機密 後編




 文部科学省の管轄ではなく、国土交通省管轄の4年制の全寮制技術学校が日本中に設置されたのは第3次世界大戦中の2024年のことだった。

 定員は一校1学年80人。学費は無料で寄宿費も無料。

 ただ、同じ年に政権を取ったばかりの連立政権が人気取りのために全国の高校無料化と国立大学の無料化も発表していたため、多くの中流家庭の子供は普通に進学校への進学を選んだ。

 当時中学3年生だった俺も、進路はそこそこの進学校を選んだが、公立中学の同級生の中には何人か新設された全寮制技術学校に進学した者たちがいた。


 その当時俺が付き合っていた同級生の女子も全寮制技術学校に進学した。

 その子――高階たかしなみやびは親が自動車修理工場を営んでいたため機械いじりが趣味という子で、他の同年代の女子とは少し違っていた。

 俺は高階雅の個性的なところに惹かれていった。

 それまで告白された経験はあったが、自分ではしたことがなかった。

 高階雅に好きだと告白した時、クールに装いつつも心臓はバクバクいっていたのを覚えている。

 初恋の人と言う訳ではないが、俺にとっては特別な存在だった。


 青梅市の全寮制技術学校に入学した高階とは、その後も付き合っていたが、全寮制の学校だったため中学時代ほどは頻繁に会えなくなった。

 俺達が2年生の後半になった時に実技講習などが忙しくなったと言われ徐々に会う頻度が減り、LINEや電話なども返事が返って来なくなり3年生になる頃に自然消滅した。


 俺が名門私大に入学し2年生になった春休みに、中学の同窓会があった。

 俺は3年ぶりに高階に会えることに心を躍らせた。

 あわよくばりを戻したいという気持ちも無かった訳ではなかった。

 久々に会う懐かしい中学時代の面々の中に、高階雅の姿はなかった。

 それどころか、全寮制技術学校に進学した他の者たちも誰一人出席している者はいなかった。

 噂では、特別国家公務員として東京都以外の都道府県に赴任しているのだという。


 俺は同窓会後に高階の実家に行き、両親に高階の消息を訊ねたが、両親も高階の赴任先は聞いていないし、もし知ったとしても教える訳にはいかない、と教えてもらうことは出来なかった。


 俺は直接青梅市の技術専門学校に出向き、高階の赴任先を教えてもらおうとしたが、対応に当たった職員は笑顔を貼り付けた能面のように「国家機密に当たりますのでお教え致しかねます」と繰り返した。


 ネットやSNSで情報収集しようとしても、在校生やOBの書き込みは全くヒットせず、周辺の情報も大したものはなかった。

 せいぜい国土交通省管轄の4年制の全寮制技術学校に進学した者は、全員特別国家公務員となっているらしい、くらいの情報しか得られない。

 ネットもSNSも、最早自分の承認欲求と他者への攻撃性の発露の場としてしか機能していなかったのだ。


 大学卒業後に俺が現在の出版社に入社し、看板雑誌の編集部を希望したのは、結局この国土交通省管轄の全寮制技術学校の生徒がどこに行っているのかを突き止めたいという、ただそれだけの理由だ。

 それも、高階雅という過去の恋人の面影が気になっているという非常に個人的なことが原動力なのだ。

 俺が国土交通省の闇を暴きたいと願うのは、社会的正義感から来ているのではなかった。




 俺は19時に帝国ホテル17階の鉄板焼店で読塚よみつか乃可のかを迎えいれた。


 読塚乃可は40歳を超えているにも関わらず整った顔立ちとプロポーションを持っている。

 休日にジムに行っているのかを挨拶後に軽く訊ねると、官僚も体力が必要だからと肯定する。


 食前酒に赤ワインを頼み、神戸牛のステーキを注文する。

 相当高額だが、会社の経費で落とせるため躊躇はない。


「官僚に聞く今年の展望」という当たり障りのない記事のためのインタビューで、無論匿名記事にするということは事前に伝えてある。

 当たり障りのない質問を投げ、差し障りのない無難な回答を得る。

 適度なところでボイスレコーダーを止めると、読塚乃可はややリラックスした様子を見せる。


「国会の会期がやっと終わったから、ようやくこうして食事を味わえるわ」


 そう言いながら読塚乃可は40歳過ぎとは思えない健啖家ぶりを示す。神戸牛のステーキをペロリと平らげ、食中酒もグイっと呷る。


 鉄板焼店の隣のラウンジに場を移し、カクテルを頼み、夜景を眺めながら他愛もない世間話――主にどこのジムに通いどんなパーソナルトレーニングをしているか、というような話をして何杯かグラスを重ねていくうちに、徐々に連合政権の大臣たちへの軽い愚痴なども出て来るようになる。


