北沢あかね 1

 三島健。

 俺の親友にして悪友である。

 昼休みはいつも、こいつと二人きりでご飯を食べる。

 

「それでさ、昨日の出川みた? あのリアクションおかしかったよね!」

「あぁ、そうだな」

 

 なんてくだらない話に華を咲かせたりする。

 親友なのだが、下手に話すこともない仲。

 詰まるところ、俺に友達は少なく、こいつは数少ない友達の一人ってわけ。

 もしかしたらこいついなかったら、俺はクラスで孤立するかも知れない。

 

「んで、この前付き合った女子校のエリカちゃんなんだけどね――」

 

 話は健の恋愛話へとシフトしていく。

 おれは、はぁ、とため息をついた。

 恋愛の話はあまり好きではない。

 嫌いではないのだが、他人の話はあまり聞きたくない。

 どうしても男子の恋愛話って、下心が満載しているように聞こえちまうからな。

 

 俺はなんとなくで、健の話を聞き流した。

 どうやらエリカちゃんとはうまくいってないらしく、そろそろ別れるらしい。

 ならそうすればいい。

 俺は他人の色恋沙汰に興味はないんでな。

 

「お前はとっかえひっかえ彼女を作っているが、恋愛って言うのはそんなに楽しいものなのか? 俺にはよくわからん」

「ちっちっ。実際、僕にだってよくわからないよ。ケド異性と常に一緒にいるって言うのは、それはそれで楽しいものさ」

 

 どうやら健の恋愛は、肉体関係を挟まないらしい。

 相手がまだそれをするのが恥ずかしいから、ということらしい。

 それに健も律儀に合わせているのだから、こいつの人間性は素晴らしいな、と尊敬できる(適当)。

 あくまで高校二年生らしい付き合い、ってことらしい。

 そのうち一線越えそうだけどな。

 

「洋太はどうなの? 恋愛とか、してみたいとか思わないわけ?」

 

 健が箸をいじりながら聞いてきた。

 なぜにやついているのかがよくわからん。

 俺は正直、恋愛に興味がないわけじゃない。

 ただ、誰でもいい、というわけでもない。

 わかっている。こんな考え方がいかにも子どもっぽいってことは。

 

 だが好きな人にだけ好かれたいと思うほど、まだ子どもでいたいのだ、俺は。

 それに好きな子以外、興味がないってのもある。

 その好きな相手は、まぁ言わなくても分かるだろう。

 

「洋太的に、うちのクラスだったら誰がタイプ?」

「誰だろうな、北沢かな」

「おっ、いいねー。でも北沢さんかー。あれは鑑賞用って言うか」

 

 俺たちは廊下側の席に座って飯を食っている。

 対する北沢は、窓際だ。窓際の、一番後ろの席で、食べ終わったのか本を読んでいる。

 いつもと変わらない光景だ。

 

 ちなみに俺が北沢の名前を挙げたのは、本当に北沢が好きだから、というのもあるが、北沢の名前は挙げやすいから、ってのが一番の理由だ。

 北沢あかねは、美人だ。しかし、彼女候補にはならない。

 だからおれは安全策を採って、北沢の名前を挙げた。

 ちくり、と罪悪感が走った。

 北沢の名前を安全策にしたことにたいして、胸が痛んだのだ。

 

「付き合うってなったら、けっこう難しいタイプだと思うよ。

 喋らない子だと、ちょっとね……」

 

 俺は異性と付き合った経験がないのでわからないが、相手は喋るタイプの方が、付き合う分にはいいらしい。

 まぁ、当然か。喋らない奴よりは、喋る奴の方がいいもんな。

 と、委員長が、よせばいいのに、北沢の方に近付いていった。

 今の時期は、高校二年生の六月だ。

 委員長は、文化祭実行委員を兼ねている。

 そして、ミスコンの出場者を探しているまっただ中らしい。

 ずいぶんと気が早いな、と思う向きもあるかも知れないが、うちの文化祭は十月なので、好捕を決めておくには妥当な時期と言えるかもな。

 

「ねぇねぇ、北沢さん、本当にミスコン出るつもりない?

 うちのクラスメイト、みぃんな北沢さんに出て欲しいって思っているのだけれど。

 どうかしら?」

 

 本当によせよ。

 俺はほんの少し、腹が立った。

 北沢が本を読んでいるときに、ずかずかと、委員長は聞いたのだ。

 となりの健が口笛を吹いた。多分、向こうには聞こえてないと思う。

 

「やるねぇ」

「よせ」

「毎回毎回言ってるよね。出る気ないって」

「でも、北沢さんなら優勝間違いなしよ?

