鬼女と少女たち

 森に、少女たちの荒い息遣いが響く。

 どんなに息が上がっていても、少女たちは走る事を止めない。

 必死に、必死に森の中を走る。


 だが……。


「どうして……?」

 絶望に打ちひしがれた声で、ミヤが言う。

 目の前には、またあの鬼女の創った幻の里。

 逃げられない……。

 鬼女のもとから逃げることが出来ない……。




「夜中のかけっこは、楽しかったかえ? ミヤ、キリ」

 夜の森から飛び出した少女達に、低くしゃがれた声が降り注ぐ。

 はっとして、二人は辺りを見回した。

 だが、人影は何処にもない。


「悪い娘たちじゃな、そなたらは……」

 次に聞こえた声は……、二人の……背後から……。


 二人の幼女たちが恐る恐る振り返る。

 そこに立つのは、大きな紅の瞳をらんらんと輝かせ、眉はつりあがり、眉間に鋭い皺、そして耳まで裂けた、大きな口をもつ鬼。


 少女たちが悲鳴をあげる。

 そして、その鬼から逃げようと、走りだした。

 だが、すぐ 二人とも鬼女にその着物の襟首を掴まれ、捕まってしまう。


「ほんに 悪い娘たちじゃ……」


 そう言って、笑う顔。

 恐ろしさに、足が竦む。

 がたがたと、少女たちが震えた。

 そんな彼女らの姿すら、鬼には面白可笑しく映るのだ。


「今宵はキリだけを喰らうつもりじゃったが…、キリ共々ミヤ、お前も喰ろうてしまうかの……。わらわの言いつけを破ったのじゃからな……」

 少女二人の首根っこを、軽々と掴んでかかえ、鬼女は己の屋敷へと歩み始めた。


 すると。


「待って かかさま!」

 ミヤが声を上げた。

 鬼女は、ミヤの声など聞かぬとばかりに足を止める事をしない。

「かかさま、お願い!」

 ミヤはなおも鬼女に言葉を投げる。


「今更命乞いしても遅いわ!」

 鬼女は言う。

「お願いだからキリだけは助けて! かかさま!」

 その言葉には、驚いたらしく鬼女が歩みを止めてミヤを見た。

「ミヤ?!」


 キリも驚いたようにミヤを見る。

「キリを助けて。キリだけは殺さないで。あたしはかか様に食べられちゃってもいいけど、キリだけは……!」

 そう懇願するミヤ。


 不意に、少女たちの首を掴んでいた手が離れる。

 大地に尻餅をつく形になり、小さな悲鳴をあげる幼女たち。

 そして、何故鬼女が自分たちを解放したのか解らず、思わず二人して彼女の顔を見る。


 くっくっくという、喉を鳴らす音が、二人の耳に届いた。

 鬼女は片方の手で顔を隠し、もう一方の手で腹を押さえて、笑っているのだ。


「解らん娘よな。 己の命乞いならいざ知らず、昨日の今日出会ったばかりの娘の命乞いをするとは……」

 鬼女は「笑いが止まらぬ」と笑いつづけた。

「あたしは、死んじゃってもいいの! どうせ ととさまに捨てられて、死ぬしかなかったんだから! 早いか遅いかの違いだけなんだから!」

 ミヤは言った。


「どうせキリも、お前と同じ身の上であろう?」

 愚かしいとばかりに鬼女はミヤを見やった。

「そんな事ない! キリは捨てられてなんかない! アタシが嘘ついて騙して連れてきたけど……、迎えなんてこないって、そう言ってわざと不安にさせたけど……、けどキリには迎えが来る! きっと迎えにきてくれる!! 完全に捨てられたあたしとは、違う…違うの!」

「ミヤ……」

 キリは目を見開いた。


――きっと迎えにきてくれる――

 その言葉がキリの胸を打った。


 ――迎えにきてくれる? 銀帝さまは、あたしを捨ててない?――


「でも…、ミヤ…」

 あたしもミヤと同じで捨てられたんだよ と、キリはそう言おうとした。


「きっと迎えにきてくれるんだって信じなきゃ、ダメだよ!」


 また、ミヤの言葉に心を打たれた。


 ――信じる?銀帝さま……。

 キリは銀帝さまに捨てられたんじゃないって……。絶対に迎えにきてくれるって……。

 キリは信じることが出来なかったよ……。


 あの杉の木の下に一人ぼっちで置いていかれて……。銀帝さまに捨てられたんじゃないかって……、そう思えて、怖かった……。

 だって、キリは銀帝さまに勝手についていってるだけだったから。銀帝さまがキリについてきていいなんて、一言も言った事はなかった。


 ただ、あたしが銀帝さまについていきたかったから、銀帝さまの傍に居たかったから後ろをついていってただけだから…――


「あたし、ととさまの事信じてた……。必ず迎えにくるから待ってろって言葉を信じて待ってた……。 でも、ととさま迎えにこなかった……」

 キリの肩をそっと右腕で抱き寄せて、ミヤが語る。


「信じるって難しいよね……。裏切られるの、怖いよね…。

 あたしみたいにキリも裏切られるかもしれないけど、キリはまだ、本当に裏切られたのか判ってない。

 もしかしたらもう、あの杉の木に迎えにきてて、いなくなったキリの事探してるかもしれない」


 そして、耳元で囁く。希望の言葉を。


「キリはまだ、諦めちゃだめ」


 キリの瞳に、涙が溢れた。


 ――諦めちゃ駄目。銀帝さまは、キリを捨ててない。迎えにきてくれる。

 だって、そうだよね。

 その気になれば、銀帝さまはいつだってキリを捨てられた。


 後ろについてくるキリを邪魔だと殺す事だって出来た。

 それなのにそうしなかったのは、銀帝さまがキリが付いてゆく事を許してくれたからで…。


 だからキリは、銀帝さまを信じるよ――

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