第2話
異世界から日本に戻って来て、更に2年が経過していた。
今の生活を手に入れるのは並大抵のことではなかった。
美百合は7年もの間、行方不明ということになっていたのだ。両親は泣いて喜んだ。どこに行っていたのかとしつこく聞かれたが、美百合は本当のことを話すことができなかった。
結局、「家出して各地を転々としていた」ということになり、警察からは事件性なしと判断された。
日本に戻って来た時、美百合は23歳になっていた。
高校は中退扱いで、まともな学歴も職歴も持たない。昔の同級生は皆、就活を終えて働き始めていた。美百合も始めは一般企業に就職しようとしたが、面接は惨敗続きだった。
履歴書には7年もの空白期間が刻まれている上に、その間のことを美百合は上手く説明できなかったのだ。
そうそうに美百合は就職活動を諦め、別の方法で生計を立てることにした。
イドルディアでの7年間で身に着けた知識と経験。それらを活かすことのできる職に就くしかないと思った。そして、両親と『とある人物』の援助を受けて、今年になってようやくカフェ『GARDEN』を開くことに成功したのだ。
大変なことばかりだったけれど、カフェの経営もようやく軌道に乗り始め、すべてが好転していくかと思われた矢先のこと。
忘れたいと思っていた男が、またもや美百合の前に現れたのだった。
プドルシア王国第一王子フィリップ・プドルシア。
昔はあんなにかっこよく見えていたフィリップの顔は、記憶の中よりやつれ、覇気がないように見えた。
美百合はショックから立ち直ると、努めて冷静な声を出す。
「……フィリップ殿下。いったい何をしにこちらにいらしたのですか」
「ああ、ミユ……そんな他人行儀な喋り方はやめてくれ。私たちは婚約した仲ではないか」
ミユ。
イドルディアにいた時、フィリップは美百合のことをそう呼んでいた。
彼がその名を口にする度に、少女だった時の美百合は甘い疼きを覚えたけれど、今は背筋がぞわぞわとするだけだった。
美百合は真正面からフィリップの顔を見つめた。彼の双眸には面差しと同じく、憔悴の色が深く刻みこまれている。
「私の記憶が正しければ、その関係をなかったことにしたがっていたのはむしろ殿下の方ではないでしょうか」
その発言をどうとらえたのか、フィリップはほほ笑んだ。
駄々をこねる幼子を前にした時のような、「仕方がないなあ」という感情がこめられた表情だった。
「ああ、わかった。君は少しすねてしまっているようだ。無理もない。私とリリーとの仲にやきもちを焼いてしまっているのだろう」
彼が他の女の名前を口にしたところで、美百合はもう何とも思わない。
その女がフィリップが熱を上げて自分を捨てることになった原因である女の名であろうとも。
「安心してくれ。彼女とはもう何の関係もない」
「あなたと彼女がどんな間柄であろうと、今の私は何も思いませんが」
「そうか。それならよかった」
フィリップがそう言うと、美百合の背筋がまたもやぞわぞわっとなった。
はっきりとしない気色悪さとは異なり、今度のは明確な「嫌悪感」だった。
フィリップは「仕方がないなあ」という表情を浮かべたまま、美百合に近寄って来る。美百合は咄嗟に後ずさり、拒否の言葉を口にしていた。
「近づかないで」
「どうしたんだい、ミユ……。私が少しの間、君に構わないでいたせいでへそを曲げてしまっているのか? 安心してほしい。会わないでいた間も私は常に君のことを考えていた。私と君は、異界という壁も、2年という歳月をも飛び越えて、ずっとつながっていたのだ」
別にそんなつながりは求めていないので、永遠に1人でどこかを飛び続けていてほしい。
そう思いながら、美百合はきっぱりと言い切った。
「殿下、はっきりと申し上げます。私はもう二度とイドルディアには戻りません」
その言葉でフィリップの顔から、さっと笑みが消える。
「どうしてだ……。君が去ったせいで私は大変な目にあったのだぞ! 私は父からも、弟たちからも、国民からも責められた。なぜ聖女を勝手に国に帰したのだと!」
「私が日本に帰ることになったのは、皆が承知していたことではなかったのですか」
「それは、その……私はよかれと思って。君のためにやったんだ! ほら、君だって国にあんなに帰りたがっていたじゃないか!」
君のために――彼と別れる際にも聞かされた言葉だ。
これほど腹の立つ台詞があるだろうか。
本当に美百合のことを考えてくれているのなら、もう二度と自分の前に顔を出さないでほしかった。
目の前が赤くなるほどの激情が湧き起こる。美百合は感情のままに声を荒立てていた。
「確かに転移した直後はそうでした。帰りたいと泣いたこともありました。でも、7年です。私は7年もの間、イドルディアで暮らしたんです! もうとっくにそんな気持ちはなくして……いえ、故郷のことを忘れようと努力して、自分はこの国で生きていくんだと決意していたんです! その気持ちを踏みにじったのはフィリップ殿下! あなたじゃないですか! 他の女性に惚れこんで、私の存在が邪魔になったからって!」
「彼女のことはほんの一時の気の迷いだ。それに彼女とは別れさせられたから、安心してほしい」
「帰ってください! 私はイドルディアに戻る気はありません」
「君なしでは帰れない!」
フィリップは駄々をこねるように叫んだ。秀麗な顔付きが歪むほどに、怒りの感情を露わにしている。
「君のせいで、私は散々な目にあった! 王位継承権を剥奪され、王宮を追放されたんだ!」
美百合は呆然とした。
あんまりな台詞に立ちくらみを起こしそうになったほどだ。
美百合を日本に帰したのは他ならぬフィリップだ。それも話を聞く限り、独断でやったことらしい。その責任を美百合に追及しようとは、どれだけの恥知らずなのだろうか。なぜ数年前の自分はこんな男に惚れこんでいたのだろう。
美百合は頭痛がしてきて、頭を押さえた。
と、その時だった。
「何をしている!」
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