 北沢さんだったら、きっとミスコンに選ばれて、広報にも素晴らしい写真が載ると思うんだけどなぁ」

 

 広報、というのはその名の通り、学校外にも配る広報だ。

 つまり『ミスコンで優勝すれば、あなたの名前と顔は、地域中に広がるのだ』と委員長は申している。

 よけいなお世話だろうな。

 絶対北沢は、そういうのに興味ないと思う。

 

「興味ないよ」

 

 ほらな。

 

「そっか、また気が変わったら言ってね。早くしないと、他の人に決まっちゃうから」

 

 北沢はきょとんとした表情を浮かべたままだった。むりもない。

 べつに北沢からすれば、他の人に決まってくれても全然文句のひとつもないだろうからな。

 

「じゃあね」

 

 委員長はその場を去って行く。去り際、口元でブツブツ呟いているのが見えた。

 

『なにあのおんな』

 

 と呟いているに違いない。

 じゃあなんで北沢に聞いたかというと、北沢をミスコンに推す生徒が多いからだ。

 委員長は悲しいかな、中間管理職。生徒の要望には応えないといけない。

 それが呆気なく断られたのだ。

 北沢はどうやら、女子から王子様扱いされているが、そうでない女子もまたいると言うことだろう。

 まぁ自然の摂理か。

 北沢とはつまり、そういう女の子であった。

 



 俺はいつものようにエプロンを身につけ、忙しなくテーブルの間を行ったり来たりしていた。

 喫茶室『ららら』

 駅から徒歩五分の位置にある喫茶店だ。

 オーナーは俺の親父。

 俺は店の手伝いだ。

 

 他に何人かアルバイトがいるが、まぁアットホームな職場である。

 決してブラックな環境ではない。

 夕方五時頃、俺は驚いた。

 オムライスを持ってそれを注文のあったテーブルに運ぶと、視界の端に、とんでもない人物が写り込んだ。

 窓際の席。二人掛けのテーブルだが、一人が座っている。

 あれは間違いなく北沢あかねである。

 いったいなにをしに来たのだろうか?

 いや、読書か。

 と思ったが違う。

 彼女は一生懸命に、パソコンでなにかを打ち込んでいく。

 そう、一生懸命に、だ。

 

「なにやってるんだ?」

 

 おれは思わず呟いてしまう。すると、べつのテーブルから注文があって、俺はそちらに向かうことにする。

 北沢あかねが、パソコンに向かってなにをしてるんだ?

 俺は、好きな人の意外な一面を知って嬉しくなっていた。

 彼女のところに近付いた方がいいのだろうか?

 わからない。

 

 クラスメイトだが、よく話すわけではない。

 北沢あかねと話したことは、入試の時に一回ある。

 北沢の脇には、ハードカバーの本と、コーヒーが置いてあった。

 べつだん、不思議なところは見あたらない。

 すると――からんころん――という音を響かせて、入店する者があった。

 

 金髪、茶髪、プリン髪……三人の男性客だった。

 年齢は、二十代後半から三十代といったところだろう。

 建設会社で働いていそうな風貌だ。

 対応は、アルバイトに任せた。

 しかし彼らは、さっと北沢の方を見ると、なにやらひそひそ話をし始めた。

 なんだかいやな予感がするな……

 そしてそのいやな予感は的中した。

 

「ねぇねぇおねーさん、なにかいてるのー?」

 

 男のうちの一人が北沢に話しかけた。

 おい、マズいな、とおれは思った。

 だがしばらく様子を見ることにする。

 早とちり、ってこともあるからな。

 

「ねぇ見せてよ? お姉さんもしかして一人?」

 

 北沢はさっと男の方を見た。

 そして鋭い瞳を向けると、

 

「なんですか?」

「ふぅー、お姉さん怖い! 氷みたいに冷たいなー」

「ねぇ、お姉さんが書いてるそれ、見せてよ?」

「ダメですけど……」

「えーいーじゃん減るもんじゃないし!」

「なんなんですか、本当に」

 

 さすがの北沢も、押され気味だった。

 あの北沢が怯えている。

 俺はどうしたものかと首を掻いた。

 俺がここで出て行ってしまったら、北沢に俺が働いていることがバレてしまう。

 そしたら必然的に俺は北沢と会話しなければならない。

 俺は、あくまで男子高校生だ。

 

 好きな女の子と話す勇気は、実はなかったりする。

 だがそんな女々しいことを考えている余裕は、どうやらなさそうだった。

 男の一人(プリン髪の奴)が、北沢のパソコンをぐいっと向けて、勝手に内容を読み始めたからだ。

 

「えーっと、四月二十日、私は翔太という男の子に恋をした。彼は野球部のエースであり……、ってなんだこれ? 日記?」

「か、かえしてっ!」

 

 北沢はぱっと、パソコンを取り上げた。

 

「いい加減にして下さいっ!」

 

 北沢の声が店内に響き渡る。

 だが男は懲りた様子はなかった。

 ぴゅう、と口笛を吹くと、

 

「お姉さん名前なんて言うの?」

 

 と聞いた。北沢は、口をゆがめて困惑していた。

 北沢はどうやら、注目されるのが大の苦手らしい。

 なるほど、ミスコンを断った理由のひとつかも知れない。

 俺はさすがに、怯える北沢を無視できなかった。

 近付いて、声を掛ける。

 

「あの、やめてくれますか?」

「あぁん!? なんだてめぇは!?」

「るっせぇな怖がってんだろうが」

 

 俺はあくまで強気に出る。弱気に出たらおしまいだ。

 

「おうおう、てめぇ調子にのってんなよ、あぁ!?」

「うちはナンパできる店じゃねぇつってんだ、失せろ」

「ちっ、やんのかてめぇ――!?」

 

 さすがに俺は拳のひとつ覚悟した。

 だが店の奥から、野太い声が響き渡って、男の振り上げた拳は、俺へと突き刺さることはなかった。

 

「のう、お前ら、店が騒がしいと思うたら」

 

 ゆっくりと、巨体が近付いてくる。身長は二メートル近くある大男。

 眼鏡がギラリと光る。

 ぱっつぱつの制服は、あまりにも他を圧倒する。その威容は、他のお客まで怖がらせるのに充分であった。

 

「いい加減にせぇよおまえら」

「ひっ――!?」

「やべっ、やべぇやべぇ!! 誰だこいつ!」

「てめぇら喫茶店を江ノ島の海と勘違いしとるんじゃなかろうな」

 

 親父の声は野太くて強い。声だけで他を圧倒できるほどだ。

 

「親父、出禁でいいか」

「もちろんじゃ、顔はすべてあの防犯カメラに録画済み。お前らはブラックリスト入りじゃ」

「ひぃっ! やべぇ逃げるぞ!」

「お、おおおおぼえてやがれ!」

 

 大の男三人は捨て台詞を残して店から出て行ってしまった。

 

「平気か?」

 

 北沢は呆けたように俺を見つめている。

 それから――これは予想外だった――俺の胸に顔をうずめてきたのである。

 彼女のかぐわしい匂いが、胸いっぱいに広がる。シャンプーの香りだろうか?

 

「――――――ッ!」

 

 彼女はどうやら泣いているらしい。それほど怖かったのだろう。

 それから数分後、彼女はゆっくりと顔を上げた。泣きはらした顔は真っ赤だった。

 

「えっと、ありがとう。………………もしかして、こじまくん?」

「あぁ」

 

 俺は動揺を悟られないように気を付けながら、答えた。

 俺の人生の中で、もっとも女性が接近した瞬間である。嘘だ。母親が俺を産んでくれたわけだから、二回目か。

 

「あり、ありがとね。おかげで助かった」

「怖かったのか?」

「……うん、ごめん、まだちょっと気持ちが落ち着かないや」

 

 北沢は今度は顔を真っ青にして、席に座り込んだ。それから思い出したように、パソコンの画面を自分の方に向けた。

 よっぽど見られたくなかったらしい。日記かなんか書いてたのか?

 喫茶店で、パソコンのキーをタッチしている人は珍しくない。

 日記を書いていたとしても、おかしくはないと思う。

 

 だが北沢はよほどその内容を見られたくないのか、パソコンの画面を自分に引き寄せて、まるで我が子を守る雛のように抱きかかえている。


「……えっち」

「見てねぇよ」

 

 何だこの会話は。

 俺は北沢の見てはいけない姿を見てしまった気になって、少し罪悪感を覚えた。

 すると親父が、こんな提案をした。

 

「俺が店番かわる。お前は休憩室に、その子を連れてってやれ。こんなに注目を浴びてちゃ、お客さんとしては可哀相じゃけーの」

 

 親父は優しい。だから女にもてるのだ。

 

「悪い、親父。……あー、北沢、ちょっと休憩室の方まで来られるか?」

 

 北沢は顔を真っ赤にして、俺の顔を見上げて、『……え?』と動揺している。

 

「その………………いいんですか?」

「お茶くらい出すぞ。さすがにここじゃ、もうゆっくりできないだろ」

 

 俺が言うと、北沢はうん、とうなずいた。

 

「じゃ、じゃあお言葉に甘えて……。ね、ねぇ」

 

 北沢がなにか呼びかけてくる。一体なんだろうか。

 

「小島くん、ありがとね。ちょっとかっこよかった」

 

 俺はその瞬間、彼女の顔を見られなくなった。

 なぜ北沢の笑顔はこんなにも破壊力があるのだろうか、と少し考えて、わかった。

 俺は北沢の笑った瞬間を初めて見たからである。

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