第41話戦争論



Armée

France

Joséphine


Bonaparte

Elba

Roi de Rome


「イッチが何言か呟きおる」

「何語ぞそれ?」

「アンニュイ…わかるわ〜」


アンチアンニュイなやつばかり。

口を揃えるマトリョーシカども。


『午後の授業は憂鬱だもんね〜』


ナポレオンの大陸封鎖令。

いち早く破った協定国。

それがロシアであった。


当時のロシア国。羊毛やワインなど。

英国との交易に深く依存していた。


厳しい環境に暮らすロシアの人々。

英国との交易が絶たれること。

それは生存すら脅かした。


協定破棄は寧ろ必然であった。


フランス帝国軍のロシア侵攻。

侵略よりも懲罰のための出兵。


ロシアや東邦の国々を旅した者ならば、

そこがまったくの異世界であると知る。


地図での釈は近い。島国に住む日本人であってさえ。今も昔も変わらない。


訪ねてなお遠き国。


俺達は東洋の島国生まれ。

西洋文化に浸りきった国。

現在では疑問すら抱かない。


その何方にも属さない。

旅慣れた人たちは語る。


そこは異国だと。


そうした風景や文化に触れたくて。

東邦諸国への旅を選ぶ者もいる。


「そもそも…同じキリスト教でも、ロシア正教とローマカソリックでは…」


「あたし寒いのパース!」

「なんで金払ってツンドラ!」


いや暖房くらいあるぞ。

案外ペチカ楽しいかも。


「そうそう!行くなら温いとこ!」


脳内花畑温泉へダイブ!


