TSアイドルにはスキャンダルはない

石田空

週刊誌だってこの恋は撮れない

「みんなー、今日はコンサートに来てくれてありがとうー!」


 ふわふわのミモレ丈のドレス。天井から降って来る紙吹雪。今日は初の単独コンサートで、チケットの売れ行きはどうかと心配していたけれど、無事に完売。転売対策に電子チケットしか売れなかったのが心苦しいけれど、ファンのマナーは概ね良好だった。

 ラストナンバーを歌い終わったあと、幕が降りる。

 ああ、終わった。


「お疲れ、みもれちゃん!」

「はい、お疲れ様です!」


 コンサートスタッフに挨拶をしながら控室に急ぐと、急いでステージ衣装を脱ぎ、靴を脱いだ。

 びっくりするほど華奢な体格に、少しだけ肉が乗っている。髪はふわふわのツインテールだったが、急いでそれを解く。

 だんだん柔らかい女の子の体型はなりを潜め、体のラインは硬くなっていく。長かった髪はしゅるりと短くなり、どこからどう見てもアイドルの愛川みもれはどこにもいなくなっていた。

 用意していた男物のシャツとデニムに着替えると、スポーツスニーカーに履き替えた。

 しばらくしたら扉を叩いてきた。


「はい」

「相川くんもう着替え終わった?」


 マネージャーだった。


「はい」

「じゃあ開けるね」


 俺の体質は家族以外だったらうちの事務所の社長とマネージャーしか知らない。

 愛川みもれがいなくなっても、マネージャーは普通の顔して入ってきた。


「お疲れ様、初の単独コンサート、無事成功ね」

「ありがとうございます……でも正直、単独コンサートのほうが楽ですね。他のアイドルに気を遣わなくっていいんで」

「そうね……さすがに他のアイドルと一緒に着替えさせる訳にもいかないし。社長にも今回のコンサートのことは報告しておくから。これで今後も単独の仕事が増えるといいんだけどね」

「そうっすね」


 こうしてミーティングを終えると、会場から出て行った。

 単独コンサートに出たら、絶対にいるだろうなと思っていたが、やっぱり週刊誌の記者があちこちで張り付いている。こりゃコンサートスタッフが撤収するまでずっと張り付いているだろう。ご苦労なこった。

 俺はそう思いながら帰っていった。


****


 俺、相川達樹がある日女の子になるようになったのは突然だった。

 最初は朝起きたら胸が膨らみ、髪が伸びて背が縮んでいたときは、聞いたこともない甲高い声で悲鳴を上げたが、それを見た途端に親に「あー……」と言われた。


「うちの家系、第二次性徴が来たら性別がころころ変わるから」

「そんなの初めて聞きましたけど??」

「日常生活は、最初に固定した性別で過ごすからねえ。でもお父さんも会社で働くときは女社長として働いているし」

「え、親父が会社経営している理由って、その性別がころころするのを隠すためだったの?」


 休みの日でもすぐ会社に行くから、うちの親は子供よりも会社のほうが好きなんだといじけていたけれど、まさか世間一般から自分の体質を隠すためだったなんて、なんで知ることができるのか。

 それで気付いた。


「……怖い話をするけど、おふくろと出会ったのって」

「お父さんが会社で働いているときに営業しに来た営業マンがお母さんだったんだよ」

「社会で働くとき、男の性別のほうが働きやすかったからねえ……まあ達樹も就職の際には性別ころころするのをどうにか隠し通せるところで働いたほうがいいわね」


 そんな爆弾発言をされたほうの身にもなってほしい。

 こうして俺の高校時代は、女子と男子を行き来して生活することになったが、まあひどかった。

 女になったらいきなり声が甲高くなるし、体力も驚くほど落ちる。普段平気で担いでいる荷物だって、持ち上げることすらできなくなる。

 おまけに手入れしないと、まあ可愛くならないのだ。肌の手入れ、髪の結び方、女子と男子で体格が違うから男子の服がずれ落ちてしまうため、どうしても女子用の服も買わないといけないが、男と同じ格好しても駄目だろうと、どうしても男の服よりも女の服のほうが金をかけて買っていた。

