三章 7
けっきょく母さんは泊まることになった。
まぁそれはいい。
時刻は十一時三十分。荻原はまだうちにいた。
どうやら話の流れで、荻原までうちに泊まることになってしまったらしい。
らしい、というのは、俺は話し合いに参加していないからだ。
母さんが、「どうせなら美琴ちゃんも泊まっていっちゃいなさいよ!」と提案したので、荻原はうまく断れず、結果泊まることになってしまった。
一応となり同士であることも説明した。したのだが、可愛いものにとことん執着する母さんはまったく聞かなかった。隣でも関係ないわ! 一緒に寝ましょうよ美琴ちゃん! の一点張りだった。
もうちょっと人の迷惑ってモンを考えてやれよな、とも思わなくもない。
だがまぁ、荻原もそんなに迷惑そうにしていなかったからこれはこれで結果オーライなのかもな。
今のテーブルには紅茶が三つ置かれている。荻原はゆっくりとそれをすすって飲んだ。
夕飯は荻原と母さんが協力して作った。今日はロールキャベツだった。
本当に荻原は料理がうまいと思う。
「美琴ちゃん、ものすごい料理が上手よね。どこで習ったの?」
母さんに褒められたのが嬉しかったのか、荻原は顔をぱっと明るくした。単純な奴、って言っちゃ悪いか。
だが彼女の反応を見る限り相当嬉しかったらしいな。
荻原は顔を赤くして、応えた。
「お手伝いさんがいたんです。それで、その人に教えてもらいました」
「お手伝いさん? もしかして美琴ちゃんの家って、お金持ちなの?」
「……はい」
赤くなっていた頬が、急に白くなった。
そうだな、あまり踏み込まれたくない部分だろう。
「ん? どうしたの美琴ちゃん?」
俺は助け船を出した方がいいと思ったので、横から口を挟むことにした。
「母さん。一応、荻原にも家庭の事情ってもんがあるんだ。あんまり踏み込まないでやってくれ」
「いや、いい。ありがと石上くん」
俺の助け船を荻原はわざと沈めた。
どうやら、母さんは信頼に値する人間らしい。
「あらそうなの。ごめんね、美琴ちゃんのこと踏み込みすぎてしまって」
「いえべつに構いません。アタシ、ちょーっとお母さんとケンカしてるって言うか」
荻原は戸惑いながらも、自らの家庭のことについて語っていく。
「差し支えなければ、聞かせてもらってもいいかしら? その、女の子の、それも高校生が一人で生活しているなんて、あまり世間では聞かない話だから……。答えづらかったら構わないわ」
なんでだろうな。
踏み込んだ質問で、聞きようによっては『失礼』に当たるような事でも、母さんが聞くと柔らかい印象になる。
それはもしかしたら、母さんが放つ威圧感のせいかもしれない。茶色く染めた髪に、吊り上がった瞳はどこか『強い女性』という印象を与える。
実際俺はなんども母さんを強い人だな、と思ったことがある。
そういう人だから、これだけ込み入った質問でも失礼に聞こえないのかも知れないな。
荻原はかなり戸惑った様子で、口をパクパクさせていたが、やがて覚悟が決まったのか、自分の家庭事情を母さんに話す気になったらしい。
「石上くんのお母さんって、なんか石上くんに似てますよね」
「そうかしら?」「そうか?」
俺と母さんがハモった。もしかしたらこういうところが似ているのかも知れない。
「あんまし他人に知られたくないことだから、他の人に話すのはやめてくれるって約束してくださるなら、話します」
母さんはうなずいた。
――そして荻原は、自分のことを話した。なぜ一人暮らししているのか、高校卒業後とともに事実上親と縁を切ることなど、ふつうじゃないエピソードが盛りだくさんだった。
母さんはその言葉ひとつひとつを聞き漏らすまいと、顔色一つ変えずに聞いていた。
「そうなのね」
母さんはまず、それだけ言った。
「私が美琴ちゃんの立場なら、多分美琴ちゃんみたいに強くなれないと思うわ」
「そう、ですか? アタシべつに、そんなに強くないと思います」
「いいえ、美琴ちゃんは強い。だって学校でそれだけ人気者になれるって、ふつうじゃないもの」
荻原はややうつむいた。照れているのか、それともただ考え事をしているだけなのか、おれには判断がつかない。
「アタシが人気者なのは、べつにそうなろうとしてるからじゃないです。ただお母さんに認めてもらいたかったから、勉強とか、きちんとやろうって思ってるだけなんです。
だからなんて言うか、アタシが人気者なのは、みんなが勝手についてくるからって言うか」
