ちづるの正体
宗徳は大急ぎで自室に戻り一度装備を整えた。刀の目釘の確認に端末や救急キットなどこまごました持ち物の確認。
そして冷たい床に軽く正座し、瞑想して気持ちを整えた。
大規模な作戦の前に必ず行う、宗徳なりのメンタルケア。非日常に身を置く人間は必ず精神が強いというわけではない。
糞尿を漏らしたり、修羅場を思い出してパニックになるなどはありふれたことだ。
だからこそ定期的にカウンセリングを受けたりもするのだが…… 宗徳は見も知らない相手に本音を打ち明けるのが苦手で、利用していない。むしろ話を聞く側だ。
「いってくるよ」
机に飾ってある一枚の写真に向かい、軽く頭を下げた。今よりも幼い宗徳と数人の男子が、薄汚れた服をまとって廃墟同然の建物を背景に写っている。
自室を出ると、電子キーが横に設置されたドアが一面に並んでいるのが目に入る。急ぎ足で廊下を進んでいると、独り言をつぶやきながら男子寮に忍び込む人影を見つけた。
「~、~」
内容までは聞き取れないが、声の高さからして女子だ。
令和の世でジェンダーフリーが勧められたとはいえ、公安五課の寮は男女に分かれている。女子が男子寮に入ってくるなどよほどの事態でない限りあり得ない。
緊急の要件かと思い端末を調べるが特に連絡は入ってきていない。
ふと、明日香の誘拐の一件を思い出す。
『裏切者』
ないとは思う。公安五課は身辺の調査は徹底しているし、裏切り者が出たケースはない。
だが女子からは焦るような、楽しむような感情が伝わってきたのも気になった。
『ごめん、少し遅れる』
千佳にそう連絡を入れ、宗徳は足音を消して廊下を歩き出す。
廊下を渡り、女子は更衣室近くの布袋の前でせわしくなく周囲を見回した。布袋は金属製の支柱に化学繊維の袋をかぶせた人が一人入れそうなほどの大きさで、使用済みの制服を職員が入れ、清掃担当がクリーニングすることになっている。
「制服にメモか何か残っていないか、見ているのか?」
宗徳は柱の陰に隠れて様子をうかがっていた。
気配を消しているとはいえ、これほどに近づいたのに感づいた様子どころか違和感を覚えた様子もない。一心不乱と言ってもいい様子で、布袋の中に頭を突っ込んでガサゴソとやっている。
前かがみになったせいで背後に突き出されたお尻が、動きに合わせふりふりと揺れるさまは実に煽情的だ。
「いや、そんなことはどうでもいいか」
明らかに素人だ。さらに人物の姿かたちを見て警戒する必要もなくなったが、念のためすばやく飛び出して女子の背後を取った。
「……何してるの?」
宗徳はできるだけ穏やかに声をかけた。下手に刺激すると過激な行動に出る相手も珍しくない。何よりくせっ毛の女子の後ろ姿からは、犯罪に手を染めるような人間の雰囲気が感じられない。
大規模な任務の前でもあり、できるだけ穏便に済ませたかった。
声をかけられて肩を震わせた女子がさび付いたロボットのように後ろを振り向く。
同時に彼女の顔があらわになっていった。
隈の浮いた瞳、分厚い眼鏡。
胸元を開いた薄手のパジャマからはみ出るほどの胸は、谷間どころか頂点が見えそうだった。
「むねち~?」
制服をあさっていたのは公安五課情報担当、溝口ちづるだった。
「いったい、何してるの?」
「こ、これは……」
隈の浮いた目が、宗徳を怯えたように見上げている。見られてはいけないものを見られてしまった、そんな目だ。宗徳が一歩近づくとちづるは後ずさるが、身体能力はそもそも比較にさえならない。
あっという間に壁際に追い詰められ、宗徳がちづるを見下ろす形になった。宗徳の陰になったちづるが恐怖の色をさらに色濃くする。
肘に引っかけたトートバックには、すでに宗徳の名がタグに書かれた制服が入っていた。
現場を抑えられた以上言い訳のしようもない。
壁ドンどころか宗徳に手をつかまれたちづる。だが小刻みに震えていたその手は、宗徳の手の感触を確かめるかのようににぎにぎ、とすると震えが収まる。
ちづるの表情から怯えが消えて、宗徳を見上げる目が潤んだ。
「あ…… ありがと~」
「まだ怖いんだね」
「うん~。でも、むねち~の制服のお陰でだいぶ落ち着いてきたかな~」
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