人喰い鬼女と幻の里

Seika

置き去り少女と誘い少女

 それは、気が遠くなるほど遠い過去。

 魔と人が交じり合う混沌とした時代。

 


 深い深い山の中。

 緑の針葉樹の生い茂る山。

 そこには、樹齢千年ほどはあろうかという杉の大木があった。


 根元には、年のころ十程度の少女が一人ぽつりと佇んでいる。

 少女は一人、ぼーっと杉の老木を見上げ、木洩れ日に身をさらし、清浄な森の空気を胸に吸い込んでいた。


 少女の名はキリ。

 普段なら、銀色に輝く妖狐の足元を、小さな歩幅で必死に歩いて付いて回っている娘だ。

 だが今日は、その妖狐が、世話係の子鬼と一本角を持つ妖の黒馬を連れて出かけてしまい、一人ぼっち。

 この木下に置き去りにされたのだった。


 銀の妖狐は一言、

「この木の下から、離れるな」

 と言葉を残して、出かけた。


 キリも、主である彼の言葉を守り、半日の間、一人で、狐の大妖の帰りを待つのだった。



「こんな所で、何してるの?」

 不意に背後から声を掛けられ、キリは振り向いた。

 そこには、自分と同年くらいの少女が立っている。


「だれ?」

 キリは思わず彼女に問うた。

「あたし? ミヤっていうの。ここの近くの村に住んでるんだ」

 ミヤと名乗った少女はそう答えると、「君こそ、どうしてこんな所にいるの?」と、問いかえす。


「あたしはキリ。一緒にいる人がいるんだけど、今その人がお出かけだから、待ってるの」

 「ふうん…」と、ミヤはそう言いながらキリに近づいた。

「ねね、一緒に遊ばない? ここの近くにとっても綺麗なお花畑があるの」

 そう言って、キリの手を握る。


「だめ。ここから離れちゃダメだっていわれてるの」

 キリはそう言ってミヤに握られた手を引いた。

「ここから? なんで?」

 不思議そうにミヤは問う。

「解らないけど……、でも言う事を聞いてなきゃ…」

 ミヤに握られていない方の手を使って、自分のもう片方の手を掴むミヤの手を外し、キリは答えた。

 

 そして、キリは杉の巨木の木の根に腰を下ろす。

「ねえ、何時からここにいるの?」

 ミヤはまたキリに問う。そして、間を置かず次の言葉を投げかける。

「もうすぐ日が暮れちゃうよ? この辺りには、人間の子供を食べる鬼がいるんだって。 その鬼は、夜になるとこの森を彷徨ってて、子供を見かけたら食べちゃうんだって」


 ここにいるのは危ないよ?と、ミヤは付け加えた。

 そんな話を聞くと、流石にキリも恐ろしくなる。

「でも、それまでにはきっと帰ってきてくれるよ……」

 キリは自分を奮い立たせるように言った。

「ねえ…、その人って本当に迎えに来るのかな?」


 ミヤのその言葉に、キリは思わずハッとして目を見開いた。

「この森はね、時々口減らしに子供を捨てる山でもあるんだ……」

 キリに、ミヤが言いたい事はすぐに理解できた。


 自分は、あの主に捨てられたのではないのか?


 まさかと思って キリはふるふると頭を振った。

 でも……と、キリは思う。


 飢饉に見舞われ、食べ物を失った家族は、皆、餓死していった。キリも餓死する寸前で。

 そんな時、キリは銀色の狐の妖、銀帝に拾われた。

 

 そして、その日以来、キリは銀帝を己の主と思い、共に日々を過ごすようになった。

 しかし、それはキリが勝手に銀帝の後をつていっているからといってもおかしくない状況で。


  まさか…銀帝さまはキリをここに捨てていってしまったの?

  銀帝さまはキリが邪魔になったの?

  だから いらないって、置いていかれたの?


「あたし…捨てられちゃったのかな……」

 あまりに悲しい出来事に、瞳が涙で潤む。

「ね…、良かったら家にこない? あたし、かかさまと一緒に暮らしてるんだけどさ。かかさま、優しいから きっと、キリの世話してくれると思うんだ」


 今にも泣きそうな キリの肩に手を置き、ミヤが優しく言った。

「かかさま? ミヤのおっかあ?」

 涙目のまま、キリはミヤを見上げる。

「本当のかかさまじゃないけど、でも、とっても優しいんだよ」

 そう言ってミヤは、にっこりと微笑んで見せた。


 そして、キリはミヤに手を引かれ、杉の巨木を離れた。


 ミヤに促されるままに、その後をついて歩く。

 彼女が歩く方向。それは、人里へ下りる道ではなかった。


 深い森の更に奥へ。


 だがキリは、そうである事に気付いていなかった。


 ――あたしは…銀帝さまに捨てられちゃったんだ……――


 その思いだけがキリを支配し、気持ちを、神経を曇らせた。





 深い森のその奥に、二つの小さな影が まるで神隠しの様に消え去ったのを、目にしたものは 誰もいない……。

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