第35話

「お、お待ちしておりました…」


 到着したロワールさんを前にして、珍しくシュルツがびくびくしている。ロワールさんと言う人は、それほど警戒すべき人物ということなのだろうか…?


「わざわざのお出迎え、心から感謝いたします。本日はよろしくお願いいたします」


 いよいよ、ロワールさんが屋敷に襲来した。彼は思いのほか小柄で、どちらかというと可愛らしい顔立ちの男性だった。私はてっきり大柄で怖い男性を想像していたから、少しだけ拍子抜けしてしまう。


「あなたがソフィアさんですね。いつもシュルツ様がお世話になっております」


「こ、こちらこそっ!よ、よよろしくおお願いしますっ!」


 いきなり声をかけられたせいで、変な声で返事をしてしまう。…心の中で笑われてないかなぁ…


「それでは時間もございませんので、さっそくチェックのほうを始めさせていただきます」


 ロワールさんはそう言うと、数人の部下とともに屋敷の中へと入っていく。彼らの案内はジルクさんが担当だ。


「はぁ…もうおしまいだ…僕はここで死ぬんだ…」


 あまり怒られ慣れていないからか、これから先の事を想像してやや鬱になってしまっているシュルツ。私は彼の手を取り、できる限り優しく声をかける。


「わ、私が一緒にいるから!元気出して!」


「…うん…」


 彼の手を取り、皆の待つ部屋の中へと足を踏み入れる。住み慣れたこの部屋が、今だけは敵陣のど真ん中にいるような感覚だ。私とシュルツが隣の席に座り、机をはさんだ向かい側にロワールさんとその部下の人が座っている。皆の席にはそれぞれ、事前に私たちが用意した説明用の資料が置かれている。


「それでは、早速」


 ロワールさんはそう言うと、素早い手つきで資料に目を通していく。さすが帝国貴族院の統括なだけはあって、読んでいくスピードがかなり速い。私も皇帝府に入るころには、あれほどの実力を身につけなければいけないのだろうか…?そう考えると、少し心の中が震える感覚を覚える。

 ある程度資料を確認した様子のロワールさんが、第一声となる言葉を発した。


「…この資料、大変良くできていますね。記載漏れや数字違いなどはなさそうですし、レイアウトも非常に分かりやすく配置されています」


 それは良かった…ジルクさんも含め、みんなで何度も回し読みして確認した成果があったというもの…

 …しかしさっそく、ロワールさんは私たちの痛い所を指摘してくる。


「では…この一時歳出費について説明をお願いいたします」


「ビクビクッ」


 目に見えてシュルツが震えはじめる。…というか今のは、もはや声に出てしまっていたような…


「こ、これはですね、領内で悪天候が続いてしまった時がございまして、皆の士気が下がっていたものですから、その向上を目的として各種お酒を含む嗜好品などの分配を」


「ダメです」


 シュルツの弁明もむなしく、早速ロワールさんの洗礼を浴びる私たち。


「…クスクスッ」


 絶対に笑ってはいけないのだけれど、そのあまりに予想通りの光景に、思わず少し笑ってしまう。はたから見れば、本当に先生に叱られる子どもそのものだ。


「ソフィアさん?聞いていますか?あなたにも関わることなのですよ?」


「は!はいっ!」


 …結局私たちは一日中、ロワールさんに絞られ続けたのだった…


――――


 文字通り丸一日を費やし、ようやくロワールさんによるチェックは終りを迎えた。私たちはかなり体力的に消耗してしまっているけれど、ロワールさんたちはぴんぴんしている様子だ。…一体どういう体のつくりをしているのだろう…?

 時間も時間なので、ロワールさんたちには泊まっていくことを勧めたのだけど、もうすでに次の仕事の準備があるらしく、この場を引き上げてしまうそうだ。シュルツはすっかり打ちのめされてしまっているので、私とジルクさんが門まで見送りに行く。


「ロワールさん、今日は本当に勉強になりました!ありがとうございました!」


 私の言葉を聞いたロワールさんは、一瞬だけやや不思議そうな表情を浮かべた後、少し笑顔になった。


「…話に聞いていた通り、まっすぐな方なのですね、あなたは」


「?」


「クスクス。私のチェックを受けて勉強になったなどと言ってもらえたのは、生まれて初めてです。私を見ると皆一様に嫌そうな顔をするものですから」


 ロワールさんはやや苦笑いを浮かべながら、しかしどこか嬉しそうにそう言った。しかし一転、表情を引き締めて続きの言葉を発する。


「…これから先、いくつもの困難があなた方を待っていることでしょう。私のチェックなど、生ぬるいほどに」


 その言葉に、私もうなずいて返事をする。


「ですが拝見したところ、あなたにはそれを乗り越える力があるように感じます。こんな事は、私はめったに口にはしないのですが…」


「?」


「シュルツ様を、お願いいたします、ソフィアさん」


 そう言い、深々と頭を下げるロワールさん。私も反射的に彼に対して頭を下げ、それにこたえた。このやり取りの後、ロワールさんたちは屋敷を後にしていった。

 2人きりになった門前で、ジルクさんがぼそっと口を開く。


「…驚いたな。ロワールがあんなことを言うなんて…」


 ジルクさんは自身の手を顎下にあて、どこか不思議そうにそうつぶやいた。


「そ、そうなんですか?」


 思わずそう疑問を投げた私に、ジルクさんは相変わらず不思議そうに言葉を発した。


「前にも言った通り、ロワールはかなりの堅物だ。あんな風に笑ったり、ましてや誰かに期待してるなんて言ってるところを、俺は見たことがないんでな…」


 ジルクさんは一歩私の方に近づき、今度は少し笑いながら言った。


「もしかしたら、気に入られたのかもな、お前♪」


「わ、私なんかがですか!?」


 ま、まさか…帝国の貴族院統括ほどの方に気に入られるほど、私は人ができてない…全くジルクさんは調子がいいんだから…


「と、とにかく戻りましょうっ!シュルツがダウンしたままですので、早く起こしてあげないと…」


「クスクス。ああ、そうだな」


 何はともあれ、監査は無事に終わった。指摘されてしまった点は山ほどあったけれど、それは私たちがこれから一つ一つ乗り越えていく、いわばのびしろだ。私はロワールさんの言葉を裏切らないためにも、もっともっとがんばらなければ、と決意を新たにするのだった。

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