荻原はぎこちない笑顔で、そんなことを言う。
もしかしたら荻原は、人気者である自分自身に、自信がないのかも知れない。
身に余る期待を背負いながら、今日まで生きてきたのかもしれない。
だとしたら相当に抱え込むものも多いだろう。
荻原は人気者であるが、人気者は得てしてやっかみを買いやすい。特にそれが女子ならな。
女子グループって言うのは、一筋縄じゃ行かない。
ちょっとしたひずみで、グループの外側にはじき出されてもおかしくないのだ。
荻原は疲れたような表情を見せる。
それは学校では絶対に見せない表情だ。
「美琴ちゃん?」
「?」
母さんは荻原の名前を呼ぶと、荻原の頭を手で引き寄せた。それからグッと、荻原の体を抱きしめる。
荻原は戸惑っていたが、母さんはお構いなしに続ける。それが母さんの強さだ。
「美琴ちゃんはどうしたいの?」
「どう、って?」
「お母さんに、どうなって欲しいの?」
「そ、そりゃ、振り向いてもらいたい、って。アタシのこと全然見てくんないあの人に、ちょっとでもアタシのこと理解して欲しいって」
「だったら、ガツンと気持ちをぶつけなさい!」
母さんは怒鳴った。荻原の肩がビクッと震えた。
「そうすればあなたの思いはきっとお母さんに届くはずよ。自分がお腹を痛めて産んだ娘ですもの。嫌い、嫌いと思っていても、どこかにかならずその子に対する思いがあるものなの」
荻原は茫然とその言葉を聞いていた。そして口をゆっくり開く。
「そ、そんなの、わかんないじゃん……! 気持ちをぶつけて、もし、お母さんが聞く耳持ってくれなかったら、また傷つくことになる……」
荻原の意見ももっともだと思った。現に荻原は自分の母親にオムライスを食べてもらいたいと言って、それを拒否られているという経験がある。
母親のことは、好きだ。だけど向こうは、好きと思ってくれていない。
「そうね。その可能性も否定できないわね」
母さんはあえてそれを認めた。荻原の母親は、聞く耳持たない可能性もあると。
「――けどね、これは私自身が母親だからわかることなのだけれど、その美琴ちゃんのお母さんは、どこか後ろめたい気持ちがあるように思えるのよね。これは、私の推測なのだけれど――」
母さんは一息ついて、続けた。
「お母さんの後悔が、美琴ちゃんって言う形になって表れているわけでしょう?
その娘が、それだけすごいことを成し遂げて、なにも思わないわけない。
もしかしたら美琴ちゃんのお母さんは、あなたのことを恐怖に思っているのかも知れないわ」
「恐怖?」
思わず聞き返してしまったのはおれの方だった。いったいどういうことだろう?
「えぇ、怖いのよ。それだけのことができてしまう美琴ちゃんが。
カリスマ性を持つ者って言うのは、同じくカリスマ性を持つ者のことをよく見ている。
お母さんは、美琴ちゃんに嫉妬しているのではないかしら? だから、怖い。
自分のできなかったことを、美琴ちゃんはできてしまう」
俺はぽかんとなってしまう。自分では思いつかなかったことを、母さんが言ってのけたからだ。
だがたしかに、その可能性はありそうだ。
学校での荻原はとてつもなく眩しい。体育館でバスケットボールをやれば余裕でダンクシュートを決めるし、サッカーをやればドリブルだけでコートの端から端まで、一人で走り抜けてしまう。
おまけに成績も一位だ。一位じゃなかったところを見たことがない。
それに異性を惹き付ける容姿。立ち振る舞い。
どれだけ努力すれば、そんな位置につけるのだろうか。
俺と荻原じゃ、月とすっぽんだ。逆だな。すっぽんと月か。
比べるべきもないほど、荻原美琴という女の子は輝いている。
日本で女子高生番付を開催すれば、荻原は余裕で一位を取れてしまうのではないか。
おまけに料理もうまい。
なにをやらせても輝いてしまう。
そんな荻原に対して、荻原の母親は嫉妬している。
考えられない話じゃない。
荻原の話では、荻原母は相当にプライドの高そうな人だからな。
「そ、っか。…………そうかもしんない」
思い当たる節があるらしい。荻原は一つうなずいて、
「たしかに、お母さんがアタシに料理食べさせてくれることって、あんまなかった。もしかしたら、お母さん料理あんま得意じゃなかったのかも」
「食品メーカーの社長がか?」
おれは思わず突っ込んでしまった。……まずかったか。突発的とは言え、聞いちゃまずいことだったか?
