第3話

その日から不思議な事が起こり始めた。

最初は、その日の昼に起きた。

私が、混雑を避けて遅い昼食を摂ろうといつものラーメン屋へ向かって歩いていると、

「あれ、長谷川さんじゃないですか。どこ行くんです?」

同じ課の後輩に声を掛けられた。

「おう。ラーメンだよ、ラーメン」

「マジですか? とんかつ食ってラーメンて。ええっ?」

「えっ? とんかつ?」

「さっき、とんかつ食べるって言ってカツ屋食堂入って行きましたよね?」

「えっ? カツ屋食堂? 行ってないよ」

「ええ? だってさっき話しましたよね? え? じゃ、僕は誰と話したんだ? でも…ですよねー。とんかつ食ってラーメンとかないですよねー。んじゃ先戻ってます」

後輩は首を傾げながらも笑って行った。

その数日後には、

「長谷川さん、昨日会社出てから佐藤工業回ったんですか? 出勤する途中で夜勤明けの副工場長とバッタリ会ったんですけど、昨夜長谷川さんが機械の様子を見に来てくれたって。夜勤時間帯にエンジニアが来てくれるのは有難いって言ってました」

昨夜は、一人家で飲んだくれて寝てた…よな、確か。

またある時は、一人、会社でうたた寝していると

「あれ、もう終わったんですか? まさか秋元精機直しちゃったんですか?」

「あ、秋元?」

「ええ、午前中大手町で会った時、秋元精機直してくるよって言ってたじゃないですか。秋元は昨日の会議で、もう対策は無理じゃないかって話でしたよね。もう古いし、駄目なら全取っ換えを勧める方向でって。でも、さっき長谷川さん、直してくるよなんて、かるーく言うんでどうなるんだろって思ってました」

俺、今日は皆出払ってるんで昼前からここで寝てた…んだよな。

そんな事が何度もあり、もうこれは何かが絶対におかしいと思った頃、私は風邪を引いてしまった。

何かがおかしい今の状況を解決するのは、先ず風邪を直してからだ。

何しろ熱が高くて動けない。

会社に休む旨の電話を掛けるのだが、何度掛けても誰も出ない。

おかしいなと思ったが、出勤しなけりゃあっちから掛かってくるだろうと思い、自宅アパートで寝ていた。

結局電話は掛かってこなかった。

三日ほどすると熱も下がり動けるようになったので、出勤する事にした。

この時私は、三日も無断欠勤しているのに電話も掛かってこないという状況から、ある、有り得ない事を考えていた。

まさかな。

いつもより早く会社に着くと、会社の向かいのビルに入った。

このビルは雑居ビルで各フロアにいくつものテナントが入っている。

二階に上がり廊下にある窓へと向かった。

この窓からは私の会社の入り口が見える。

ここから会社へ出勤してくる人間を一人ひとり見ていった。

8時半、いつも私が出勤する時間。

私は意気揚々と会社へ出勤していく「私」を見た。

やっぱりな。

有り得ない事だったが、そうでもない限り、ここ最近起こっている事の説明がつかない。

「よし」

私は雑居ビルの階段を駆け下り、目の前の会社へ向かった。

あいつが何者か突き止めてやる。

整形手術なのか何なのか知らないが顔まで同じにして私に成りすましている野郎の化けの皮を剥がすんだ。

会社に入ると自分のデスクへ向かった。

奴は?

いない。

周囲の社員もいつもどおり普通に仕事をしている。

「あ、長谷川さん。ここにいたんですか。部長がお呼びです」

「えっ? 部長が?」

「一昨日の件で、何か言われるんじゃないですか?」

「一昨日?」

「佐藤工業の件ですよ。お褒めの言葉かな?」

「?」

一昨日は風邪で寝ていたんだぞ、私は。

あいつか、あいつが何かやったのか。

それにしても奴はどこへ行った。

奴を探しながら部長室へ向かった。

「長谷川です」

「ああ、入ってくれ」

「失礼します」

中に入ると、そこには課長もいた。

「長谷川君、よくやってくれた」

「はい?」

「佐藤工業だよ、佐藤工業。君、夜勤帯に訪問して、副工場長に他社製品の壊れかけた個所を教えたそうじゃないか。そこで作業するのは危険だと言って」

「は、はぁ」

「夜勤帯にしか動かさない機械なんで、メーカーのフォローも疎かになってたらしいな。一昨日それが脱落する事故があったが、君の忠告を聞いた副工場長がそこでの作業を禁止していたから幸い怪我人が出なかった。昨日、工場長からそのお礼の電話があったのは聞いとるな?」

「は、はい」

「で、さっきな、今度は佐藤工業の社長から直々に俺に電話があった。その脱落した機械も含めて生産設備の約三分の一を新規設備に交換したいとな。そしてそれを全てうちに任せたいんだと」

「ええっ?」

「うちは佐藤工業の社員の命の恩人だと言っとったよ。はっはっは。長谷川君、お手柄だ」

「は、はぁ、恐縮です」

だから、それは私じゃない、私じゃないんだよ。

ひとしきりお褒めの言葉をもらって部屋を出た私は、会社中を探した。

奴はどこだ?

営業から経理、総務、庶務の席を回り、トイレの個室迄見て回った。

だが結局奴は会社のどこにもいなかった。

探し疲れ、席に着いて考えた。

私がいる間、奴は出て来ないのかも知れない。

決して鉢合わせしないようにしているのか?

もしかして、誰かが成りすましているんじゃなくて私の分身みたいなのがいるのか?

まさかな。

でも待てよ、もしそのまさかなら、物は考えようかも知れない。

奴は優秀だ。少なくとも本人より優秀で、且つ勤勉だ。

私の代わりに仕事をしてくれる。

私はただ遊んでいればいいという事か。

だったらこんな旨い話はない。

んじゃ、今日はもう帰ってもいいってことだな。後は奴に任せれば良いって事だ。

私は給料だけもらえれば、それでいいんだ。

そう思うとふっと気持ちが軽くなった。

何が起こったか分からないが、不思議な事もあるものだ。

でも、明日から私は何をすればいいんだ?

私の代わりに奴が仕事して、私はただただ遊んで暮らせばいいのか?

そんなに旨い話があっていいんだろうか。

私は、どこかに不安な気持ちも抱いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る