 大学入学した際に、どうにか女物の服を買いたくて、割のいいバイトを探したら、結局はメイド喫茶になり、そこでメイドとして働いていたところで、スカウトに出会ったのだ。

 正直体質が体質だ。性別がころころ変わるから、四六時中女でいることはできないと断ろうとしたが、逆に社長に火をつけてしまった。


「……素晴らしい」

「はい?」


 男の体格の合ってないメイド服だったら、パツンパツンに肩が張って破れてしまうからと、着替えた量販店のシャツとデニムで俺は社長の高笑いを見た。


「人はいきなり変身してしまう人がいるなんて理解できない! つまりはスキャンダルが一切起きないってことだよ! 素晴らしいって思わないかね!? ちなみに君、好きなのは男なのかい? 女なのかい?」

「いえ、自分普通に女の子が好きなんですけど……そもそも女子になったからって、いきなり好きな性別が変わることは……」


 思い返しても、高校時代から女の姿になったからって、男を好きになることはなかったな。

 そう言うと、社長にますます「素晴らしい!」と叫ばれた。


「アイドルはひとつのスキャンダルで簡単に落ちぶれるからね。君はそれが起こりそうにないから。あとは元の姿になったときに他のアイドルと問題起こさないでくれたらいいよ!」

「はあ……」


 こうして、俺は「メイド喫茶よりも稼ぎがよさそう」という軽いノリで、アルバイト感覚でアイドルになってしまったのだった。

 しかしバイトだと思っていた仕事が、思っている以上に売れてしまったのだ。今時SNSを全部事務所に投げっぱなしでオフ写真一切なし、個人情報一切不明だが歌と可愛さでいきなり出てきたアイドルということで、なんか受けてしまったのだ。

 こうして普通の男子大学生と人気アイドルの二足のわらじがなんとなく履けるようになってしまったのだった。


****


「ふわあ……」

「アルバイト? あんまりアルバイトばっかり根詰めてやってたら、税金すごいよ?」


 昨日の初コンサートの余韻も残さず、今日は一限から授業だ。俺が大きくあくびをしていたら、くすくす笑いながら声をかけてきた声に、ドキンとした。

 長い髪をひとつに束ねていて、その髪は長いけれどたるみひとつない。ユニセックスなトレーナーとパンツルックなのに、彼女の背の高さだとそれがひとつの魅力に見える。

 同じ学年の早見さんだ。

 たまたま同じ授業を取っている中、互いにレポート書く際の資料集めをしている内に仲良くなった。

 隣で座っていると、ハーバル系のシャンプーのいい匂いが漂ってきて、思わず鼻の下が伸びそうになるのを必死で堪える。


「いや……その辺りはちゃんとしてるから」


 全部わからんから、親父が世話になっている税理士に全部投げているなんて言えない。

 それに早見さんはニコリと笑う。


「そうなんだ。あのね、今日の授業なんだけど……」


 早見さんの言っている言葉が、だんだん呪文に聞こえてきて、めまいを覚えてくる。

 ……しっかりしていて、美人で、その上いい匂いがする。男は現金過ぎる。ちょっとしゃべっただけで、彼女はもしかして自分に気があるんじゃないかとか、都合のいい話をつくりそうになるのを、必死で堪える。

 バイト感覚とはいえど、芸能界に片足突っ込んでいたら、よくわかるのだ。ただの世渡りのために、女子が必死で男と距離を詰めるっていう処世術を使ってくるって。

 早見さんのこれが処世術かどうかは馬鹿な俺だと判別は付かないけれど、そんな都合のいい目で見ちゃ駄目だって。

 なによりも。高校時代は性転換が上手くコントロールできず、周りからも「なんか知らんがよくいなくなる奴」という扱いを受けて、まともに男女交際なんてできなかった。

 どのタイミングで告白して、付き合いはじめればいいのか、そもそもいきなり性別変わる奴をどうこういう目で見られるのかという問題があり、ただしゃべっている関係から一歩も進めなかった。


****


 俺の悩みはさておき、バイト感覚のアイドル活動は続く。

 マネージャーが「相川くん」と呼ぶ。

 ちなみに芸名が「愛川みもれ」で本名が「相川達樹」なおかげで、「相川くん」と呼んでおけば周りからは勝手に「愛川くん」と呼ばれていると判断される。


「はい?」


 俺はその日も女の子になり、用意された衣装に着替えたものの、まだ化粧はしてなかった。


「今日からメイクアップアーティストの人が化粧してくれることになったから」

「え……いつものメイクさんは?」

「それがねえ、引き抜かれちゃって」


 うちがメイクさんを雇う条件は、できる限り世間話が少なくて、短時間でいい感じに化粧をしてくれる人。

 ときどきメイクさんで、口が軽過ぎて、会話の内容を全部小遣い稼ぎに週刊誌に売ってしまう人がいるため、俺みたいな特殊体質の場合、口の軽いメイクさんを雇うのは死活問題にかかわる。