だが荻原は、素直にうなずいた。
「うん。食品メーカーって、ほとんど機械で作るからね。あんまし、メーカーの人間が料理うまい必要はないって言うか。
もちろん、食べる側としては、舌を肥えさせてないといけないって部分はあるけどね。よく上司とかに連れられて高級レストランに連れられる部下の話とか、小耳に挟んだことがあるから」
そうなのか……。
俺はまだまだ世間知らずだな。けどたしかに、メーカーって料理しているイメージはあんまない。
「多分、石上さんの言ったとおりだと思う」
「恵子ちゃんでいいわ」
母さんはにっこりとして言った。
「け、恵子ちゃんの言うとおりだと思う。お母さん、アタシのこと嫌いなんじゃなくて、恐れてたってこと?」
荻原は自分の中で整理をつけるために、自分で疑問を発する。
「確定ではないけど、母親目線からはそういうこともあるってこと。
ほら、私なんかお喋りで、ピーチクパーチクよけいなこと喋るけど、だからこそ、あんまり喋らないけどピンポイントで言葉を発するクールな息子が羨ましいって思うときあるし」
「……そうなのか?」
おれは思わず聞き返してしまう。母さんそんなこと思ってたのか。
「えぇそうよ。
ただしお母さんの場合は、鍵君のことが好きって気持ちが強いけれどね。
嫉妬と言うよりも、『さすが私の息子ね!』って誇らしい気持ちの方が強いかな」
なるほどな。
いや、恥ずかしいが、母さんの言ってることはよくわかる。
母親だからこそ、自分と、自分の子どもの差って言う部分がよく見えるってことか。
母さんの場合それは『誇らしい』って気持ちが強くて、
荻原母の場合それは『嫉妬』っていう感情が強いって話だろう。
「そ、その……お二人って仲いいよね。なんか見てて羨ましいって言うか」
「そうお? へへ、ケドその自信はあるわね! だって鍵君は世界でたった一人の私の息子だもの!」
母さんは胸を張って言う。恥ずかしいことこの上ない。
案の定荻原が噴き出した。
「ぷっ! あんた、顔面白いよ! 鏡で見てみなよ!」
荻原は俺に鏡を差し出してきた。うわ。形容しがたい顔がそこにはあった。
「あーあ、石上くんのウィークポイントがよくわかっちゃった。石上くんもしかしてマザコン?」
「おい」
俺はすかさず突っ込む。
ここで突っ込んでおかないと肯定したことになってしまいそうだ。
「そんなんじゃない。ただ、まぁ、仲がいいってのは認める」
言葉にはしないが、多分、荻原の家よりは、遥かに恵まれているんだろう。
「ん、わかった。アタシ、お母さんに自分の思い伝えてみる。
電話で呼び出して、お母さんと話し合う。
ちょっと怖いけど、恵子ちゃんの話聞いてなんか勇気出た」
「そう? くれぐれもむりはしないように。
美琴ちゃんのペースでいいのよ?
焦ったら、伝わらない思いだってあるから」
母さんは言う。たしかに、焦ったら伝わらないものはたくさんあるだろう。
おれは思う。
荻原は、多分自分で気づいてないいいところがたくさんあるのだ。
それを気づけないからこそ、自己肯定感の低さに繋がってしまっている。
反対に、そのいいところによく気がついている人間ならたくさんいる。
それは荻原の友達であり、荻原に好色な視線を送る男子であり、
そして俺だ。
荻原の一番近くにいる人間は、今や俺なのだ。
だからこそ、荻原が再び傷つきそうになったとき、傍にいてやりたい。
隣人として。そして友達として。
俺と荻原は、もう切っては切れない縁で結ばれてしまっている。
きっと、荻原と出会ったことも、運命が定めたことなのだろう、と今になっては思う。
あの日、雨の日の公園で荻原が手首を切っていたことは、今でも鮮明に映像として思い出せる。
俺はこいつの味方でありたい、素直にそう思った。
時刻は十二時をとっくに過ぎて、一時四十分。
「一応確認なんだが、やっぱり泊まってくのか」
「もうっ。鍵君の意気地なし。なんで女の子を泊めるのに、そんなに渋ってるのよ」
「いや……べつにとなり同士なんだから、自分の家でもいいのではないかと」
「いいのっ、なぜなら私が美琴ちゃんと一緒に寝たいからです」
「えぇ……」
荻原は若干引いている。むりもない。
おれはため息をついた。どうやら暴走している母さんを止めることはできないようだ。
「そうか。荻原は母さんと寝てくれ。いいな。絶対俺のベッドに入ってくるような真似はするなよ」
