第5話 古井戸

 私たちは悲鳴を上げながら廊下を走って逃げた。廊下は真っ暗だった。誰かが走りながら、ヘッドライトを付けた。それを見て、私もヘッドライトを灯した。


 ヘッドライトの光の先に庭が見えた。先頭を走っていた春馬が立ち止まった。春馬の背中にぶつかるようにして、私、美雪、海斗が止まった。


 みんな荒い息を吐いていた。


 私は周りを見渡した。ヘッドライトに、周囲の景色が浮き上がった。


 そこは5m四方ぐらいの狭い中庭だった。廊下が縁側のようになって、中庭の周囲を取り囲んでいた。中央に古井戸があって、その横に鹿威ししおどしがあった。鹿威しは動いていない。それらの周りは日本庭園のように木や苔むした岩が配置されていた。


 私たちは中庭に面した廊下に固まって立った。


 海斗の震える声が聞こえた。


 「さっき、恵一が殺されたよな・・」


 みんなに確認を取るような言い方だった。春馬が答えた。


 「ああ、間違いない。あの鎧武者に切られたんだ」


 私が叫んだ。


 「警察よ。警察に知らせないと」


 そう言って、私は気づいた。スマホはリュックの中だ。さっきの日本間にリュックを置いてきてしまった。私はみんなの顔を見た。


 「誰かスマホを持ってる?」


 みんなが首を振った。そういえば、全員があの部屋にリュックを置いてきたのだ。春馬が廊下の向こうを見た。


 「だめだ。スマホをさっきの日本間に置いてきてしまった。警察に電話するには、あの部屋に戻らないと・・」


 誰も戻ろうとはしなかった。あの部屋にはまだ鎧武者がいるかもしれないのだ。


 美雪が泣き出した。


 「こんなことになるなんて・・だから、やめておけばよかったのよ。あの鎧武者って、きっと悪魔よ」


 海斗が美雪の肩を揺すった。


 「美雪。しっかりしろよ。悪魔なんているわけがないじゃないか。あの鎧武者は人間だよ。人間が恵一を殺したんだ」


 春馬が言った。


 「とにかく、明るくなるまで、ここを動かないようにしよう。うろうろしていて、あの鎧武者に出会ったら終わりだ」


 私たちは廊下にへたり込んでしまった。


 私は喉が渇いているのに気が付いた。無我夢中で走っていたので、喉がカラカラだ。私はみんなに聞いた。


 「ねえ、誰か、水筒を持っていない?」


 みんなが首を振った。美雪が私を見た。


 「茜。私もさっきから喉が渇いているのよ」


 海斗が中庭に降りた。古井戸の前に立った。


 「僕も喉がカラカラだ。この井戸・・使えるのかな?」


 古井戸は『つるべ式』だった。井戸の縁に縄が付いた木の桶が置いてあった。その縄は井戸の上部の滑車につながっていて、縄のもう一端は井戸の中に垂れていた。


 海斗が井戸の中に垂れている縄を引っ張った。


 「おっ、動くぞ」


 海斗が縄を引き上げる。海斗の手が滑車にぶつかって、滑車がぶらりと揺れた。


 海斗が首をひねった。


 「この縄。いやに重たいなあ」


 海斗が力を込めた。縄が少しずつ引き上げられていく。


 縄と一緒に何か黒いものが底から上がって来た。


 えっ、何?


 私はヘッドライトを井戸に向けた。眼を見張った。


 縄に白い着物を着た女がしがみ付いていた。女の全身はずぶぬれだ。長い黒髪が顔に張り付いて、髪の毛の先から水がしたたり落ちている。


 女が海斗を見た。女の眼がくわっと光った。女が海斗に飛びかかった。


 美雪が悲鳴を上げた。


 「キャー」


 美雪のヘッドライトの光の中で、女が海斗の首に噛みついているのが見えた。春馬が庭に飛び降りた。春馬が叫ぶ。


 「海斗!」


 春馬が古井戸に駆け寄った。次の瞬間、女が海斗の身体を抱えた。そのまま、女と海斗は井戸の中に落ちていった。


 井戸の底からパシャーンという水音が聞こえた。春馬が井戸の底を覗き込んだ。


 春馬が急いで縄を手繰たぐった。私と美雪も庭に飛び降りた。春馬と一緒に縄を引き上げた。


 ずしりと手に重量がかかった。


 重たい・・


 やがて、井戸の底から何かが上がって来た。縄が絡みついている。


 私たち3人のヘッドライトに浮かび上がったのは・・びっしょりと濡れた海斗の首のない死体だった。


 私たちは悲鳴を上げた。


 「うわ~」「キャー」


 3人の手が縄から離れた。一瞬にして、海斗の死体は井戸の中に落ちて行った。再び、井戸の底からパシャーンという水音が聞こえた。井戸の滑車がガラガラと鳴る音がそれに続いた。

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