赤ちゃんを模した人形を後生大事そうに持っていた。

「……」

 女は沈黙のまま、その場を去った。


「ねえ。いまの、怖かったね」

 真由美が顔を歪めた。

「うん」

 僕は首肯した。

「凄い、不気味だった。――なんなんだろ。あの人……」


 僕と真由美は小腹が空いたので、カフェに入ることにした。

「本当に、さっきの人、なんだったんだろ」

 真由美がつぶやいた。

 さきほどの女性が気になるらしく、僕が話しかけていても、ぼんやりとしていた。

「あっ! ねえ、見て」

 真由美が窓外を指差した。そこには、くだんの女性がいて、男を追いかけていた。

「怖い。ストーカーか何かなの?」

 真由美の唇は震えていた。


 男性はカフェに逃げ込んできた。女性もそのまま憑いてきていた。

「や、やめろ」

 男が嫌悪感を込めて言った。

「ねえ。

 女はそう言って、抱いている人形を見せた。

「し、知らない。俺は、君なんて知らない」

「あなたの子よ。ほら、抱っこしてあげて」

 女は男に迫った。

「申し訳ございません。お客様」

 カフェの店長が青ざめた顔で割って入った。

「他のお客様のご迷惑になりますので、やめていただけないでしょうか?」

 女は沈黙し、しばらくすると、すごすごと帰った。


「怖かったぁ。本当になんなんだろ。頭がおかしくなった人だよね」

 真由美は遠ざかる女性の姿を見ながら言った。

「うん。怖いよね」

 僕は同意した。

「会社とか親戚の人は大変だよね。ああいう人がいたら」

 真由美は想像したらしく、眉をひそめて、身震いした。


 *


 **


 ***


「ただいま」

 真由美とのデートが終わった僕は、自宅マンションに戻った。両親は他界し、現在は姉と二人で暮らしている。

 返事がないので、姉は帰っていないのだろうかと思ったが、リビングで座っていた。

「どうしたの?」

 僕が聞いても、姉は呆然と虚空を見ていた。

「姉さん! 姉さん!」

 何度か呼びかけると、姉はこちらを見た。

「ああ。おかえりなさい」

 姉は十年前に最愛の男性を失ってから、多くの男性と肉体関係を持つようになった。彼と過ごした記憶を上書きするかのように。

「姉さん。もうやめてくれないか」

「なにを……?」

 そのため、街中には姉と関係をもった男性がごろごろいる。

「ああいうことだよ」

「私が何をしようと、私の自由よ」

 姉は上の空で答えた。

「知らないフリしたからよかったけど、困るんだよ」

 姉は僕の悩みの種だった。父親が誰かわからない子を妊娠していた。

「そう。それはごめんね」

 姉は謝ったが、おそらく止めないだろう。赤ん坊を流産してから、姉の様子は更におかしくなっていた。

「お願いだから、もう、あんなふうに行動するのはやめてくれ」

 僕は懇願した。

 姉は長い黒髪を垂らして不気味に笑い、

「だって、この子を抱いてほしいから」

 

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