 俺は頃合いかと思い、さりげなく最も聞きたかったことを訊ねる。


「そう言えば何故わざわざ国交省が全寮制の技術学校を設置しているんです? 文科省の高専や、国立などの工業大学でも十分カバーできるのではありませんか」


 読塚乃可は酔いが回りつつもジロリと俺を睨んだように見えたが、それも一瞬のことで、また目の前の夜景に視線を戻し、カクテルを口に含みながら答える。


「……インフラ整備のための実務者スキルを途絶えさせないためよ。これからはどんどん老朽化したインフラの改修や改築などが必要になってくるから」


「いや、でもここ十年近く、インフラの改修は全く行われていないですよね? なのに毎年全国で3760人もの全寮制技術学校の卒業生が特別国家公務員として任命されている。そんな人数が必要なんですか? それに彼らは家族にも赴任先を教えていない。まるで」


「作戦行動する自衛隊のよう?」


「ええ、そうです。一体、彼らは何処へ行っているのですか」


「私が言った事が全て。それ以上の詮索は国家機密に抵触するわ。いい? 高橋一哉さん、世の中には知らない方が幸せなこともあるのよ。

 せっかくのお酒が不味くなるわ、話題を変えましょう」


 読塚乃可はそう言うと、気分を変えるようにまたカクテルを注文した。



 1時間後。


 読塚乃可は酔い潰れていた。

 俺はチェックを済ませると読塚乃可の肩を抱きかかえ、取ってあった客室へと読塚乃可を連れ込んだ。


 読塚乃可はベッドに転がっても寝息を立てて目覚める様子はない。


 俺はネクタイを外し、スーツを脱ぎ捨てる。

 そして読塚乃可のスーツは脱がさずにブラウスのボタンを外し、ブラをずらして胸を露わにさせる。

 下半身のパンツと下着を脱がせ、スマホで写真を撮る。


 そして俺はスマホで動画撮影をしながら行為を開始した。


 国交省内部にこの動画と写真を流すと言って脅せば、流石に積み上げたキャリアを引き換えにしてまで機密を守ろうとはしないだろう。


 俺が腰を動かしていると無反応だった読塚乃可がピクリと動く。


 起きたか、と考えた瞬間、読塚乃可は一瞬で起き上がり、逆に俺をベッドに組み敷いた。

 俺の両手首を抑えつける読塚乃可の力は、とても女の力ではなく、俺が跳ね除けようとしてもピクリとも動かない。


「……なるほどな。高橋一哉、お前はもう私のプロセッサの一部としては不適格だ。ならば、お前が囚われた高階雅の元に行くがいい」


 読塚乃可はゾッとする低い声でそう言うと、素早く俺の両手首から手を離し、両手で全体重をかけて俺の首を絞めた。


 バキンという俺の頸椎が折れる音が大きく響くと同時に、俺の意識は痛み苦しみを感じる間もなくブラックアウトした。




 俺は肌寒さで意識を取り戻した。

 目を開けると真っ暗で、室内のどこかで赤色のパトライトが回っているのか、暗闇を赤の光が高速で回って照らしている。

 俺は起き上がろうとしたが、どうも全裸で全身がぬめった液で濡れており、バスタブのような場所の中にいるようだった。

 バスタブの縁に手をかけ起き上がろうとするが、ぬめって上手く掴めない上に、体がもう長い事寝ていたように衰えているのか力が入らない。

 どうにかして上半身を起こし、暗闇に慣れた目で周囲を見渡すと、人が入れる大きさのカプセルのようなものが俺の左右にずらっと並んでいる。

 俺がいるのも同じカプセルで、ハッチが開いているらしかった。

 

 遠くからバタバタと足音が近づくのが聞こえる。

 俺の正面の壁が開き、まばゆい光が差し込む。


 二人の人影がそこから俺の元に走って来た。


「何で技術専門学校の区画じゃないのに、こいつは目を覚ましたんだ?」


「ヨミの逆鱗に触れたか? だが人手はいくらでも欲しい」

 

