デート 3

「ふひぃ~~~~、つかれたああああ~~~~」

「お疲れさん」

 

 俺は労いの言葉を掛けた。

 北沢は緊張が解けたのか、椅子にぐだっている。

 こんな北沢、クラスメイトが見たら驚くだろうな。

 ちなみに、同じ学校でうちの店を利用する客は、たまにいる。

 学校から近いと言えば近いからな。

 自転車で十五分くらいだ。

 いや遠いか? まぁ、来れない距離ではないと思う。

 

「すっごく疲れた。こんなに疲れたの久しぶりだよ~。小島くんって意外とスパルタなんだね」

「これから週に一回か二回、こんな感じで小説指導をする。

 それでいいか?」

「う、うん! よろしくお願いします、師匠! ……へへ、なんか小島くんに対して師匠って言うの、変な感じだね」

「……そうだな」

 

 俺は苦笑しながら言った。

 なんとなくだが、俺は北沢と喋るのに緊張しなくなってきていた。

 北沢も同じで、俺と喋るのは慣れてきたのだろう。

 それはいいことなのだが、同時に悪いことのようにも思える。

 気が緩む、ということは、素の部分が見え始めてしまうと言うことだ。

 

 これはどこかのネットのデータで見たのだが、男女の交際において、気が緩んできた時期がやっぱり一番あぶないらしい。

 お互いの素が見えてしまうからな。

 特に男性側は、注意が必要なのだそうだ。

 まぁたしかに、幻滅するのはいつも女性側から、というイメージはある。

 

「?」

 

 俺は北沢の顔を見た。

 北沢には嫌われたくない。

 だから気が緩むのは、何とかして抑えなければいけないだろう。

 

「今、何時かな? うわ、もう七時だ」

「何時までに帰りたいとか、あるのか?」

「うーん、特にはないけど、でもできるだけ早く帰りたいかな? お母さんとお父さん、心配させちゃうし」

「そうか」

「で、でも、あと十分くらいはいたいかな……なんて! あはは! だ、だめかな」

 

 北沢は取り繕うように言う。

 何だ、そんなにこの店の雰囲気が好きなのか。

 

「好きにしろ」

「う、うん! やったー! バンザーイ!」


 北沢のテンションが明らかにおかしくなっている。

 もしかしたら北沢は、苦しいことから解放されると一気にテンションがおかしくなるタイプの女子なのかも知れない。

 OLとかになったら気を付けろよ。ワンちゃんワンナイトとかされちゃうから。

 とか何とか考えていると、北沢はゆっくりとコップを持ち上げた。

 中には水が入っている。英語だとウォーター。それを北沢は飲もうとして、

 

「――ぁっ」

 

 こぼした。盛大にこぼした。

 

「あっちゃー、やっちゃった」

「大丈夫か――」

 

 俺は息が止まるかと思った。

 北沢は今日は学校帰りなので、もちろん制服姿だ。

 そして今は六月。衣替えの時期はとうに過ぎている。

 だから北沢は、スクールシャツの上から、ベストとか着てなかったのだ。

 おかげで、バッチリ透けている。

 なにって、下着がだ。

 

「あっちゃ、ごめん、タオルあるかな」

「は、ハンカチならあるぞ。ほら」

「ありがとう。ごめんねー、粗相しちゃって」

 

 北沢は気にならないのか?

 俺は猛烈に気になっているというのに。

 北沢はもしかしたらド天然なのかも知れない。

 クールでちゃんとしてそうな女子なのに、意外と抜けているのかも知れない、そう実感した瞬間だった。

 



 俺は北沢を見送ることにした。

 

「じゃあな、気を付けて帰れよ」

 

 北沢はなにかを渋っているように、その場から動かない。

 なんだ?

 なにか言いたいのか?


「どうしたんだ?」

「あ、あのさ……」

 

 ?

 北沢がこんなになにかを言い渋るなんて珍しい。

 思うところがあれば、すぐにでも口にするタイプの女の子だと、昨日と今日でよくわかったというのに。

 

「鎌倉に、『笹の葉カフェ』、ってところがあるんだけど、よかったら今度一緒に行かない!?」  

 北沢は身を乗り出すようにして、言った。

 笹の葉カフェ。聞いたことはないが、おそらく有名なカフェなのだろう。

 俺は正直、驚いている。

 北沢からデートの誘いを受けるなんて、思いもしなかったから。

 だが――と俺は頭の隅っこで考える。

 行きたい。

 

 北沢とのデートは、とても魅力的だ。

 だが、うちの喫茶室の経営だって、いつでも人数が足りているわけではない。

 そんな中で、俺が遊びに行っていいのだろうか。

 正直提案されたこと自体はものすごく嬉しい。

 好きな女の子とデートできるなんて……。

 俺は若干、臆病風にも吹かれている。

 好きな女の子とデートして、果たしてうまくいくんだろうか、と。

 

「一応確認だが、それは小説の指導の範囲で、ってことか?」

「う、うん……けど、純粋に小島くんと行ってみたいなって、思ったんだけど、だめ……かな?」

 

