第42話

 私だけに聞こえる小さな声で、シュルツが説明を始めた。 


「グロス公爵は、すべての貴族を束ねる代表貴族で、かつ自身も公爵位の貴族家だ。その影響力はすさまじくて、実質的にはこの帝国中のかなりの権力を掌握していると言われている…言ってみれば、彼は陛下に次ぐ帝国のナンバー2…」


「な、ナンバー2…」


 そ、そんな人物がこんな所にいただなんて…もしあの公爵様が本気で私たちをつぶしにかかったなら、私たちは…


「…それにあの男、連合王国の侵攻時にはアノッサと同じ攻撃派だった。その点からも、きっとアノッサとの距離も近いはず…」


「そ、そんなのって…」


 これだけでも信じられないほどの情報量であるのに、シュルツの話はまだ終わらない。


「それだけじゃない…あの男、次期皇帝の座を狙っているという話さえあるんだ。貴族家たちはもちろんの事、馬が合って皇帝府に顔が利くアノッサに、それが実現するように根回しさせているって噂まである…」


 …つまり私たちは、公爵の前に完全に詰み状態にあるという事…なんだろうか?


「このままじゃまずいな…何か手立てを考えないと…」


 …いつにもまして追い詰められた表情のシュルツ、私は初めて見たかもしれない…。私は自分に何かできることがないかを必死に考える。しかしそんな私たちに構わず、公爵はここで驚きの発言をする。


「みなさん、本日は参考人として、スフィア様をよく知る人物に来ていただきました」


 それが合図だったのだろう。私は久方ぶりに、本能的に拒絶するその女の声を聞くこととなった。


「皆さまはじめまして。かつてスフィアとは姉妹の関係だった、エリーゼでございます」


 賛成派の人たちにはもちろん、私の過去の話をしている。ゆえに皆、エリーゼに対して敵対的な視線を送る。しかしそんな視線などもろともせず、彼女は自分のペースを崩さない。


「私が断言します。ソフィアは決して、妃などにふさわしい女ではありません。ここにいる者の中で最も彼女をよく知るのは私です。その私が断言するのですから、反論などできぬはずですわ。大体この女は…」


 向こうにいた時、何度も何度もこんなやり取りがあった。私が反論しないことを良いことに、一方的に攻撃的な言葉を並べるエリーゼ。幾千ものシーンが私の脳裏に呼び起される。みんなのおかげでそんな苦しい過去から解放されかけていたというのに、私の頭の中は再びエリーゼに蹂躙された過去で満たされる…

 けれど、今の私にはみんながくれた勇気がある。力がある。隣に一緒にいてくれる人がいる。…一緒に、未来を約束してくれた人がいる…!!


「黙りなさい!!!!!!」


 …急に大声を上げて立ち上がった私に、皆が驚きの視線を送る。


「…このような場で、失礼を承知の上で申し上げます」


 もう、止められはしない。


「屋敷であなたが私にしてきたことをお忘れですか?あなたに頼まれて用意した食事を台無しにされたり、部屋に汚い水をまかれるなんて日常茶飯事。ずっと閉じ込められていた私は屋敷の外に出られたことなんてほとんどなくて、知り合いも友達も全然できなかった…!」


 反対派の人たちを中心として、会議室が少しざわつき始める。


「ま、まあ!そんな事私はしていませんわ!勝手なことをでっちあげて私を攻撃するのはやめなさい!」


「ならば答えなさい!!あなたは今言いました!ここにいる誰よりも私の事を知っていると!では私の好きな食べ物はなんですか!私の好きな場所はどこですか!私が…心から愛する人物は誰ですか!さあ答えなさい!!」


「う…ぐっ!!」


 悔しそうな表情を浮かべるエリーゼであったが、ほんの一瞬だけ、彼女が不敵な笑みを浮かべていたことに私は気づかなかった。そして私の反論を皮切りに、賛成派の人と反対派の人が同時に声を上げ、収拾がつかなくなる。その状況のさなかで公爵は、詰めの言葉を発する。

 

「こうなってしまってはらちがあきません!!もはや、この会議の議長でもあり皇帝府長でもあられる、アノッサ様に決めて頂くのがよろしいのではないか?」


 …しまった!!!最初からそれが狙いだったのか…!!

 私を煽ってあえて感情を爆発させ、議論が混乱した時を見計らってアノッサさんにパスを送る…完璧に計算されたその行動の前に、私もシュルツも、もはや打つ手はなかった。

 会議室が一気に静まり返り、皆の視線がアノッサさんに向けられる。一貫して沈黙を貫いていた彼が、ついに口を開いたのだった。


「…」


 私たちの関係に終わりを告げるであろうアノッサさんの宣告を、私もシュルツもただただ黙って待つ他なかった。私が強くシュルツの手を握ると、彼もまたそれにこたえてくれた。…こうして彼の手を取ることができるのも、シュルツさんが言った通り、今日で終わりになるのだろうから…


「さあアノッサ様、決断するのはあなたですぞ!」


 せっかちな性格なのか、結論を急ぐグロス公爵。…そんなに早く、私たちの関係を終わらせたいのだろうか…?

 そしてついに、ここまでずっと静かに皆の言葉を聞いているだけだったアノッサさんが口を開いた。


「…皆さんのお考えはよく分かりました」


 会議室中に透き通る声で、そう言葉を発する。


「では、この場における私の結論を申し上げます」


 皆静まり返り、固唾をのんでその続きの言葉を待つ。


「私は、シュルツ様とソフィア様のご婚約に」


 私の頭の中には、シュルツと出会ってからの毎日がよみがえっていた。お掃除にお料理、毎日のお勉強。ジルクさんやノーレッジさんとの出会い。それに、しっかり私たちを叱りに来てくれたロワールさん…。すべての日々が、私にとってのかけがえのない宝物…。それが今日で終わるとしても、決して色あせることは…







「大いに賛成させていただきます」


 …?、アノッサさんは、今何と言った?、賛成と、言った、の?

 その言葉が飲み込めていない様子なのは皆も同じようで、皆一様に固まってしまっている。一瞬の間妙な沈黙が私たち全員を包んだ後に、最初に口を開いたのは上級公爵様とエリーゼだった。


「は、はあ!?!?アノッサ貴様、どういうつもりだ!!」


「そうですわ!!話と違うではありませんの!!」


 大声の二人の反論に、アノッサさんは全く答えない。そんな彼に構わず、二人は自身の言葉を続ける。


「私と共に帝国の未来を築くのであろう!?そう言ったではないか!?あれは嘘だったのか!?」


「そうですわ!!私自身を皇帝の妃とすると、あなたは確かに言ったではないの!!」


 大声を上げる二人に、アノッサさんは静かに、かつ重たい声でくぎを刺す。


「…私に結論をゆだねてくださったのは、ほかならぬ上級公爵様ではありませんか。聞こえなかったのでしたら改めて申し上げます。このアノッサ、皇帝府長の立場として、シュルツ様の妃としてソフィア様を推挙させて頂くことに、全く異論はありません」


 その言葉が決定打となり、崩れ落ちるように椅子に座る二人。途端、賛成派の皆から歓声の声が上がる。


「いよっしゃああああああああああああああ!!!!!!!!」


「それだよ!!それがききたかったんだよおおおおおおおお!!!!!!」


「うおおおおおおおお!!!!!!!!」


 この雰囲気にあっては、反対派の長たる二人はもはや打つ手なしだったのだろう。上級公爵とエリーゼを含む反対派の人々は、ぶつぶつと文句を言いながら逃げるように会議室を後にしていった。

 しかし歓声が上がる裏で、一人の賛成派の人がアノッサさんに疑問を投げる。


「…しかしアノッサ、ぜひとも教えてほしい。お前は上級公爵と親しく、二人の婚約は面白い話ではないはず…にもかかわらず、なぜ気が変わったんだ?」


 それは、心の中で私もシュルツも気になっていた事。明らかに上級公爵派だったアノッサさんが、最終的にどうして私たちの味方になってくれたのか…?だってついさっきまで、私たちの関係は今日限りで終わりだと言っていたアノッサさんが…

 そんな私たちの疑問に、彼は答え始めるのだった。

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