二章 3

 荻原の部屋のインターフォンを鳴らすと、きょとんとした荻原が登場した。

 まぁそれもそうか。よくよく考えれば、俺から荻原の家のインターフォンを鳴らすことってなかったからな。

 

 ちなみに今日は十月二十六日。荻原の誕生日は二十七日だから、一日早い。

 それに前日に渡した方が、サプライズ性もあっていいかなと思ったのだ。

 

「これ、お前にやる」

 

 俺は紙袋を荻原に手渡した。いつものように俺はスウェット姿、荻原はジャージ姿である。

 

「な、なに? 爆弾?」

「なぜそうなる……。俺が爆弾魔に見えるって言うのかお前は」

「うーん、ほんの少し。んで、これなに?」

「開けてみればわかるんじゃないか?」

「ふーん、開けてもいい?」

「どうぞ」

 

 俺は言った。心臓が妙に高鳴るのを感じる。脇の下に、じんわりと染み渡るものがあった。 俺はまさか、人にプレゼントするのがこんなにも緊張する行為だとは思わなかった。

 決して恥ずかしいことはしていないのに、なぜか知らないが、心臓の鼓動が早くなっていく。

 耳の後ろで、とく、とく、と脈打つのをはっきりと知覚する。

 やばいな。手汗まで出てきた。こんなに緊張するタイプだったか、おれは。

 

「い、イルカのぬいぐるみ…………。こっちは?」

「一応保冷剤は入れておいた」

「……マカロン」

 

 荻原は目を丸くして、カラフルな小さなお菓子を眺めていた。ジロジロと眺められているマカロン達は、俺と同じように、冷や汗を流しているに違いない。

 

「お前、今度誕生日パーティやるんだろ? そのときにたくさんケーキとか食べると思ったからな。できる限り軽めのものにしといた。日持ちも、まぁ生菓子にしてはする方だと思う」

 

 俺は選択を間違えたか……とおそるおそる荻原の方を見た。

 彼女は頬を真っ赤にして、マカロンを見つめている。

 

「た、誕生日……。あんたに教えたっけ」

「いや悪い。この前お前が友達達と会話しているのを聞いてしまった。それで誕生日が二十七日だから、一日前に渡そうかと思ってな」

「……ぷっ………………あははっ! なんで一日前に渡すのよ! べつに二十七日でもよかったじゃん。なにその気遣い! ちょーうける!」

「うけないだろう……。いや、恥ずかしい話、当日に渡すのは、あからさますぎると思ったからな」

「あんたって、意外と残念な奴?」

 

 くっ……。まさか荻原に言われるとは思わなかった。

 たつきが一人目、荻原で二人目だ。

 俺はそんなに残念な奴なんだろうか……。

 だがまぁ、荻原が喜んでくれたようなので、よしとするか。

 

「あんがとさん。嬉しい。友達からもらうプレゼントって、どこか社交辞令じみてるって言うか、あんまサプライズ感ないから、あんたからこうやっていきなり渡されたことは、素直に嬉しかった」

 

 荻原が柔らかい笑顔で行った。

 いつもその顔でいればいいのに。あんな作り物めいた笑顔ではなくて。

 だがそんなことは言えなかった。言える訳がない。俺が荻原の生き方に対して、とやかく言えるはずもない。

 

「……ん、」

 

 マカロンは三個入りだった。そのうちの一個を、俺に渡してくる。

 

「お前のだろ」

「せっかくだし、一緒に食べようよ」

 

 いいのだろうか。まぁ荻原がそうしたいというのなら、そうしてやろう。

 

「んーおいしい! なにこれちょううまい! どこのお店!」

「湘南モールって言うショッピングモールの、万疋屋って言うケーキ屋だ」

「あんたお菓子選びのセンスある! 天才じゃないの!?」

 

 荻原がハイテンションで言った。そんなに嬉しいのだろうか。まぁ自分が選んだプレゼントで、そこまで喜んで貰えると、やっぱりこちらとしても嬉しいものだが。

 

「たしかに、うまいな。想像以上だった」

「なんか、こういうのもいいかなって」

 

 荻原が感慨深げに言った。その目はどこか遠くを見つめている。

 空にはすでに藍色が滲んでいる。日が落ちるまで、あと幾許もないだろう。

 遠くでカラスが鳴いた。むなしさが胸の中を満たす。

 

「初めて。こんなに新鮮な気持ちで誕生日祝ったの」

「今日は誕生日じゃないけどな」

「あはは……っ! それもそっか。けど、うん、ありがと。まさかあんたからプレゼント貰えるとは思ってなくて」

「誕生日プレゼントってことにもなってるが、一応日ごろの感謝の気持ちも入ってる」

「感謝? アタシなんかしたっけ?」

 

「料理だよ。お前いつも俺に料理分けてくれるだろ。そのお礼だ」

「……あー、なるほどね。好きでやってることだし、べつにいいのに」

「そうはいかない。……だが、俺はお前の料理が好きだ。もっと食べたいとも思ってる」

 

 だから、と俺は付け加えた。背に腹は代えられない。

 言いたいことを言わないと、いつか後悔する。

 

「料理のお裾分け、これからも頼めるか?」

 

 荻原は目を見開いておれの方を見た。あんまジロジロ見ないで欲しかったが、言いたいことは言ったので後悔はない。

 

「あんた、意外と照れ屋?」

「うるさいぞ」

「……ちょっと面白いよね、あんたって。話す前は、もうちょっと器用な奴かと思ってた」

「俺は今でも器用なつもりだが」

「どこが……っ! あんたのどこが器用だって言うのっ! ………………くっ、くくっ………………超受ける」

「うけないぞ。いいか、渡すものは渡したぞ。俺は今日、もう部屋に戻る」

「あっ、うん。その前に、ぬいぐるみもうちょっと眺めてもいい?」

「眺めるのにおれの許可が必要なのか……?」

 

 荻原はイルカのぬいぐるみを取り出して、にんまりと笑った。こうやって笑うと、いかにも年相応に見える。

 ふだんはちょっと強気な女の子で、他を圧倒している感じがあるが、今の荻原の笑みは、柔らかくて、ふだんよりもかなり幼く見えた。

 

「『へへっ、イルカのイルちゃんだよっ! 今日からヨロシクネ!』」

 

 荻原が変な声を出して言う。すぐに顔を真っ赤にした。

 

「お前恥ずかしくないのか」

「い、いや……っ、ま、まぁなんというか、……………………ちょっと恥ずかしかったかな……っ! あははっ!」


 共感性羞恥とはこのことか。俺は隣人の新たなる姿を目撃した。後世に残しておくべきかも知れない。

 

「べ、ベッドの上に置いとく」

「……好きにしろ」

 

 そんな彼女にも、悩みがある。

 ――この日、俺は荻原と、また一歩、距離を縮めた。

 縮めるべきか、わからない距離を、俺は縮めてしまった。

 夕日が沈んでいく。風が冷たくなって、どんよりとした灰色の雲を運んできた。俺も、荻原も手をこすり合わせて、「寒いね」「寒いな」と視線を送りあった。

 

「今日は、これでいいか?」

「うん、あとでタッパで料理持ってくねー」

 

 結論から言う。

 この日荻原は料理を持ってこなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る