母と娘


 どんっと、キリは強い衝撃に飛ばされ、床に倒れ込んだ。

 だが、それ以外の痛みを感じない。


 ――なぜ?――


 恐る恐る瞳を開く。


 キリの目に映ったものは、鮮血。

 木の葉のように吹き飛ばされる、ミヤ。

 ぴちゃりと、キリの頬に触れる暖かな雫。


 何が起こったのか?

 すぐに判断できなかった。


 どさりと、倒れるミヤ。

 その様子が、ゆっくり ゆっくりと、まるで時が緩慢に動いたかのように、キリの目の中に飛び込んでくる。


「ミ…ヤ……?」


 ミヤの、その肩口から止め処なく流れる朱。

 それは、死の瞬間。


「ミヤぁぁぁぁぁっ!」


 キリは叫び、弾かれたように彼女のもとへ駆け寄る。


 その様子を見ていた鬼女は「余計な事を!」と、舌打ちをするとキリをその爪で引き裂こうと その手を構えた。

 だが、その爪はキリに届く事は無かった。


 斬! と空を斬る音と共に、断末魔すら発する事を許されず、両断される右半身と左半身。

 あっという間にその命は消え去り、その肉体も、砂の粒のように粉々になる。そして、風に吹かれて霧散した。


「愚かな女だ。敵に背中を見せるとは……」

 ふんと、鼻を鳴らし血振りの一閃を終えると、銀帝は愛刀を腰に戻す。

 鬼女が死んだ事で、幻の里が消えてゆく。


 辺りは深い深い森の奥。


 銀帝の鼻に、強く匂う血の臭い。

 その不快さに、眉をしかめて銀帝はその臭いのもとを見やった。


 キリに抱き抱えられ、その娘の命は風前の灯。

 娘は死ぬだろう。

 銀帝はそう思った。


「ミヤ…しっかりして…、ミヤぁっ」

 鬼の放った一撃は、ミヤの左肩を切り裂いていた。

 あふれ、流れる血を止める術は キリにはない。

「キリ……、怪我……無い……?」

 自分の方がよっぽど重症だろうに、ミヤはキリを気遣うように言った。


 その言葉は切れ切れで、弱々しい。

「あたしは平気だよ。怪我してないよ……」

 キリの両目に涙が浮かんでいる。

「そっか……」

 ミヤは微笑んだ。

「良かったね…、キリ……。迎えに…来てくれたんだね……」

 か細い声が、キリの耳を通り過ぎる。


「待ってたひと……迎えに来てくれたね……。 ね…、これからも……キリは信じなきゃ駄目だよ……。 絶対に…諦めちゃだめだよ……」


 うん……、うんとキリは何度も頷いた。

 その様子に満足したように、ミヤはゆっくりと 瞳を閉じた。


「あ……、かかさまの声がする…。呼んでる……」

 ゆっくりと力が抜けてゆく首。

「かかさま……、迎えに来て…くれた……」


 ――嬉しい……――


 ふわりとミヤは微笑み、首の力が完全に抜けた。




 銀帝の耳に、あの死霊の女の歌声が聞こえる。

 そして、少女の嬉しそうな笑い声も。

 力尽きた骸に縋りつき涙を零すキリには、聞こえては居ないが、確かに、その声は聞こえてきた。


 娘の父は迎えにこなかった

 だが、代わりに母が迎えに来た。

 二人はこの森で、死霊となって彷徨い続けるのだろうか……。

 などと、そう考えるものなど誰一人として居やしない。

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