ミヤとかかさま


「ただいま、かかさま」


 確かにそこには人里があった。

 夕刻になろうという刻限、沢山あるとは言えない家々から立ち上る、夕食の湯気。


 その家々の中で、一番作りの良い家にミヤはキリを連れて入った。

「あら、お帰り ミヤ」

 家の奥から、美しい女性が現れる。

 女性は、キリを見ると「おや?」という顔をした。


「この子、キリっていうの。山に置いて捨てていかれたみたいなの……」

 ミヤはキリを女性の前に立たせて言う。

「まあ…、それは可哀想に……」

 女性はキリの肩をぎゅっと抱きしめた。

「さあ、いらっしゃい。お腹空いたでしょ?その時にゆっくりお話を聞かせてもらうわ」


 そう言って女性は、キリの手を引いて家の奥へと誘う。

促されるまま、キリは黙って足を動かした。

 その後ろで、ミヤが目を伏せてキリから顔をそらした事に、気付く事無く……。


 その夜、キリにとっては久方ぶりの、まともな食事だった。

 今までのキリの食事といえば、茸や木の実、人里の畑にある農作物だけ。調理して出されたものは、そうそう口に出来るものではなかった。


 だがその食事も、キリの喉にはとおらない。

 そんなキリの様子を見て、女性は「どうしたの?」と問う。

「どんな悲しい事があったのか…、おばさんに教えてくれない?」

 とも問うた。


 だがキリは答えない。

 女性も、まだ気を落としたままのキリに深く追求する事をせず、食事を終えるとすぐ、キリを寝所へと案内してやった。


 寝所に床を敷き、ミヤと並んで眠るよう促すと、女性は一人何処かへ去って行った。



「キリ……。起きてる…?」

 床に潜り込んで一時ほどだろうか、ミヤがキリに問う。

「起きてる……」

 キリはそう答えると、布団から身を起こした。

 それに倣うようにミヤも起き上がる。

 そして「ちょっとまってて」と、キリに言うと寝所から出て行ってしまった。


 程なくして、ミヤはキリのもとへ戻ってくる。

「キリ、もとの服に着替えて」

 ミヤはそう言うと己も寝間着を脱ぎ始めた。

 何をするのかと言いたげに首をかしげるキリに、「急いで!」とミヤは強く声をかける。

 それに弾かれるように、キリも慌てて寝間着から、着物に着替えた。


 着替え終わると、ミヤはキリの手を引いて寝所から出る。

「ね…ミヤ、何処に行くの?」

 キリがそう問うと「しっ!」っと、ミヤは唇に人差し指を差し当てて見せた。

「黙ってついてきて。 かかさまに見つからない様に……」

 ミヤの意図が汲み取れず、キリはただ首を縦に振って答える事だけしか出来ず、手を引かれるままについて行く。


 夜闇の中、小さな二つの影が小さな村里を歩いている。


 だが、どうした事だろうか……?

 夜中とはいえ、何かしらの物音一つあってもよさそうなのだが、何も物音が聞こえない…。


 いや、微かにだが、キリが今の今まで居た家の方向から、なにやら刃物を研ぐ音が聞こえてきている。

 しかし音はそれだけだ。


 訝しげに、キリは辺りを見回した。


「キリ、遅れないで。 急いで!」

 声を細めて、それでも強い口調でミヤはキリに言った。

「ねえ、ミヤ……。この里……変で気持ち悪い……」


 夕刻、この里に来た時は確かに人の気配を感じた。

 なのに今はどうだろう?

 全く人の気配を感じられないのだ。


「……ここは…かかさまが作った幻の里なんだ……」

 ミヤがキリの問いに答えた。

「幻…?」

 「うん」と、ミヤは頷き、今までも速かった歩調を更に速めた。


「はじめてあった時、言ったよね。この森には、子供を食べる鬼がいるって……」

 キリの手を引き、里の外、森の方へ進みながら、ミヤは言葉を紡いだ。

「その鬼が……かかさまなんだ……」

 その言葉に、キリの瞳が驚きで見開いた。


 ミヤの話はこうだ。


 ミヤは、数日前に口減らしのために、父にこの森に置き去りにされ、捨てられてしまったという。

 一人、森を彷徨っている所、あの女性に出会い、招かれるまま、このまやかしの里へと連れてこられたのだ。


 女性は己の正体が鬼女である事をミヤにあかし、自分と同じ年頃の子供を、鬼女のもとへと誘う役目を命ぜられたのだと。その際、鬼女は己の事を『母』と呼ぶようミヤに命じたという。


「逆らえば…あたしが かかさまに食べられちゃう…だから…」


 ミヤはその日から毎日森を彷徨い、同年の子供はいないか探し回るようになったのだった。

「そしてね…、キリ…あんたを見つけたんだ……」

 ミヤは最初から、キリを鬼女のもとへ連れ去る為に彼女の前に姿を現したのだと、そう言った。


「でもさ……、でも……。あたし死ぬの怖いし…、食べられるのなんかまっぴらだってそう思うのに、キリだってそう思わないはずないよねって…。 誰だって死ぬのはやだよねって」

 ごめんね……と、小さな声と共に、一粒の涙がミヤの頬を流れた。


「ありがとう…ミヤ……」

 キリは自分の手を引くミヤの手をぎゅっと強く握り返した。

「教えてくれてありがとう。助けてくれてありがとう。ミヤはとっても、優しいんだね」


 そして、キリは力強く「行こう!」とミヤに声をかけると、今度はミヤの手を引いて走り出した。

「二人で、逃げよう!」

 ミヤにそう言う。

「うん!」

 二人の少女は森の奥へと走り去って行った。

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