四章 1

 十一月某日。

 俺は改札の前で荻原を待っていた。

 休日の神塚駅前はけっこう人が多い。ざっと見ただけでも百人はいそうだ。

 俺は腕時計を見て、まだ五分前であることを確認する。

 

「お待たせ」

 

 と、俺に声を掛けてくる者があった。

 荻原だ。今日は私服姿である。

 かくいう俺も私服姿だ。過度に派手じゃない服装をチョイスした。

 

 ――今日、俺と荻原は、荻原の実家に向かう。

 

 アポイントメントはなんとか取れたらしい。らしい、というのは、全部荻原が連絡したからだ。

 まさか俺から連絡するわけにはいかないしな。

 荻原のお母さんは、今日実家にいるらしい。

 いくら社長とは言っても、休日くらいはある。貴重な休日ではあるが、それを今日のために割いてくれたのはとてもありがたかった。

 

「い、行こっか」

「あぁ」

 

 荻原は緊張した様子だった。

 まぁ、かくいう俺も緊張しているんだけどな。

 一応荻原には、友人も連れて行く、と話をしてあるそうだ。

 それが男だとわかったら、なんて言われるんだろうな。

 まぁでも、これはある意味テストでもある。

 

 もし荻原母が荻原のことをどうでもいいというのなら、べつに男友達を連れてきたところでどうも言わないはずである。

 もし、俺が荻原の実家に行くことで、『と、友達って男だったの!?』などという反応を荻原母が見せれば、それは紛れもなく母親が娘のことを気に掛けていた証拠になる。

 

「(……………………どうでもいい反応を見せられたら、荻原にはショックだろうが、まぁやるしかない)」

 

 俺はあくまでサポートに徹するつもりだ。

 もしもの時は、最終手段でもとるしかない。

 最終手段ってなにかって?

 まぁそれはそのときになったときのお楽しみってことで。

 おれたちは二階改札を抜けて、ホームへ向かう階段を降りていく。

 

 荻原の表情を、チラッと横から確認する。

 いまだに緊張が抜けていない。

 大丈夫か?

 心なしか顔が青い気がする。

 むりもないと思うが、さすがに途中で倒れられたりでもしたら、話にならない。

 そうこうしているうちに、ホームに電車がやって来た。

 おれたちは電車に乗った。

 不安を胸に抱えながら――

 



 荻原の実家に到着した。

 デカい。まずその感想が浮かんだ。

 一軒家……というより屋敷だ。

 和風なお屋敷で、本当にここに入っていいのか、ためらうくらいに豪華だ。

 インターフォンはふつうの家のものと変わらないのがちょっとだけおかしい。

 だが、笑みは浮かばない。

 俺も荻原も二人して緊張していたからだ。

 

「はいぃ、荻原です。どちら様?」

 

 インターフォンから声が聞こえた。

 どうやら、荻原はこの声の主を知っているらしかった。

 顔をぱっと明るくして「アタシ、荻原美琴です」と応えると、「あら美琴ちゃん」と声が返ってきた。

 

「知り合いか?」

「前に言ってた、お手伝いさん」

 

 なるほどな。お手伝いさんがインターフォン係でも、おかしくはない。

 メイドさんとも言い換えられるか。

 だが和風なお屋敷だから、女中って言い方が正確かも知れない。

 通用門に立っていた警備員が連絡を受け、扉を開けてくれた。

 おれたちはぶじ、荻原の実家に入ることができた。

 



「美琴ちゃん、お帰りなさい」

「ただいま小林さん。元気だった?」

「えぇもう。美琴ちゃんも元気だった?」

「うん、学校も楽しく通ってるよ」

 

 荻原とお手伝いさんの小林さんが楽しそうに会話する。

 おれたちは今、屋敷の廊下を歩いている。

 縁側からは、池とかししおどしとかが目に入った。

 本当に屋敷なんだな、と思わされる。

 荻原はこんな家に住んでいたのか。

 

 だが考えてみれば、あのマンションも家賃相当にする。

 俺の両親もそれなりに金持ちで家賃を出してくれているが、荻原の両親からすれば家賃なんぞ出しても痛くも痒くもないんだろうな。

 さすがは金持ちだ。

 おれたちは部屋に案内された。

 

 和室だ。畳が敷いてあり(二十畳はあるか?)、真ん中にテーブルが置かれている。

 壁には掛け軸が掛かっており、その前には壺が置いてある。

 

「あ、あの、お母さんは?」

「到着まであと十分だそうです」

 

 おかしいな。今日は休みって話じゃなかったか。

 

「休みじゃなかったんですか?」

 

 おれは思わず聞いてしまった。

 お手伝いさんの小林さんは、軽い感じで答えてくれる。

 

「昨日まで仕事で、朝に移動なんですよ。なので今日おうちに帰ってくる感じですね」

「なるほど……ありがとうございます」

 

 相当に多忙な人のようだ。

 それだけ働きづめで、メンタル病んだりしないのだろうか。

 いや逆ってパターンもある。

 働いてないと落ち着かないとか、そういう性分の人なのかも知れない。

 荻原は先ほどから、用意された緑茶をゴクゴクと飲んでいる。

 熱い、熱いいいながら、それでも飲んでいる。

 よっぽど緊張しているらしいな。まぁむりもないか。

 

「あんま飲み過ぎるなよ。トイレが近くなるぞ」

「わかってるわよ。け、けど……落ち着かなくって」

 