 俺は考える。

 するとぽん、と背中を押された。

 親父だ。

 

「あ……小島くんのお父さん……」

「洋太。行ってこい。店のことだろ、考えてるのは」

「む、むりにお願いしてるわけではないんです。ただ、行けたらって話で」

「……親父」

 

 親父はグッと、親指を立てて「行ってこい」のポーズを取っている。

 正直俺は、これは親父の優しさだと思った。

 

「……はは、若いもんはいいなぁ。ただな、父さんから言わせてもらえば、若いうちの恋愛って言うのは、試してみてナンボなんだ。

 ここで引いてちゃ、始まらんぞ」


 そうか……

 親父はここで俺を、励ましてくれているんだ。

 だとしたら、その気持ちをむげにするわけにはいかない。

 

「わかった。北沢、で、具体的な日程は何時にする?」

「……こ、今度の日曜日、とかどうかな? い、忙しい?」

 

 俺は親父を仰ぎ見た。すると親父は、またグッとサインをした。

 どうやらオーケーらしい。日曜日は忙しいはずだが、「俺たちが何とかする」だそうだ。

 だとしたら、親父に甘えるほかないだろう。

 

「オーケーだと。じゃあ、日曜の十四時待ち合わせでいいか? 待ち合わせ場所は、どこがいい?」

「か、鎌倉駅直で!」

「わかった。鎌倉駅な」

 

 北沢はぱーっと顔を華やかせた。どうやら相当嬉しかったらしい。

 俺も、そんな北沢の表情を見て、気分が明るくなるのを感じた。

 なんにせよ、デートの日程が決定した。

 これ以上嬉しいことはない。

 

「じゃ、じゃあね!」

 

 北沢が去って行く。駅まで送ってこうか、と一応聞いたのだが、大丈夫とのことだ。

 

「よかったな、洋太」

 

 俺はうなずいた。


 


 ――あかね視点――


 うわぁ、

 どうしよう~~~~、小島くんをデートに誘っちゃった!

 め、迷惑じゃなかったかな?

 いや、あれは完全に迷惑だったよね。

 小島くん忙しいのに、わざわざ時間取ってもらってデートなんて。

 

 結果的に、小島くんのお父さんに甘える形になってしまった。

 本当に申し訳がない。

 けど、小島くんはオッケーしてくれた。

 私の乙女心は、高まるところまで高まってしまっている。

 いやったーーーーーーー! 小島くんとデートだ!

 私は飛び跳ねながら、家までの道のりを歩いた。

 そして、玄関のチャイムを鳴らして、ガチャリと扉が開いたとき、戦慄が走った。

 

「――ぇ」

 

 お父さんが、私のことを見下ろしていた。背後にはお母さんも控えている。

 

「あなた、」

 

 とお母さんがお父さんの袖を引っ張る。

 ポロシャツ姿の父は、それだけで『大人』って言う雰囲気を感じさせた。

 私の後ろで、勝手に玄関の扉が閉まる。

 お父さんはゆっくりと口を開いた。

 

「こんな時間まで、どこに行っていたというのかね?」

「あ、えーっと、喫茶店でコーヒー飲んでた」

 

 これは嘘じゃない。本当のことだ。

 

「こんな時間までか? 親の心配は考えてないのか?」

 

 お父さんが威圧感のある声で言う。私は怖くなってお母さんの方を見たけど、彼女もまた、私を非難する視線を送っていた。

 どうしよう。

 浮かれてた気分が、一気に萎えた。

 私が悪い。

 こんな時間まで、連絡もしなかった私が、悪いのだ。

 

「べつに喫茶店に行っていたことを責めるつもりはない。お前ももう高校生だ。放課後どのように時間を過ごすかは、お前が決めろ。

 だがな、遅くなるようなら、連絡したまえ。いいか、あかね。お前はまだ親の庇護下にあるんだぞ。

 お前が言うことを聞かなかったから怒ってるんじゃない。心配になったから怒っているんだ。

これは、お前のために言っているんだぞ」

「ご、ごめんなさい……」

「はぁ、まったく。近頃の若い奴は、親になにも言わずに長時間遊びかまけて。

 だいたいだ、あかね。

 ここからが本題なのだが、

 これはいったいなにかね?」

「――ッ! そ、それは……」

 

 私の定期テストの点数と、順位表が書かれた紙だった。学内偏差値とかも書かれていて、担任の先生から、生徒に渡されるもの。

 

「わ、私の部屋、勝手に入ったの?」

「悪気はなかったのよ。ただ掃除しようと思ったら、目についてしまったの。

 あんな机の上に堂々と置いてたんじゃ、見られても文句は言えないわよ」

 

 たしかにお母さんの言うとおりだった。

 私も、成績の低下については、悩んでいたから。

 

「なんだこの順位は。三十一位だと?」

「………………ごめんなさい」

 

 私は、ついに頭を上げられなくなった。

 お父さんは私の学力低下について、ものすごい危惧しているようだった。

 三十一位でも充分高順位だろう、という向きもあると思うが、私は今までふつうに一桁の順位を勝ち取ってきた。

 そこからの三十一位は、何かあったのかと思われてもおかしくはない。

 