 人影はそう会話すると、俺にタオルを放ってよこした。


「とりあえず体を拭きな。そしたらこっちの服を着て、とりあえずついて来い」


「サイズが合わなくても文句は言うなよ。衣類は貴重品なんだ」


 俺は何が何だかわからぬままに、とりあえず身支度を整えその二人についていく。

 二人はスタスタと歩いていくが、俺は足が萎えているようで何度もよろける。

 見兼ねた一人が肩を貸してくれるが、正直二人とも衣類は垢まみれで体臭もかなりきつい。


 ざっと数百mの距離を歩くと、十人程度の人間が集まった詰所のようなやや広い場所に連れて来られた。

 皆が皆、垢や泥などで薄汚れている。


「そいつ? イレギュラーは」


 集団の中のリーダー格らしき小柄な人物が俺を連れて来た二人に訊ねる。


 その声に俺は聞き覚えがあった。


「高階っ!」


 俺は大声でそう叫んだつもりだったが、声帯も衰えており、擦れ声しか出ない。


「お前、リーダーのこと知ってるのか?」


 俺を連れて来た男の一人が驚いたように俺に聞く。


 その問いかけに俺はうんうんと頷く。


 リーダーは俺に近づいてくると、俺の顔を覗き込む。

 その顔はやはり高階雅だった。

 だが、高階は俺が誰だか判らないのか怪訝そうな顔をしている。


「高橋だよ、高橋一哉だ!」


 俺がしゃがれ声で必死にそう呼びかけると、高階は合点が行った表情になり、呆れたように言う。


「髭モジャだからわかんなかったよ……高橋。バカだな、こんなとこまで来るなんて。

 ……何で国交省の技術専門学校の生徒じゃない高橋がここに来たのか聞かせてよ」


 俺は出された椅子に座り、差し出された白湯さゆをちびちびと飲みながら、経緯いきさつを話した。


「なるほどね。そういうことか……本当にバカだな。読塚乃可の言う通り、知らない方が幸せだったのに。

 地獄にようこそ。いや、あっちも地獄か。いやあっちはソドムかな……

まあいいや。とりあえず、高橋の知りたがってた機密を話すよ」


 高橋は覚悟してここに来た訳じゃないから知らないとどうしようもない、そう言って高階はこの世界の真相を語り始めた。



 ――2024年の第3次世界大戦、実は日本も壊滅的な被害を受けていたんだ。

 西の大国の共産党指導部は、自分達と世界を心中させるつもりだったらしい。

 日本の全都道府県の大都市は全て核攻撃の熱線と爆風で壊滅。

 超高度核爆発による電磁パルス攻撃もご丁寧にやってくれたおかげで、日本のほぼ全ての電気機器は過電流負荷で破壊された。

 おそらく9年経った今、そこそこの人数が生き残っているのはここと皇居の地下シェルターくらいで、あとは日本全国の山間部に細々とした集落みたいな形でしか残っていないと思う。

 なんせ、世界中で核爆発が起こって巻き上げた塵が、いわゆる『核の冬』を引き起こしてるからね。

 もう農作物なんて殆ど育たないよ。


 それで、ここなんだけど、ここもシェルターさ。

 場所は青梅市の地下。

 食料等の資源消費を抑えるため、避難民はカプセルに入れて生体保存し極力代謝を下げた上で、意識だけは元の現実世界と変わらない仮想空間に飛ばしてる。

 仮想空間を生み出すための大規模な演算能力は、避難民の脳を電気的に繋いでプロセッサとして使い作り出している。


 仮想空間を作り出す中央演算装置のヒューマンアイコンが読塚乃可だよ。

 人々には選ばれてシェルターに逃げ込んだ記憶は殆ど残っていない。

 読塚乃可中央演算装置が核が落ちずに続いてる世界として仮想空間を操作、管理しているからね。

 仮想空間だから現実的な問題は何も起こらないのさ。 


 僕と君が出会ったのも仮想空間の中。

 そして仮想空間の中の国交省技術専門学校っていうのは、シェルターのメンテナンス要員の養成場所だったのさ。

 毎年80人、必要な重機の扱いや回路や配管の工法をマスターした者が送り出されている。

 元々配置されていたメンテナンス要員は、電磁パルスで破壊された小河内おごうちダムの水力発電機と送電変圧施設を必死で修復してくれた。

 おかげで、自家発電機の燃料が尽きる前に電気供給が間に合って、どうにかここシェルターが維持できた。

 でも殆どのメンテナンス要員はその過程で命を落とした。

 彼らのおかげで私たちは生き延びられた。

 彼らの努力を、誰かが継がなきゃいけないだろう?

 結局、物理的な故障や破損は人がメンテナンスしないといけないから。


 でも、過酷さ。

 この現実には医療機器や薬品が殆ど残っていない。

 放射線病や寒さ由来の病気、それに事故による大怪我なんかで毎年半分以上は命を落としている。

 私みたいに5年も生き残ったのは古株。だから似合わないリーダーになってるんだよ。

 でも、私も多分長くはないよ。

 下血するようになったから。


「でも、高橋に会えたのは、ちょっと嬉しい。後で髭を剃って、きちっと顔を見せてほしいな」


 そう言って高階は、俺の頭をそっと抱きしめてくれた。

 

 俺は高階の、汗、垢が混じり合った悪臭を嗅いで頭がクラッとする。


 だが、仮想現実では薄かった生の強烈な証だと思うとそれが愛おしく感じられた。

 



                                終



 





 



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

機密 桁くとん @ketakutonn

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