第4話 図書室の噂

「おはよう、アリル」

「おはようございます、リーヌさん」

 王宮侍女たちにあてがわれた寮で身支度を終えて今日の仕事のスケジュールを確認していると、聞き覚えのある声に名を呼ばれた。

 アルメリアと同じく侍女服に身を包んだ明るい茶髪が特徴的な彼女は、リーヌ・ガトーと言う平民出身の侍女だ。アルメリアの同期でもある。

交友関係が広く、王宮内一の噂好きである彼女は、すぐ隣に立って小さく耳打ちしてきた。

「聞いたわよ、メイルに言いがかりをつけられて侍女長に怒られた挙げ句、腹いせに部屋から締め出されたんだってね。あいつ、本当にいけ好かないわ」

(詳しい……)

 どうやら、昨日の出来事のあらましを何処からか聞き及んでいたらしい。

 確かに、昨日の夕方はメイルのブリムの件で騒ぎを起こしてしまい侍女長に呼び出されてしまった。しかし、まだ未明であったこと、運よくも侍女以外の誰も諍いを耳にしていなかったこと。それから、メイルのブリムがきちんと洗濯場でよそ風に吹かれていたことが判明し、説教をされただけで処罰は無かったのだ。説教の後、「今夜は小屋にでも寝てなさいよ!」とメイルに寮部屋を閉め出されてしまったのだが。

 耳の早さに流石だと感心しながら、アルメリアは黙って頷く。するとリーヌはきっと眉を吊り上げた。

「そういうことなら、遠慮なく私を頼りなさいよ! 私の部屋に泊めてあげたのに!」

 同期のよしみよ、とリーヌは掃除用具部屋から外用の箒を取り出して、ぽんとアルメリアの背を叩いた。

 アルメリアと同室の先輩であるメイルは、他の侍女たちからの評判も良くないらしい。彼女は経験豊富だが協調性に欠けていて、いつも他人を見下しているような振る舞いをするのだ。特にきつく当たるのがアルメリアであるというだけで、他の侍女たちの間でも不満は募っているのだとか。

「自分が子爵貴族だったからって、私たちを見下してるのよ。没落したくせに」とは、リーヌの言い分である。

「ひとり部屋だから気にしないで。誰にも迷惑をかけることなんてないんだから」

「……ありがとう。次に同じような機会があったらお願いするわ」

「もちろんよ! まぁ、二度目がないのが一番なんだけど」

 王宮の侍女たちには様々な事情がある。リーヌのように仕事のために平民から上がって来た者も少なくないが、家系が立ち行かなくなった没落貴族や、アルメリアのように身分を隠した者、何らかの才能を見出されてスカウトされた者もいる。そのため、侍女たちの間には、お互いの過去に深く干渉してはならないという暗黙の了解があった。

(本当に、人付き合いってわからないものね……)

 おそらくずっと屋敷に籠ったままでいては、こうやって誰かの理不尽な悪意に晒されることも、身分を知らずとも手を差し伸べてくれる者をいることも、華やかな貴族たちの生活の見えないところで、様々な物語があったことも知らずにいたのだろう。

 そう考えると、アルメリアは屋敷から出てよかったと思える。

「そうだ、アリル。確か今日は同じ仕事場だったわよね?」

「あ、そうだったのだけど……」

 思い出したようにリーヌがこちらを振り向いた。心なしか嬉しそうに見える気がする。

その期待を裏切るようで申し訳ない気持ちになりながら、アルメリアは首を横に振った。

「私はしばらく図書番の仕事になったの」

「はぁ?」

 リーヌの素っ頓狂な声が上がった。意図せず大きな声が出てしまったのか、慌てて口を塞ぐ。ただでさえ私語が忌避される職場なのだ。仕事を始める前の朝に、いつまでもだらだら話をしている二人は外聞が悪いだろう。

 リーヌは少し声を落として続けた。

「どうしてそんな面倒な場所に? そもそも、それは司書の仕事じゃないの? ……まさか、昨日の処罰ってこと?」

「いいえ、そうじゃないの」

 声を抑えながらも好奇心は抑えられないのか、矢継ぎ早に質問してくるリーヌに若干引き気味になってしまう。「そんなに大したことじゃないわ」と苦笑を浮かべた。

「最近、司書さんたちで体調を崩している方が多いみたいで、その穴埋めを侍女の誰かがすることになったそうなの」

「それで、アリル?」

「私は文字が読めるから」

「なるほど、そういうことね。なら納得」

 平民出身が多い侍女たちでは、文字を読めない者も多い。司書の仕事は文字が読めることは必須条件だし、文字が読めるだけでなくそれなりの教養も必要となるのだ。元貴族であったメイルでも良かったのでは無いのかと思いはしたのだが、この采配を決定した侍女長はブリムの騒ぎを案外根に持っているのかもしれない。

「……アリル、此処だけの話なんだけど」

「……?」

 アルメリアは一般的な下級侍女の仕事しか経験が無い。一定期間とは言え、司書の代わりなんて勤まるのかと不安を感じていると、リーヌは真剣な表情をしてこう切り出した。

「王宮の第二書室にはね、とある噂があるの」

「噂?」

「そうよ。第二書室には怪物がすんでいて、足を踏み入れた司書たちをどこかに連れ去ってしまうっていう噂」

 アルメリアはきょとんと動きを止めた。

日々仕事に打ち込む侍女たちは、王宮の恋愛ゴシップや、根も葉もない不吉な噂話が大好きだ。その手の話を網羅しているリーヌが真剣に伝えてくるというのであれば、よほど信憑性がある噂なのだろう。

「まぁ、あくまで噂なんだけどね。でも、最近司書たちが姿を消しているのも事実だし。……気を付けてね」

「……体調を崩している、というのは建前なのね」

 王宮は陰謀と策略の伏魔殿。気を抜けば、潔白の侍女でさえその渦に巻き込まれてしまう。

だからよく気を付けるように。そう母に念押しされたことを思い出しながら、アルメリアはこくりと頷いた。 

「やっと同じ場所で仕事が出来ると思ったのに残念ね。あたしたち、同期で同じ管轄下なのに、仕事場が被ることが滅多にないんだもん」

「そうね、私も残念だわ」

 今日のリーヌの午前中の仕事は庭園の清掃であるらしかった。裏口から去っていこうとするリーヌへ、アルメリアはそっと声をかける。

「忠告ありがとう、リーヌさん」

「なんてことないわ。知ってることを教えただけよ」

 ニッ、と口の端を上げて、白い歯を見せながら笑う姿は、アルメリアが母から習った「理想の微笑み」からは程遠い。

けれど屈託のない笑顔のように思えて、アルメリアもつられて口の端を緩めた。

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