第4話

 深い意味がない事はわかっているけど、先生の口から褒められるような言葉が出ると一気に体温が上がった。顔が赤くなっていくのが分かる。

 言った本人は特に気にするでもなく、リラックスした顔つきでわたしを見ていた。

「じゃあお兄ちゃんにかまってもらった休みだったんだな」

「違います。構いたくないから部屋に逃げ帰りましたよ」

「あーあ。可哀そうなお兄ちゃん」

 成瀬先生はクスクスと笑うと、ちらりと腕元の時計に視線をやった。


「忙しいですか」

 目敏いと思われないよう気を使いつつ聞くと「まあ、」と濁したように答えた。

「教師はそれなりに忙しいよ」

 そう言いながらも成瀬先生は立ち上がるそぶりをみせなかった。どっしりと腰を下ろして静かな空間を味わっているように見える。

 わたしは先生の邪魔をしないように息をひそめてその横顔を盗み見た。


 こんな誰も来ない用具室でも鍵はかかっているのが通常だ。というか普段の生活の中でこんな場所があることさえ気がつかなかった。

 元々そんなに使うことのない廊下の先だし、階段の奥に隠れた様にあるこの場所を知ったのは偶然だった。

 あの日も部活がなくて、でもなんとなく家に帰る気にはならなくてぼんやりと廊下を歩いていたんだった。空が明るくてまぶしいのにわたしの気持ちだけがうつうつとしていた。特に何があったわけじゃない。ただ時々そういう風に落ち込む時がある。

 階段を下りて廊下を進もうとしたわたしの視界をチラリとかすめるものがあった。こんな人気のない場所でとぞっとしながらも視線だけは逸らせない。目をやると成瀬先生が開いた扉の中に姿を消したところだった。

 こんな場所に? と訝しく思いながらそっと扉をあけた。やっぱりあの時も冷たい風が吹いて、古いものの匂いがしたんだ。

「先生?」

 小さく呟くと驚いたように先生が奥から顔を出した。

「朝比奈? どうしてここに」

「先生こそ。たまたま通りかかって……こんな場所があったんですね」

 まわりを見渡せばいつ使うのかもわからない雑多なものや、中身が何かわからないようなダンボールが積み上げられている。


 成瀬先生は困ったように眉を落とすと、腰に手を当ててふうっと息を吐いた。

「秘密にしててくれない?」

「どうしてですか」

「だって……ここ、無断で使ってるから」

「無断って……えっ、先生なのに?!」

 まるで子供の様な主張にわたしはびっくりして声をあげた。成瀬先生が驚いたように飛んできて、わたしの口を手でふさぐ。分厚くて硬い男の人の手の感触に心臓が強く跳ねた。

「シー! 時々さ、一人になりたくて静かな場所を探してたら見つけたんだよ。なんも悪い事をしてないから。ただ、ちょっとだけ休憩してるだけ」

「んーっ」っと口が苦しいことを伝えると、成瀬先生は慌てたように手を離した。

「悪い。ごめん、無断で触ってしまった」

 自分のてのひらを見つめながら成瀬先生は心から謝るような声を出した。

「セクハラで訴えないで」

「訴えません、けど」

 わたしは成瀬先生の後ろに広がる灯に気がついて背伸びをしながら覗き込んだ。そこにはまるで秘密基地のような空間に小さな椅子、ランタンが置いてあった。

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