 思えば、荻原は髪色を派手にしている。ピアスまで開けているのだ。

 そんな娘に対して、母親は何とも思わないのだろうか。

 不良みたいな恰好をしている娘。ふつうだったら親は反対するだろう。

 それとも、娘がどんな恰好をしようとも構わない、というくらい、荻原のことを見捨てているのだろうか。

 

 まぁ、家庭の事情に対して深く考えるのはよくないな。

 そうこうしているうちにふすまが開かれた。

 黒いスーツの人たちに囲まれるようにして、荻原の母親が入ってくる。

 

「友達?」

 

 おれの方に鋭い目を向けて、荻原母は言った。

 荻原は「そ、そう」と答えた。

 

「恋人じゃないけど……親友」

「どうも。荻原の友達の石上って言います」

 

 荻原母はまるで興味なさそうに、しかし社交辞令とばかりに「娘と親しくしてくれてどうもありがとう。で、話は?」と切り出してきた。

 何ともあっさりとした人だ。

 だが、化粧はまるで崩れていない。

 社会人として、まったく隙のない人なんだろう。

 逆にそれ以外はおろそかにしている、って感じだろうな。

 自分の娘を放置するくらいだからな。

 荻原は「あっ」と思いだしたように声を上げた。

 

「お、お母さん三十分だけ時間くれない。す、すぐ終わるから」

 

 荻原は交渉ごとに向かない。

 強めに出ると言うことが苦手なのだ。

 営業マンにはなれないだろうな。マン? 細かいことはいい。

 とにかく、荻原はその自信のなさから、下手に出るクセがある。

 

 俺はサポートしてやることにした。

 このままだと、荻原母に話を逸らされて終わる。

 そのまま「帰って頂戴」と言われかねない。

 

「なにを言うかと思えば……」

「――俺からもお願いです。三十分、いえ、一時間だけ、時間をくれないでしょうか。それですみます」

 

 荻原がオムライスを作るのに手間取ると考えて、三十分の調理時間。そこからプラスして三十分、実食タイム。

 その間に、うまく話をつける。

 荻原と、荻原母の仲を、良好なものにする。

 単純だが、それ以外に選びようがない。

 

「用件は?」

 

 荻原母はあくまでクールな対応を見せた。

 その表情は明らかに苛立っている。

 一分一秒でも、娘と顔を合わせていたくない、そんな顔だ。

 

「オムライス、食べてよ」

 

 荻原が言う。

 荻原母は顔をしかめた。

 本当に、引いてる顔だ。

 

「子どものままごとに付き合えと? 実の母親に対して?」

 

 俺はカチンときた。

 なんでこんなときだけ、自分が『母親』を名乗ることを許されていると思ってんだろうか、この人は。

 だが荻原は、気にした素振りを見せない。

 会話が成立していること自体に、喜んでしまっている感じだ。

 

 くそ。

 荻原が怒ってないのなら、俺も怒れるに怒れない。

 だが、客観的に見て、荻原の母親はおかしい。

 なにかが欠如している。

 最低だ、この人。

 

「そ、そうなの。ごめん、時間取ってもらっちゃって。け、けど、自信作だから、食べてよ」

「いや」

 

 あっけなく、断られた。

 ちょっと待てよ。

 そんなあっさり、断る必要ないだろう。

 なんでそんなに素っ気ない対応を取ることができるんだ、この人は。

 

「朝ご飯は済んでいるのよ? それに、むだな食事はあまり代謝されない。それなのに、わざわざ栄養を取る必要があるの? 栄養なんて、摂れればそれでおわりでしょう」

 

 そういうタイプの人か、

 俺は思わず舌打ちをしそうになる。

 そもそも食事をただの栄養補給と思っている人だ。

 

「ちょっと待ってくれ」

 

 俺は口を挟んだ。

 荻原母は顔の向きを変えずに、目だけでこちらを見た。

 

「あんた、お菓子メーカーの社長なんだろ。うまいもん食ってみたいとは思わないのか? 荻原の料理は、あんたが思っている以上によくできてるはずだ」

「それがどうかした? あなたたちは本当に子どもなのね。虫唾が走るくらいに子ども。自分たちのメリットになりそうな情報だけを提示して、相手のメリットを提示しない。言ったでしょう。食事は済ませているって」

「べ、べつに全部食べてくれなくてもいいから。一口だけでもいいからさ……」

「――黙れって言ってるの。聞こえなかった?」

 

 しん、と部屋中が静まりかえった瞬間だった。

 荻原母は、特有のカリスマ性を持っている。

 一部は、絶対荻原に遺伝しただろうが、そのカリスマ性が今発揮された。

 この人の声は、どこか有無を言わせないものがある。

 怖いのだ。

 彼女の決定は絶対だ、といわんばかりの声音。

 空間が一気に、荻原母の有利に変わる。

 荻原が下で、母が上。

 

 くそ。

 たしかに、荻原母が食べたくないというのなら、料理を食べないのは正当な要求だろう。

 そこに対して、食べてくれ、と頭を下げるおれたちの方がバカみたいだ。

 だが、だがだ。

 

 自分の娘が頼み込んでいるのに、よくもまぁここまで拒絶できたものだ。

 俺は背中に、冷たいものが走るのを感じた。

 同時に、頭は煮えくりかえりそうなほど、熱くなっていた。

 脳みそのすべてが熱で溶かさされて、この部屋に流れ出しそうなほど、強く怒りに支配されていた。

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