『ヌーディストビーチ!』


それ一択かよ。

どうせお前ら前隠して。

もじもじして終わりだ。


同じキリスト教であり。

厳しい教義と戒律あり。


神の十戒。


わたしの他に神があってはならない。

主の名をみだりに唱えてはならない。

主の日を心に留め、これを聖とせよ。

隣人に関して偽証してはならない。

あなたの父母を敬え。

姦淫してはならない。

盗んではならない。


殺してはならない。


人は生まれながら罪深きもの。

罪を冒し神の前で悔い改める。

罪前提で聖書は書かれている。

その戒律はロシア正教も同じ。


しかき破戒の果。

あらゆる罪を冒し。

命を殺め殺戮の果。


ただ一人の生者あれば。

それは神の声を聞く者。


それは神の声を伝える者。

神に選ばれた代弁者である。


ユダヤ教ともキリスト教とも異なる。

それがロシア正教の教義である。


遠征した帝国大陸軍。防衛のために故国を発ったロシア軍。最初の接触と交戦。


フランス軍の圧勝に思えた。

それは列強諸国の予想通り。

帝国戦略の轍を外れぬ結果。


以後、ロシア軍はフランス軍の盾を突かず。ひたすら撤退を繰り返した。


これは侵略侵攻が目的ではない。

あくまでも懲罰のための挙兵。

フランス軍は進軍より他ない。


何ら交戦することもなく。

首都モスクワまで辿り着く。

国境線の防衛すらなかった。


ロシア軍は四散したかに見えた。


ロシアの首都は容易く陥落。

軍隊を派遣した意味がない。



ロシアを訪ねたことはない。

おそらく旅行先に選ばない。

地図の釈ではそう遠くない。


東洋の島国に生まれ。西洋文化に浸かりきっていても。その何方にも属さない。


異国。


旅慣れた人は東邦諸国をそう語る。

そうした風景や文化に触れたくて。

その国々を訪れる者もいるという。


建築様式、芸術、政治すべて。

来訪者の目に映るのは異世界。


19世紀末から20世紀初頭を生きた。

グルジアの画家ニコ・ピロスマニ。

彼の絵をひと目見ればわかること。


イタリア半島に生まれ。

フランス軍に士官した。

やがて皇帝となった。


ナポレオンとて例外ではない。


冬将軍の季節にはまだ早かった。


冬になればよく耳にする。

天気予報で馴染んだ言葉。


冬将軍。


「シベリア気団のことだ」


シベリア気団によって齎される。

強い寒さを表した言葉である。

寒冷な大陸性寒気団の御業。


シベリア気団。それは冬季の訪れ。

シベリアや中国内陸部で発生する。


放射冷却により。冷たい空気が蓄積され。寒気が齎す高気圧である。


日本の風土にも馴染深い気圧配置。

冬季になれば天気図で見るだろう。


西高東低のうち西高を構成している。

シベリア気団からの乾燥した寒風。


日本付近で北西の季節風となって吹き。

それにより例年厳しい寒さを齎す。


「なんだ今度は地理の時間か?」

「イッチは何でも知ってるね!」


興味あることだけだよ。

俺の頭は軽石かスポンジ。

すかすかで穴だらけなんだ。


「イッチは昔からイッチなのか?」

「それは中学生になってからだな」

「もしかして…歴史博士とか?」


俺はぶーちゃんの言葉に頷いた。


「やた!」


「ところでケタは…」

「お教え出来ない!」


昔は別のあだ名で呼ばれてた。


「俺の通っていた小学校のクラスには、それはおっかない女の先生がいてさ…」


「力石より?」


いい勝負でリエコが勝つだろうな。


「まあ、同じ体育会系だけど…その先生は、算数がよく出来る子には『算数博士』とか『国語博士』とか…そう呼んでたんだ」


今や懐かしい。

恩師の面影。


そういうのはもうダメらしい。

運動会で一番を決めないとか。


あの現国の佐野先生とか完全アウト。生徒を贔屓しない。差別になるとか。そういう時代に流れて行く。


それはまだ少し先の話だった。


贔屓だって何だって。生徒にすればモチベーション。やる気にもなる。使い方次第なのだが。俺はそれが気恥ずかしくて嫌だった。


「イッチは歴史博士だったんだ!」


俺は小西の言葉にも頷いた。


「国語も行けそうだけど」


ぶーちゃんの言葉にも頷いた。


「あと理科も好きで」


「待て待て!何博士なんだ!?」


「いくつ博士の号持ってんだ!?」


俺は何博士でもなかった。


「博士」


俺はただの博士。

そう呼ばれていた。


『嫌み〜』


「殴りたい!」

「可愛くないわ〜」

「あだ名でマウント!?」


だから嫌だったんだって!?


「俺も美人の先生に「は・か・せ!」とか言われてみて〜」


「いや美人だなんて」


言ってもげんこつは飛んて来ない。


「このばかせ!」


そう言ってよく叱られた。


「俺も博士とか呼ばれてえ〜」

「頑張って保健体育博士とか?」

「保健体育で100点満点とか?」


保健体育 =エロって発想。


『超恥ずかしいじゃん!?』


いや取れる点数は漫勉なく。

そういう発想はないのか?


あと力石が喜ぶぞ多分。

保健体育の担当だから。


冬の気配遠もからじ。

教室の風どこか肌寒。


ま…まあ冬将軍は古の俳句や短歌の季語にはならないと思うが。なるのか?


シベリア気団が冬将軍と呼ばれるようになった。その歴史は19世紀まで遡る。


皇帝となったフランス帝国。

そして生まれ故郷イタリア。

その何れとも異なるロシア。


その行く手を阻んた者。

冬将軍だけではなかった。


「そもそも戦に対する概念」


戦略そのものが異なる国。

どの辞書に戦術の書にも。

それは記されていなかった。


王都であるモスクワ陥落。

チェスでも将棋でも同じ。

完全投了チェックメイト。


定石でも常識でもそうなる。

しかしそうはならなかった。


フランス帝国軍による王都制圧。

やがて王都に火の手が上がった。

モスクワの街は火の海となった。


火を射掛けたのはロシア軍。

ナポレオン軍は退路を絶たれ。

食料及び物質の補給の術を失う。


これがロシアの焦土戦略である。


帝国の要である王都。

自軍自らが火を放つ。


そのような戦術。ヨーロッパのどの王国にも貴族社会にも存在しなかった。


友軍も含め市街から逃亡する軍兵。その中にモスクワ市民が含まれるのが当然である。しかし武装したコザックゲリラ。つまりロシアの農民たちがゲリラとなり。その急襲にも苦しめられた。


