終わりの日には対処しにくい危機の時代が来る。

 皆さま、聞きました? 今は終わりの日なんですって。終わりって何が終わるの?

何を持って終わりなの? 拙作『ダビデに恋して』のマタイ編やダニエル編をお読み下さった方はご存知だと思う。


 組織を離れた私でさえ、もしかしたら聖書の予言って当たってる?ってなるのだよ。ほら、よく聞く終末論。大患難のすぐ後に起きるハルマゲドン。


 終わりの日には何が起きるのか思い出してみた。戦争や流行病。食糧不足や大きな地震。これは教団の教えではなく、イエス・キリストが言ったことだからね。

(それが真実かどうかは論じるつもりはない)

 

 問題はこの四つの出来事は予言として語られ、今の時代に成就していると信者は捉えているってことなのだ。目に見える出来事はと呼ばれ、信者は起きるたびに緊急感を持ち、終わりが近いと宣教に力を入れる。


 ゆえに世界中で戦争が起きても、終わりが近いと身を引き締め、最近のコロナ禍で死者数を見て憂いても終わりは近いのだと信者同士で励まし合う。


 食糧不足で亡くなる貧困国の子供達を見ても、地震で被害に遭われた方を見ても、メンタルが沈むどころか終わりは近いのだと希望を持つのだ。


 ただ、誤解して欲しくないのは歓喜の目で見ているのではない。国を追われ、家を失い、家族の死を嘆く人々を見て笑うようなことはしない。心痛と哀れみを抱いて涙する信者が多い。自分たちが崇拝している神が必ずなんとかして下さる、待っていてねという思いで画面を見つめている。


 実際、戦争や流行病、食糧不足や地震でなくなった信者もいる。随時、その数が知らされて仲間のために祈ったり、必要であれば救援チームが組織されすぐに現場に駆け付ける。そのための金銭的援助や寄付を惜しみなく捧げる信者が多い。


 なぜそんなことをするのか? 愛の欠けた時代に自己犠牲的な愛を示すことは信者にとってとても重要なのだ。


「神と隣人を愛しなさい!』

『あなた方の間に愛があれば、あなた方がキリストの弟子であることを全ての人が知るようになる」

『受けるより与える方が幸福である」


 このイエスの言葉を実践することで自分がイエスの弟子であることを証明したい。

自分が神のおきて(聖書の言葉)を守っていることを示すなら、神の心を喜ばせることが出来る。さらにはそうすることで神を愛していることを示せるとなるからである。


 終わりの日の予言をもう一つ。


戦争、流行病、食糧不足や大きな地震のような人間ではどうしようも出来ない予言ではない。


「王国のこの良い便りは人の住む全地で宣べ伝えられるでしょう!」


はい、来た。これです、これ。

 目に見える印を見て、神への愛を示したあとは、この予言に自分も関わっていることを実感したいんです。そう、宣教することによって。


 宣教しても聞く耳を持たない人間がいるとか、信仰を持たない人間もいるとか、宣べ伝えられない国もあるとか、事細かなイエスの言葉もあるのだよ。


 そのことをふまえているので、メディアで叩かれようが恐れず宣教しちゃうってこと。


 終わりの日の予言やハルマゲドンが来ることを伝えないとね、自分が血の罪を負うって教えられてるのだよ。ハルマゲドンで滅ぼされる側にならないためだけなら100%カルト宗教認定なのだけど、信者の宣教の動機はもっと違うところにあるのです。


 それは最終話で書く予定。ちょっとその前に「輸血拒否」に関して。

なぜこの宗教組織は輸血拒否をするのか。血を避けていなさいという神の命令を狂信や盲信しているわけではない理由をちょこっと挟みます。


乞うご期待!

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