第55話

「!!」


 後ろから気配もなく近寄ってきていた小さな男の子が、一瞬の間に私たちのカバンを奪い走り去る。…いや正確には、走り去ろうとした。


「っ!!」


 しかしシュルツはその気配を事前に感じていたのか、男の子がカバンを手にしたのと同時にその手をつかんで、強奪を阻止したのだった。

 シュルツは男の子がケガをしない程度に彼の体を取り押さえ、口を開く。


「…君、どうしてこんなことを?」


「…」


 男の子は答えず、ただただ俯くだけだった。


「ね、ねえシュルツ、この子…」


 私の言葉に、彼はうなずいて返事をした。私がこの子を見て思ったことを、彼もまた思ったのだろう。…この男の子、見るからにものすごく痩せている…それに身にまとっている衣装もぼろぼろで、足に至ってはなにも履いていなかった。ここに来る前に何人かの子供たちとすれ違ったけど、誰一人としてここまでひどい状態の子どもはいなかった。

 私が男の子に話しかけようとした時、シュルツがあることに気づいたようだった。


「…君もしかして、ハクト伯爵の…?」


「っ!?」


 シュルツの発したハクト伯爵という言葉に、分かりやすく反応して見せる男の子。…私もその名前は耳にしたことがある。確かロワールさんにも負けないくらい堅い性格の貴族家の人で、皇帝陛下からの信頼も厚かったけれど、最近突然病死してしまったって…。

 …でもシュルツは、どうして彼がそうだと気付いたんだろう…?


「…そうか、突然ハクト伯爵がご病気で亡くなってしまって、それで君は」「違う!!!!」


 それまで沈黙を貫いていた男の子は突然、シュルツの言葉を叫んでさえぎった。


「違う…お父さんは…殺されたんだ…!!!」


「「っ!?」」


 彼の口から放たれたとても穏やかではない言葉に、私もシュルツも驚愕してしまう。


「…良かったら、私たちに詳しく話してはくれない?私たち、必ず君の力になれると思うの!」


 気づいた時には、私は自然にそう言葉を発していた。男の子は少し考えるそぶりを見せた後、私たちに話を始めた。

 男の子の名前はルーク君と言って、シュルツが見抜いた通りハクト伯爵の子どもだった。お父さんとお母さんとルーク君の三人で幸せに暮らしていたある日、突然伯爵の死の知らせが届けられたという。彼のお母さんはそれに大きなショックを受け、精神的にかなり削られてしまい、今はほぼ寝たきりの状態だという。

 しかも伯爵の死と同時に、見知らぬ男たちが突然伯爵家に押し寄せ、そこにあった金品などのことごとくを奪って行ってしまったというのだ。

 それで君はこんなことを?…と彼に聞こうとしたけど、聞く必要もないと感じた。彼の表情を見れば全てわかる。彼がこんなことをする理由は間違いなく、お母さんのためなのだろう。…子どもを雇ってくれる働き口なんて帝国にはどこにもないだろうし、こうするしかなかったのだろう事が容易に想像できる…


「…ありがとうルーク君、すべて私たちに話してくれて」


 話すのは辛かっただろうに、ルーク君はすべてを私たちに話してくれた。私は自身の右手をそっと彼の頭の上に置き、私ができうる最大限の優しさで頭をなでた。…彼は私の言葉にうなずきながら、両瞳に涙を浮かべていた。

 私は一瞬シュルツの顔を見て、目で合図を送る。彼が少し笑いながらうなずいて私に返事をしてくれたのを確認して、私は再びルーク君に言葉をかける。


「ルーク君、君の家まで案内してはくれない?今の私たちでも、何か二人の力になれると思うの!」


 彼は力強くうなずき、私たちの思いに答えてくれた。私とシュルツはルーク君の案内の元、目的地を目指して足を進め始めた。


「僕はシュルツ、これでも貴族家の長なんだ。こっちは僕の婚約者のソフィアだよ」


「よろしくね、ルーク君!」


「よ、よろしく…」


 …なんだか忘れかけてしまっていたけど、シュルツの建前上の肩書は辺境の伯爵だったっけ。さすがにこの子に自身が皇太子だとはまだ言えないか。


「それじゃあ、行きましょう!」


 簡単な自己紹介を互いに終えた後、私たち3人は足を進める。しばらく進んだ所で、私はルーク君に聞こえない程度の声でシュルツに言葉を発する。


「ねえシュルツ、どうして彼がハクト伯爵の子どもだって分かったの??」


 ああそれはね、とシュルツは私と同じく小声でこたえ始める。


「彼の右手を見てみて」


 私はそう言われて、ルーク君の右手に注目する。そこには特徴的な細い腕輪がつけられていた。


「あ、あれは…」


「あの腕輪、伯爵も同じものを生前つけていたんだ。だから、もしかしたらって思って」


「す、すごい…よく覚えていたね…」


 確かに特徴的な腕輪だ。…だとしたらあれは、もしかしたら伯爵の形見なのかな…?


「…伯爵は、本当に印象深い人だったからね」


 シュルツとそんなやり取りをしているうちに、どうやら目的地に到着したようだった。ある地点を指さしながら、ルーク君がその旨を言葉で発する。


「ここだよ。ここでお母さんと暮らしてるんだ」


 彼が指さしたその先には、どう見ても小屋にしか見えない建物が一軒あった…


「こ、これが…伯爵家…?」


 それが私の正直な感想だった。ここに来るまでにたくさん見てきた、いわゆる一般の人たちの家よりも数段簡素なものだった。…それはとても、貴族の家には見えなかった。


「…なるほど、それで彼は伯爵は殺されたんじゃないかって思ったんだ…」


 腕を組みながら、何かに納得した様子を見せるルーク。


「ど、どういう事?」


 意図をくみ取れない私に対し、彼は自身の仮説の説明を始めた。


「伯爵が本当に病死したのなら、きっと相当な遺産が二人に残されるはず。だけどこれを見る限り、たぶん遺産は無かったんだろう。…いや、話を聞く限りはむしろ何者かに奪われたと考えるほうが自然じゃないかな…」


 そ、それってまさか…


「…つ、つまり伯爵は誰かに殺されて、伯爵の持つ資産は全てその人物に取られちゃったってこと…!?」


「…今の段階じゃ、何とも言えないけど…」


 シュルツが示す恐ろしい可能性に、私は少し体が震える。もしそれが本当だったら、いったい誰がこんなひどいことを…。

 私たちが外でそんな会話をしていてしばらくたった時、先に中に入っていたルーク君が私たちを中へと手招きする。私たちは彼に手招きされながら、中へと足を踏み入れた。

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