 そこでいきなりメイクさんが変わるのはなあ……。

 俺はげんなりしたけれど、マネージャーが「こちら」と引き合わせてくれた人を見て、思わず「おっ」と声を上げた。

 すっきりしたスラックスにトレーナーを着た男の人だった。地味にメイクさんは男は少ないため、物珍しく見えた。

 しかもこの人、最近雑誌でコーナーを持ってる。


「……富迅佐味さん?」

「おっ、俺のこと知ってくれてるんですか?」

「そりゃもう。最近雑誌でよく見かけますよね?」


 元々富迅佐味はネットでプチプラコスメでのメイクテクニックを公開していたら、甘いマスクの男性が教えてくれるというのもあり、あっという間にバズり、今やネット記事や雑誌のいちコーナーでも見ない日がいないというくらい有名な人だ。

 俺もメイド喫茶で働いているときに、なにを買えばいいのかわからない中で見つけ、これだったら俺でも真似できそうだということでお世話になったから、よく覚えていた。

 富迅さんは俺のほうにひょこっと顔を近づけながら、最初にスプレーで化粧水を浴びせてくると、それをすごい勢いではたいてきた。


「うん、基本のスキンケアはちゃんとやってる。毛穴はきちんと締まっているし、肌荒れもない。ただ少し脂が浮いてるのは、食べるの好きでしょ?」

「さ、触っただけでわかるんですか?」

「そりゃね。食べるの好きなのはいいけど、せめて仕事前にたくさん食べるのはやめてね」


 化粧水を肌に叩き込んだあとは、美容液数種類、乳液、下地のBBクリームを叩き込んでくる。そのあとファンデーションを塗ってから、色を塗り込んでくる。

 それで鏡を見せてきたのに、唖然とした。

 今までのメイクさんのときよりも、明らかに顔が小さくなっているし、俺むっちゃ可愛い。


「あ、ありがとうございます……ものすごく可愛いです……」

「それはよかった。なんというか、愛川さん、可愛いけどパサパサしてたから」

「パサパサ?」

「女の子特有のキャピキャピという感じかな? それが全然ないから。もちろん常日頃からはしゃぎ回っていたら人の神経逆撫でしちゃうかもしれないから、抑えるべきところでは抑えたほうがいいんだけれど。でもあんまりしないのも、可愛げがないって扱われちゃうから心配」


 そう言われて思わずギクリとした。

 同年代アイドルと一緒になった際、なにを見せられても「可愛い」とはしゃげるテンションについていけず、「すっごくサバサバしてますね!」と言われたことがあるが、あれは「可愛げがない」って意味だったのか……。

 俺はげんなりしながら「勉強になります……」としょげた。

 すると、富迅さんはそっと耳打ちしてきた。


「俺はそんな君がいいとは思うけど、損しないような行動を取ってね」


 そう言って離れて行った。

 俺は思わず半眼になる。

 男が女にそういうことを言うのは十中八九下心があるときだ。

 こいつ……俺が女だと思って、こうやったら落ちると思ってやがる。

 富迅さんがマネージャーさんに挨拶をしてから立ち去って行ったあと、俺は口の中で思わず言った。


「……なんっだアイツ。ムカつく」


 これは女子で言うところのどういう感情なのか、当時の俺は知る由もなかった。


****


 富迅さんをムカつくと思いながらも、彼のメイクアップ講座は参考になる。

 もちろんアイドル活動以外では滅多に女子に転じることはないけれど、心身共に不調だったら性転換をコントロールできないときはあるから、自分で化粧を覚えておいて損はない。

 スマホでムカつきながらも富迅さんのSNSのチェックをしていたら「あれ、相川くん」と声をかけられ、ギクリと肩を跳ねさせる。

 早見さんが俺のスマホをちらり見してきたのだ。

 ……見られた。見られた。アイドルのときは化粧して盛りも盛っているから見られる顔になっているが、普段の俺は平々凡々な顔つきだ。それでもアイドルの時に脂汗浮かべて歌う訳にもいかないから、スキンケアだけはちゃんとやってるが、男と女だと肌質が違うから、どうしても変えないといけない。

