第41話

「…大丈夫、深呼吸、深呼吸…」


 皇帝府を前にして、なんとか心を落ち着かせる私。…いよいよ、この日この時間が来てしまった。シュルツは遠くで誰かと話しているようなので、今は私一人きり。ジルクさんたちには屋敷を任せてきたから、ここにはいない。

 …そんな時、不意に後ろから声をかけられる。


「…貴方とお会いするのは、あのお食事会以来でしょうか」


 その声に聞き覚えがあった私は、反射的に声の主の方向へ振り返る。


「ア、アノッサさん…」


 …そこには今回の件の中心人物である、アノッサ皇帝府長その人がいた。


「お久しぶりです、ソフィア様。本日は突然のお呼び出しになってしまい、本当に申し訳ありません。言い訳をするつもりではないのですが、私もなかなか時間がなく…」


「い、いえ、お気になさらないでください」


 彼は態度も口調も、紳士そのものだ。悪評に聞くような人物には、とても思えない。


「こんな状況の中では、本日は気分が乗らないかもしれませんが、よろしければぜひ皇帝府を堪能されて行ってください」


 彼は優しい表情で、私にそう告げた。…しかし彼のその言葉に少し心が軽くなったのもつかの間、彼が次に放った言葉に私は凍り付く。


「今日が、最後になるかもしれませんからね」


 …少し笑いながら、彼はそう言った。その圧倒的なオーラの前に、私は何も言えなくなる。…固まってしまっている私のもとに、私の最愛の人が駆けつけてくれる。


「アノッサさん、いったい何のつもりですか?」


 駆けつけてきてくれたシュルツが、鋭い口調でアノッサさんに噛みつく。


「深い意味などございませんよ、シュルツ様。私はただ、会議前の挨拶に伺っただけでございます」


 彼はそれでは、と言い残してこの場を去っていった。…宣戦布告の、つもりだったんだろうか…?


「…ソフィア、大丈夫かい?」


 一番に私の心配をしてくれる彼。私は大丈夫である旨を彼に伝え、アノッサさんとの会話の内容を話した。


「…今日が最後、だって…?」


 …静かに、かつ感情的にこぶしを握るシュルツ。そのこぶしを、私は最大限優しく包み込む。


「…」


「…」


 私たちの間に言葉はない。ただ、つないだ手を通じて彼の思いや熱を感じ取る。

 …どれだけの時間そうしていたかは分からないけれど、気づいた時には、もう会議が始まる少し前だった。


「…行きましょう、シュルツ」


 覚悟を決めた目で、彼の目を見る私。


「…僕は絶対に、約束を守って見せるよ」


 彼もまた、私の覚悟に答えてくれる。私たちは強く手をつなぎ、ともに決戦の地である会議室へと足を踏み入れた。


 会議室には、皇帝府長のアノッサさんが議長席の位置に座り、他にも約20名ほどの皇帝府関係者たちが集まっている。知らない顔の人もいるけれど、一方で伯爵家にて私の料理をおいしそうに食べてくれた、シュルツの友人の方の姿もあった。…そして最後の人物の方へ視線を移した時、全身を虫唾が走った。

 …あろう事か婚約に関する関係者のみの会議であるはずなのに、そこにはエリーゼの姿があった。思わず私は隣に座るシュルツの腕に抱き着き、彼にその意図を伝える。


「シュルツ…あれ…」


 私の視線に手招きされ、彼のエリーゼの姿を確認する。


「…出来すぎてるな、こんなのは…」


 彼はこぶしを握り、目に怒りの感情を写す。私は彼に疑問をぶつける。


「ど、どういう事なんだろう…私はもうエリーゼとは無関係なんだから、彼女がこんなところに呼ばれるはずが…」


 少し震え声の私に、シュルツは冷静に分析し返事をする。


「…きっと、誰かが彼女をここに関係者として呼ぶよう話をしたんだろう…それが誰かは分からないけど、きっと…」


 シュルツはそう言いうと、ある人物の方に視線を向ける。…ほかならぬ今回の首謀者、アノッサさんだ…

 そのアノッサさんがついに沈黙を破り、声を上げる。


「それではこれより、シュルツ様の妃となられる方について、会議を始めさせていただきます」


 アノッサさんが号令をかけるや否や、まず初めにシュルツの友人の方が口を開く。


「議論など必要ないでしょう。私は、ソフィア様で何ら問題はない事と思いますが」


 他の友人の方も、それに続く。


「私も実際に彼女と話をして、確信しました。彼女以上に皇帝の妃としてふさわしい女性は、この帝国にはいないでしょう」


「ご公務は未経験ながら、彼女自身の努力により目を見張るスピードで取得されていると聞きます。その点でも、全く問題はないかと」


 賛成意見が次々と飛び出し、一気に流れが作られる。アノッサさんはずっと腕を組んで一言も発さず、エリーゼもまた無言を貫いている。

 完全に賛成の流れが形成されたのち、同じくそれまで沈黙していた一人の人物が口を開く。


「…やれやれ、帝国はいつからこんな低能な人間の集まりになってしまったのか…全く嘆かわしい…」


 その人物の発言を聞いて、賛成派の人たちが一斉に彼をにらみつける。私はその人を見たことがなかったので、小声でシュルツに尋ねる。


「…ねぇシュルツ、あの人は誰?」


 少しの間をおいて、低い口調で彼は答えた。


「…ノーベ上級公爵だ」


 そこからアースは、ノーベ公爵に関する説明を始めた。その内容は、とても驚くべきものであった。

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