殺人剣と活人剣
但馬流可夢偉の奥の手、『森羅万象』を発動したとたん宗徳は顔をしかめる。それだけで済んだのが僥倖だ。
視界にノイズが混じり、耳元で数千数万の音と声が大音量で響き、肌は熱さと冷たさ、しびれ、痛みが混じって苦痛という表現が生ぬるいほどだった。
普段は周囲の感情を読み取っている宗徳の感覚器官が数百倍に強化され、莫大な情報処理に脳が悲鳴を上げる。
「森羅万象」は自身への負担も大きい諸刃の剣。
体調の不良を悟られないようにしながら、宗徳はオーノ牧師の接近を待ち受ける。
速さも力も彼が上だろう。だが速さや力で勝敗を決めるのは但馬流で言うところの「殺人剣」にすぎない。
宗徳の使う但馬流の神髄は、そんなところにはない。
オーノ牧師は再び周囲の大気を凍り付かせた。秋口だというのに真冬の北海道のごとく、ダイアモンドダストが宙を舞っている。
「森羅万象」によって強化された感覚器官には、凍てつく寒さがこの世のあらゆる拷問以上の苦痛に感じられた。
「怖気づきましたカ。この期に及んで…… やはり神はアナタに裁きをくだすのでス」
宗徳の急変ぶりに対しオーノ牧師は口の端を上げてほくそ笑む。
(ぐちゃぐちゃ言っていないで早く来い。あんまり長い間使える可夢偉じゃないんだ)
宗徳は心の中で愚痴りながらも、速さも力も上の相手を待ち構える。
彼我の距離は十歩。間にあるのは凍り付いたアスファルトと、砕け散ったいくつかの氷、そして空を飛ぶカラスの群れだけだった。
宗徳は刀の切っ先を微塵も揺らさず、ただオーノ牧師を待ち受ける。
今までの攻防から、この距離なら瞬き一度程度の時間で妖刀村正の間合いに入ってくるだろう。
中段に構えたままのオーノ牧師の膝が、軽くバネを作る。
同時に、オーノ牧師の身体が急激に膨張した。風圧が宗徳の身体に押し寄せ、あやうくバランスを崩しそうになる。
何が起こったのか。
強化された宗徳の感覚器官が感じ取った、凍り付いたアスファルトの上を覆うわずかな水の被膜。それが答えを教えてくれた。
オーノ牧師は凍らせた地面の上をスケートのように滑ることで速さを増し、瞬きするほどの間もなく距離を詰めたのだ。
今までの攻防から一転するほどの急加速に宗徳は追いつけない。
元々速さも力も劣っているのだから、ここから持ち直す奇跡などあるはずがない。
「神の裁きヲ」
急加速する切っ先がぶれて見えないほどの神速の突きが、白く輝くダイアモンドダストを次々に散らせながら宗徳の喉元に迫る。
「宗徳」は、追いつけなかった。だが彼の視覚と聴覚は、切っ先がダイアモンドダストを切り裂き、散らせ、粉々に破壊していくのを完全に捉えていた。
やがて妖刀村正の切っ先は、宗徳の制服を布一枚切り裂く。
「今だ」
命が次の瞬間に終わる時のものとは思えない、宗徳の何気ないつぶやき。
だがその一言で妖刀村正の切っ先は止められた。
いや、切っ先が止まっただけではない。オーノ牧師の身体が空を飛ぶ黒い何かに一瞬で覆われていた。
ガア、ガア。ガア、ガア、ガア、ガア、ガア、ガア、ガア、ガア、ガア、ガア、ガア。
上空を旋回していたカラスがいつの間にかオーノ牧師に群がっていた。
「……、うるさイ」
妖刀村正を一振りしてカラスの群れを追い払うが、刀を青眼に構えた宗徳は目と鼻の先にいた。
構えが乱れたオーノ牧師と、切っ先をぶらさずに構えていた宗徳。
それでもオーノ牧師は己の中心線を守る面打ちを宗徳めがけて斬り下ろす。
「神の裁きヲ!」
宗徳は円の動きによって受け流すものの、狂気と信仰の込められた一撃は完全には流しきれない。刀の側面を削りながら自らの脳天に迫る妖刀村正に対し、宗徳はなすすべがない。
だが、妖刀村正は急に勢いをそがれ力を失う。
オーノ牧師の足もとからいつのまにか芽吹いていた数十本の植物。それが凍てついたアスファルトを持ち上げ、彼の巨体のバランスを大きく崩していた。
そこへ受け流しの勢いを生かした宗徳の袈裟斬りが襲い掛かる。肩口から腰まで大きく切り裂かれたオーノ牧師は、血を吹き出しながら地面に倒れた。
「な、なゼ。神ヨ……」
まだ動いていたので、宗徳は刀の柄でうつぶせに倒れたオーノ牧師の後頭部を強打する。
「終わり、か」
ピクリとも動かなくなったオーノ牧師が完全に意識を失ったのが「森羅」で伝わる。
同時に「明鏡止水」が解除されたのか凍てついた地面が瞬時に溶かされ、暖かな秋風が瓦礫の隙間から流れてきた。
氷の檻が溶けてずぶぬれになった柴田は、目の前の光景に呆然としていた。
「牧師様が、やられた?」
「これが僕の奥の手、『森羅万象』だよ」
これこそが但馬流剣術の活人剣。速さや力で相手を圧倒する殺人剣に対し、この世のすべて、すなわち森羅万象を活かして勝つ剣。
宗徳は痛む頭を抑えつつ、「森羅万象」を解いた。同時、カラスの群れがビルの谷間へと消え、足元の芽がしなびて力を失っていく。
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