「あかね、今日のことといい。

 お前、なにか隠しているんじゃないか?」

「なっ――なにを言ってるの!? そんなことある訳ないじゃんっ!」

 

 マズい。マズいマズいマズい――! 小説のことは、お父さんに話していない。お母さんにもだ。

 現状、家族内に私の秘密を知る者はいなかった。

 小説を書いているという秘密。

 それは、できればばらしたくない。

 なんでって――このお父さんが、賛成してくれるわけないからだ。

 将来的に、小説家になりたいなんて言ったら、絶対に反対される。

 

「あかね!」

 

 お父さんの怒号。私はビクッとなってしまう。

 

「その鞄、なにが入っている?」

「こ、これは……」

「いいから見せなさい!」

 

 私は言われるがまま、鞄の中身を開いた。

 

「なんだこれ、パソコン? 前に、私が買い与えたものだな」

「そ、そう……」

「まさか、ネットでできた友達と会っていた、とかいうのではなかろうな」

 

 お父さんは、最近の若者事情について詳しい。

 お父さんは多分、ネットゲーマーとかのことを言ってるんだと思う。

 私がオフ会に参加しているのではないか、そう疑っているのだ。

 

「ち、違う……」

「では、なぜパソコンが必要だったのかね?」

「じゅ、授業で必要だったから」

「では、中身を見せなさい」

「――っ!」

「どうした、早く見せなさい。授業で使ったのなら、疾しいことなどないはずだ」

 

 どうしてこう、人のプライバシーにつけ込む親なんだろうか。

 私は、言い返した。

 

「プライバシーがある」

「それが? 親に対してその発言は無意味だ。それに本体の値段は? 通信料は? 誰が払っていると思うんだ?」

「そ、それは……」

 

 こうなってくると、私はもう言い返せなかった。

 

「見せなさい」

 

 けっきょく、お父さんに私のパソコンに入ってるデータ、すべて見られることになった。

 



「………………………………………………なんだねこれは?」

「小説の、原稿」

「こんなものを書いていたのかね?」

「……はい。今日も、小説書くプロの人に、小説の書き方教わってた」

「名前はなんというんだ? プロの人がでっち上げだと困るのでな」

「じ、実在する。ペンネームは『小島一茂』って人。本名は、小島洋太くん。私と同じクラスの子」

 

 お父さんは眼鏡を曇らせた。思うところがあったらしい。

 

「それで、夜の喫茶室で、その彼と駄弁っていたと」

「む、無駄話じゃないよ。わ、私小説家になりたいんだっ! みんなに認めてもらいたいんだっ!」

 

 お父さんの額に、見る見るうちに青筋が浮かぶのを見た。

 私は、いやな予感がした。

 同時に、言わなきゃよかった、と思った。

 

「ふざけるなッ! そんな妄想が、かなうわけなかろう!」

 

 ちゃぶ台のお茶が危うくひっくり返るところだった。

 お父さんは、激昂しながら続けた。

 私には言い返す気力もなかった。

 この人と話すのはきっとむだなんだろうな、そうとすら思った。

 

「どれだけ厳しい世界だと思ってる!? ちょっと書いて当てられるのは、著名人だけだ。なに広告力のないお前が、どうして小説家になって成功できると思う?

 いいか、小説って言うのは芸術じゃないんだ。

 ビジネスなんだぞ?

 出版社が死に物狂いで金稼ぐためにライターを雇って、書かせているだけの、たかがビジネスなんだぞ? 作家なんて、好きなものを書ければいい、ってものではないのだぞッ!」

「そ、そんなことないっ!」

「甘いと言っている。だいたい、小説が芸術だとしてだ。お前にその才能があるのか?」

「そ、それは…………………………」

 

 私はこのことについて、小島くんからはっきり言われている。

 才能はない。

 改善したとして、せいぜい見て貰えるレベルになるだけだ。

 私は、小島くんから否定されている。

 ――――プロの小島くんからだ。

 

「……………………ない、かもしれない……」

 

 お父さんは一気に気が抜けたように肩を落とした。

 

「お風呂に入ってきなさい。もうこの話はおわりだ。

 そんな夢、今から捨てなさい。

 それで学力成績が落ちたのでは、本末転倒だ。

 小説家って言うのは、ふつうの人生のレールから外れる職業なんだぞ。

 それがお前にとって、どれだけ苦しいものなのか、お前には想像がつかないだけだ。

 一度人間がレールを踏み外したら、転落するのは早い。

 これは、私からの願いだ、あかね。

 ふつうに就職し、ふつうに生きなさい。

 それがお前の幸せに繋がるから」

 

 お父さんはそう言って、居間を出て行ってしまった。

 お母さんがぽんと、私の肩を叩いたけど、なにも言わずにどっか行ってしまった。

 私は一人で、ひたすらに泣いた。泣いて泣いて泣いて、ケド涙は涸れなかった。

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