ヨーロッパには、中世から続く厳しい身分階級制度がある。農民は農民、商人は商人として、その生涯を終える。


軍人とてその身分制度の中にあり。国の兵士、若しくは志願した職業軍人でなければ。国同士の戦争に参加することは出来ない。


貴族出身の兵士や雇用兵ではない。

民間人までが戦闘に参加するロシア。


帝国軍兵士の動揺と混乱を誘い。

軍の士気を著しく低下させた。


「しかし、それもすべてナポレオンの想定を越えるものであったかと問えば。それは必ずしもそうでなない」


そう後に識者は記している。


ナポレオンのロシア遠征。

その生涯において初の敗北。

ナポレオンにとっての戦争。


そもそも戦争とはなにか?


その答えを一人一人が持たない。

それが平和な世界なのだろうか。


俺達の生まれ育ったこの国。

生まれながらにして敗戦国。


その礎の上に生きている。

生きていると教育される。


「戦争は罪深く愚かな行為である」

「同じ過ちを繰り返してはならない」


「戦争は悪いこと」


体言止めにはなってないが。

子供の頃から繰り返し教わる。

けれど戦争とは一体なんなのか。

義務教育で深く教わることはない。


「私!戦争の話とか嫌い〜どきどきするならハーレで!クイーンな!!ロマンスかいい!!!」


小西の言うことは正しいよ。


女の子が「退屈」と口を尖らす。

そんな世界であって欲しい。


本を読むのが好きだった。

面白い本に出会う度に思う。

まず頭に浮かぶ疑問がある。


「一体なんでこんな話になる?」

「どういうつもりで書いたの?」


書いた人のことが気になる。

その周辺の人々が気になる。


ナポレオンを歴史の授業で学び。

その周辺の人々が面白くて。

関連書籍に手をのばした。

その指に触れた言葉。

厳つい文字の表紙。


【戦争論】


文字通り戦争についての書物である。

それ以外のことは書かれていない。


「主に軍事学についての本だ」


手にした本の角で頭を叩いた。


「だから何でそんなの読んでんの!?」


「イッチ君って…絶対『我が闘争』とか読んでるよね!?」


かわゆい男子の口からそのワード。

一番戦争に無縁な顔がフレー厶イン。


「イッチ君の本棚…興味あるなあ〜」


教室に戻って来たペット君。

なぜか落ち着かない様子だ。


どうした?そんな息切らして。

トムキャットにでも追われたか。


それとも戦争の話に興奮したとか。

まさかこの童顔で軍事マニア!?


「いつでも家においでよ」


そう声をかけたのだが。

なぜか心ここにあらず。

教室の外を気にしてる。


戦争とは何か?


そんな言葉すらない。

考えなくていい世界。


それが理想なのだろう。


けれど俺は友だちの顔を見て。

その怯える目線の先を追って。


教室の扉の窓に映る影。

家の戸口に立つ者の影。


それは目に見える。

自分にしか見えない。


略奪者の別名。

魂を殺す者。



「いずれにしても」


もしそれを戦争と呼ぶなら。


気がついてからでは遅い。

大切なものが失われる。


それから後悔しても遅い。


だから人は戦わなくては。

強くならなちゃいけない。


他の子供より少し先に。

それに気がついたんだ。


嘶く駿馬も消え失せ。

鉾や盾も銃も持たず。

戦うことは禁じられ。

そんな国に生まれて。


「あの…イッチ君?」


「私に語れよ〜甘いロマンス!」


それ耳元で囁いてもいいのか。


「ロバの耳にもラブソング!」

「失礼ね!名刹のサラブレッドよ!」

「釈迦に説法(ロマンス)みたいな?」



西洋じゃロバは悪魔に姿を変えてだな…


『いらん!そんな無駄知識!』


もし俺からそれを奪ったら。

一体何が残るっていうんだ?


草食獣の悲しみに満ちた瞳で。

俺は仲間たちの顔を見返した。


銃弾の数の話だけ非モテになる。

バレンタインのチョコは消滅する。


愛は目の前で溶けてゆく。


そんなこと一切考えていなかった。

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