 早見さんはやんわりと言った。


「もしかして富迅佐味のメイクアップ講座見てたの?」

「は、ははははは……俺みたいな平々凡々な奴が見ていたとしても、あんまり変わらないというか……はは」


 どうにかスマホの電源を落として鞄に突っ込むけれど、早見さんは「そんなことないよ?」ときっぱりと言ってきた。


「ニキビできるのは男女問わずだし、芸能人みたいに下地を作り込む必要はないとは思うけど、少しやってたほうが健康そうに見えるから得だと思うし。でもそっかあ」


 早見さんは俺の頬をふにふにと撫ではじめた。その手先はフェザータッチではっきり言ってすごく恥ずかしい。

 早見さんは元々ものすっごく化粧して服を決め込んでいるタイプではないけれど、指先がきちんと手入れされていて綺麗だし、爪に至っては磨き抜かれてマニキュアを付けている訳でもないのに桜色をしている。ユニセックスな服装をしているけれど、持ち運んでいる鞄もポーチもおしゃれで、服以外に金を使っているタイプだとよくわかる。


「……すごいね、相川くんの肌。スキンケアきっちりしてる。大学生くらいだったら、男子はニキビ跡ひどいし、すぐ暴飲暴食で肌が荒れるのに。なにやってるの?」

「い、言われるほどのことは……」


 いい匂い。手が気持ちいい。おまけに顔が近い。

 俺は鼻が伸びそうな気がして、必死で堪える。早見さんは多分悪気がない。悪気がないんだから……。


「は、早見さん……距離近い。俺みたいなんが、勘違いするからやめ……」


 必死でそう言い募ると、早見さんは小首を傾げた。


「勘違いしてもらわないと、困るんだけど?」

「へっ?」

「ええ?」


 俺はとうとう、鼻の下を思いっきり伸ばして、早見さんの匂いを吸い込んだ。


****


「……相川くん、彼女できちゃったの?」

「そうなんですよぉ。大学の同期です」

「まあ……日常生活の男子のほうの生活はどうこう言えないけれど。でもアイドルしているときに、あんまりそういう感情持ち込んじゃ駄目よ?」

「いえ……仕事でそんなこと言える訳ないですし」

「でも、普段サバサバ系の愛川みもれから、キャピキャピオーラが出てる」

「へっ?」


 本当は早見さんと付き合いはじめたことは、黙っていてもよかったとは思うけれど。マネージャーには一応言うだけ言ったらこの反応だ。

 俺は俺のままのつもりだったけれど、初カノのせいで、どうも幸せオーラが漏れ出ているらしい。

 参ったな、自分だとそこまで浮かれているつもりはなかったんだけど。

 今日は雑誌の写真撮影だけだし、しゃべる必要はないとは思うけど。それはそうと、今日も富迅さんが「こんにちはー」とやってきた。

 思わず半眼になる。

 なんか俺に気があるみたいだったけどな、残念。俺カノジョいるからな、残念。

 思わずふてぶてしい顔になったら、いきなり富迅さんに頬をつつかれた。


「な、なんですかぁ……!」

「肌の手入れちゃんとできてる? うーん、ちょっと今日は乾燥気味かな?」

「ええ、いつものことしかしてないですけど……」

「夜遅くまで起きてたら、肌のターンオーバーがずれて乾燥気味になったりするよ。手入れはきちんとできてても、寝る時間が遅れちゃ駄目だよ」


 そう言いながら、前のときと同じく化粧水をスプレーしてくる。

 ん。俺が珍しく寝る時間が遅れたこと、どうしてこの人が知ってるんだよ。思わず目を細める。


「自分、SNSとか全部事務所に丸投げしてて触ってないですけど」

「それがいいと思うなあ。俺と違って愛川さん、少々詰めが甘いから」

「なら、なんで自分が夜更かししたこと……」

「そりゃ電話してたらねえ。何度ももう寝ろって言ったのに」

「うん? うん?」


 思わず富迅さんを上から下まで見つめた。

 体格も、声も、股間も。どう見ても男だった。だが、心当たりはひとつある。

 まさか。まさか……。


「ななななななな…………」

「というか、自分のハンドルネームをばらしたら、本名になるけど、本当に気付かなかったね? 相川くん」


 そう悪戯っぽく笑われた。


<了>

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TSアイドルにはスキャンダルはない 石田空 @soraisida

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