「あんた、意外とピュア」
「ただ、俺は俺の貞操のために、お前を踏み込ませることをしたくない」
「言ってる意味わかんないし。っつか、あんたのベッドに入るつもりないし」
そりゃそうか。女子から男子のねぐらに入ってくることって、まずないもんな。
俺はひとまず安心する。
それからおれたちは各自風呂に入り、寝る準備を終わらせた。
「電気、消すぞ」
俺が聞くと「うん」「はーい」と声がして、俺は電気を消した。
まぁなんだ。色々あった日だが、俺はこの日ほど楽しいと思った日はない。
美琴視点
ドキドキして眠れなかった。
べつに同じベッドで眠ってるわけじゃないけど、アタシの眠ってる布団からでも、ベッドで眠ってる彼の横顔は見られたから。
石上くんには色々助けてもらったな、と思う。
アタシがオムライスをお母さんに食べてもらえなくて、また自傷行為に走ったとき、石上くんは駆けつけてくれた。
隣だから、物音が聞こえたのかも知れない。
あの瞬間、家の扉を閉めてなくてよかったな、と今になって思う。
もし締めてしまっていたら、もう二度と石上くんには会えなかったかも知れないのだ。
そう考えると、ぞっとする。
アタシはいったいなにを考えていたんだ。
今となっては過ぎ去った話だけれど、思い出す度に肝が冷える。
アタシは本当に、石上くんに助けてもらってばかりだ。
彼はいつも冷静だ。
冷静だからこそ、アタシは彼と一緒にいて安心するのだ。
石上くんの家はアタシの家よりも狭く感じる。多分ものが多いからだろう。
部屋の形自体、変わってないはずなのに、他人の家って、知らないことが一杯で、ソワソワする。
いや、石上くんは他人じゃないか。
友達なんだ。
アタシには友達がたくさんいるけれど、親友って呼べるのはそんなにいない。
石上くんは、間違いなく親友だと思う。
アタシが困ったときにいつも駆けつけてくれる石上くん。
あの日公園でアタシの自傷行為を止めてくれなければ、石上くんと友達になる機会は永遠に失われていただろう。
そう考えると、アタシ達の関係性って、けっこう運命じみているっていうか。
偶然が重なって今がある、って感じがする。
アタシは石上くんの横顔をじっと見つめた。
まつげ長い……。
少し羨ましい。
彼は今、どんな夢を見ているだろうか。
面白い夢だったらいいな。楽しい夢だったらいいな。
アタシみたいに、悪夢でうなされてないといいな。
あたしはお母さんに会うのが、実はとても怖い。
また無視されるんじゃないかって、不安でいっぱいだ。
ケド今日石上くんのお母さんと会って、勇気を貰えた。
べつに今まで、逃げてきたわけじゃないけど。
それでも前に進むための勇気を貰ったんだ。
石上くんは、お母さんと仲よさそうで、なんだか羨ましい。
ケド不思議と、石上くんのお母さんがあたしのお母さんだったらいいな、なんてことは思わなかった。
あたしのお母さんは、世界で一人しかいない。
たとえ嫌われていても、あたしはお母さんのことが好きなのだ。
だって、お母さんだから。
そんなの理由にならないかも知れない。
アタシはあの人を振り向かせたい。アタシの料理を食べてもらって、おいしいと言ってもらいたい。
そのための努力は、散々してきた。
けどいつもその努力はむだになっていた。だって、そもそも、食べてもらえないのだから。
今度こそ、お母さんに食べてもらう。
料理は、オムライス。それで勝負する。
やっぱり、アタシの中の得意料理だし、一番食べてもらいたい料理でもあるからだ。
これで『おいしくない』と言われたらそれまでだ。
あたしの腕がまだまだだったってことだ。諦めるしかない。
ケド、せめて食べて欲しい。
アタシのすぐ近くでは、恵子ちゃんが寝息を立てていた。
この人のメンタルの強さは尊敬に値する。悩みなんてなさそうに見えるけど、本当はどこかで悩んでいるのかも知れない。
他の人のことは、近くにいないと意外とわからないものだ。
アタシは石上くんがいじめられていた、なんて知らなかった。思いもしなかったんだ。
きっと、そうやって人はわかり合っていくんだと思う。
大事な人、がそうやってできていくんだと思う。
それは素敵なことだな、と考えたとき、アタシはゆっくりと眠りに落ちていった……
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます