銀色の妖狐と子青鬼

 少女たちが、恐ろしい鬼女のもとから逃げ出そうと試みたその刻から、暫し時を遡る。


 森の奥にある一本の、樹齢千年の杉の木下に、3つの影。


 長身の影は、銀色の狐妖。

 四肢を持った影は、角を額持つ黒馬。

 一番小さな影は、血の気のない、蒼い肌をした子鬼。


「キリの奴…、銀帝さまの言いつけを破るとは、なんとけしからん!」

 子鬼のラギが、声を荒げている。

 妖狐、銀帝は黙ったまま、少女を置き去りにした杉の木を見据えていた。


 不意に、銀帝が言葉を放つ。

「キリのほかに…人間の子供の気配が残っている……」

 主の言葉に、ラギは「人間の子供?」と聞き返す。


 ――しかもこの人間の子供…、微かに鬼女の気配が混ざっている……――


 銀帝の鋭い勘が、自分と同じく闇に生きるものの気配を敏感に感じ取っていた。


 ふわり、という擬音が相応しいほど軽やかに、銀帝は踵を反し、歩き出す。

「ああ、銀帝さまどちらへ? お待ちください!」

 ラギが慌てて銀帝の後を追おうとした。

 だが

「お前はここに残れ」と、主に命ぜられ、やむなくその足を止めた。


 銀帝の背中が、夜の森の奥に消えてゆくのを、ラギは見送り、はあ、と一つ溜息をついた。


 ――銀帝さまはなんであんな人間の小娘一人を構うんだ…? ちょっと助けてやったら、勝手に懐いて、ついてきて、迷惑な存在だと言うのに……――


 そうは思えど、口には出来ない。小鬼は小心者である。



 一方、森へと逃げ込んだ少女たちは……


 はあはあと、息を切らせ、少女たちは必死に走った。

 鬼女に見つかれば、間違いなく連れ戻され、共々食い殺されてしまうだろう。

 そんな訳にはいかない。


 少女たちは走った。

 必死に、必死に走った……。

 だが。


「あれ?」

 キリが、戸惑ったような声を出した。

「どうしたの?」

 と、ミヤが問う。が、すぐに「ああ!」という声に変わった。

「もとの里に……戻ってきちゃった……」

 キリは言った。


 確かに二人は森の中へと走っていたはずなのに……。

「どこかで道を間違えたのかも! もう一回行こう!」

 呆然とするミヤにそう声をかけて、キリはまた走り出す。

 それに倣ってミヤも彼女を追って走り出した。



 その頃、いなくなってしまったキリを探す銀帝は……。


 ――おかしい……――


 キリの気配を辿って、歩いている筈の銀帝。

 だが、何かがおかしい……。

 そう思いつつも、歩みを止めず森を進む。


 すると目の前に、大きな杉の巨木。


 その木の根もとには、ラギと一角の黒馬、黒曜がいた。


「あれ? 銀帝さま、もうお帰りですか?」

 銀帝の姿を目に留めたラギが、彼のもとへ走り寄ってくる。


「どうやら、鬼女はこの森に結界を張っているようだな……」


 鬼女のもとへは近づけない、鬼女のもとから逃げられない。


 厄介な結界だ。


 せめて結界がどの場所に張られているのかが解れば、妖力をもつ愛刀で結界を破壊出来ようものなのだが。

 空間と空間をゆがめてつなげてしまう結界は、何処から結界で何処から結界の外なのか見分ける事が困難だ。


 ちっ、と銀帝は小さく舌打ちをした。


「あの〜、銀帝さま……、このままキリを捨ててゆくというのは…いかかでございましょうかね?」

 ラギが恐る恐る進言する。

 とたんに銀帝の足の先が、ラギの顔面に直撃。蹴り飛ばされた。

 ラギの言葉への返答がそれだ。


 ――なるほど…実はキリを随分と気に入っておいでなのね…銀帝さま……――

 そう心で独りごちながら、ラギはそのまま転げていった。


 不意に、ざわりと森が震えるような風が吹いた。

 その風に乗って、何かが聞こえてくる……。


 微かに聞こえるそれは歌声。

 銀帝の妖としての優れた聴覚がそれを捕らえた。


 女の歌声。

 子守唄なのだろうか……。


 その歌声は、ゆっくりと……、ゆっくりと近づいて来た。

 ゆらり・・・ゆらりと、真っ白な装束を来た女が、銀帝たちの目の前に現れる。


「ぎっぎぎぎっ…銀帝さまっっ、こやつっ!」

 ラギが慌てふためいて女を、細く長い指で差す。

「死霊か…」

 銀帝は何の感慨もなく、そう独りごちる様に言った。


「このようなあさましい姿を、御身に曝す事をお許しくださいませ…」

 半透明な姿をした、死霊の女は銀帝の前で膝を付き、額に大地を擦りつけるように礼をした。

「とてもお力のある御仁とお見受けします……、どうか…どうか、わたくしの願い、お聞き届け下さいまし…」

 大地に伏したまま、女は言葉を続けた。

 だが銀帝は、女に背を向け、森の奥へとまた足を進め始めた。


「ああ……、どうか…どうかせめてお話だけでもお聞き届け下さいませ……。この杉の根もとに居た娘御の事も絡んでいるのです」

 頭を上げ、必死に懇願する女。

「この杉の根もとに居た娘……、キリの事か?」

 ラギが女の前に立ち、問う。


 女はこくりと頷いた。

 銀帝の足が止まる。

「聞いてやる…、話してみろ」

 視線は森の奥を見つめたまま、言葉みじかに銀帝は言った。


「この杉の木の根に居た娘御は、わたくしの娘が連れ去ってしまったのでございます……。この森に住まう、鬼女のもとへと……」


 女は、情の深い女だった。

 夫に愛され、子宝に恵まれ、幸せな日々を送っていた。

 だが、末の息子を産んだその時の産後の肥立ちが悪く、そのまま弱り果てて死んでいってしまったのだ。

 女は我が子たちが、夫が心配で……心配のあまり成仏できず……。

 あさましい死霊となって、森を彷徨っていた……。


 女の話を、銀帝は黙って聞いていた。


 死霊として森を彷徨っていた死霊の女の目に、己の愛した夫が、己の愛した娘をこの森に捨て去る光景が映った。

 娘は独り、森を彷徨い……そして鬼女に連れ去られていった……。


 死霊となった女には、それを阻む術はなく、ただ、娘の身を案じ、泣き暮れるだけ……。

 そうして泣き暮れる女の前に再び、娘の姿が映った。

 鬼女の館から逃げ出したのかとも思ったがそうではなかった……。

 娘は、杉の木下に蹲る少女をつれ、鬼女の住む館へと……。


「お願いでございます……、わたくしの娘をお助けください…。どうか……ミヤを……」

 涙で頬を濡らし、女は懇願する。しかし。

「貴様の願いを聞く義理はない……」

 銀帝の返した返事は冷酷なものであった。


「鬼女の結界の場所を……お教えします! 死霊となった今のわたくしなら、鬼女の結界を見る事が出来ます……、現し身をもたない わたくしの目にならば……」

 女は食い下がるようにそう言葉を放つ。

「お願いでございます、娘を人里に連れ戻して欲しいとは申しません、ただ、鬼女を倒し、娘を鬼女から救い出して欲しいのです!どうか……、どうか……」


 さくりと、草を踏む音が死霊の女の耳に届いた。

 そして、「案内しろ…」という言葉も。


 女は「はい!」と立ち上がり、銀帝の後ろに続いた。


「銀帝さま、わしもご一緒に…」

 ラギが後に続こうとするが、「邪魔だ」という一言で、一蹴。

 はぁと、ラギの溜め息が、深い森の奥にあっという間に消えていった。

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