上級国民ざまあ
公安五課の寮の近く、いまだ朝日が差し込まず薄暗い神社の杜。東京には神社回りに広大な杜がいくつもあった。
秋の杜は木の葉が色づき、椎やコナラが実をつける。
朝は稽古前に散歩する。木の葉や足元の猫に触れ、木々を移ろう鳥の声を聴き、穏やかに過ごす。宗徳なりの可夢偉の訓練でもあった。
人目に触れない奥まった場所に移動した後、木のうろに置いてある木刀を使い素振りを行っていく。千回の素振りを終えた後、形稽古へと移った。
後の先と受け流しを多用する但馬流の剣は、まっすぐ中心を取る剣道とは違い特徴的な円運動を描く。剣に明るくない者が見れば舞としか思われないだろう。
だが舞にも似た剣術を、可夢偉が補って一流の剣へと仕立て上げていた。
形稽古を終えると、杜の中にある一本の枯れ木の前に立つ。木刀を構えて心持ち深めに腰を落とす姿は、実戦と遜色ない緊張感を感じさせる。
宗徳は氷の上をすべるような独特の足さばきで枯れ木との距離を詰めた。
ぐんぐんと、数メートル先にあった枯れ木が近づいていく。
木刀の間合いに入った。
その瞬間、目の高さに構えた木刀がふわりと浮き上がり、落雷のように振り下ろされる。
杜中に響くような音が枯れ木から打ち鳴らされた。
細身の宗徳の身体にしびれるような衝撃が伝わってくるが、手を止めず次々と円の動きで枯れ木に打ち込んでいく。
先ほどの円の動きが舞ならば、今の円の動きは嵐だった。
これが形稽古とともに古流剣術に欠かせない稽古の一つ、打ち込み稽古。
固い木に打ち込むのは実戦的な手の内と衝撃に耐える体を作るために欠かせない。
やがて木刀を握る握力がなくなってきたころ、軽くストレッチをして稽古を終えた。
宗徳は筋トレは行わない。剣を振るうのに適した肉体は剣の稽古でしか身に付かないと考えているからだ。それに剣を振っていれば十分な筋トレになる。
ふと、木の葉をくぐり抜けて秋風が吹いた。肌に滲んだ汗が体温を奪う感覚は、季節の移り変わりを感じさせる。
木刀を木のうろに戻して一礼した後、宗徳は寮への道を歩み始める。
公務員とはいえ、公安五課の日常は決して楽ではない。
事案があれば休日でも緊急の呼び出しは珍しくないし、夜中に起こされることもある。そして現場は命がけで、給料は通常の公務員に少し上乗せされるくらいだ。
しかし悪いことばかりではない。
三食と寝る場所が保証されている。寒さに震えながら飢えに耐え忍ぶこともこの令和の世は珍しくない。
不意に地面が揺れ、宗徳の体が揺さぶられる。木々の木の葉が激しく舞い散った。
だが修羅離れしている宗徳は、これが地震ではないことにすぐ気づく。
全体でなく地面の一部だけが揺れる感覚、皮膚に伝わる空気の振動。そして何より、鼻につく焦げ臭さ。
手元の緊急連絡用の端末が震えると同時に宗徳は駆けだした。
到着した公安五課の会議室に、深緑の制服に身を包んだ職員たちが呼び出されていた。といっても八重樫、宗徳、千佳のみで他の職員は出動中でこの場にいない。
「爆破テロだ」
そう前置きした八重樫から事件の概要が説明される。
起き抜けで顔も洗っていないのか目ヤニがついており、髪も寝癖がひどい。それなのに見られるものだから美人というのは本当に得だ。
「場所は今川駅周辺。多数のビルが同時に爆破され、周辺はパニックとなっている。怪我人も多く、消防と救急はすでに出動している」
「僕らが呼び出されたってことは……」
「その通り、可夢偉がらみだ」
「ひどいさぁ……」
千佳が端末に送られてきた映像を見ながら呟く。
いつも通学で使っている駅の周囲が逃げ惑う人々と立ち昇る黒煙に占められるその光景。一晩にして奪われた日常。千佳はこぶしをぎりぎりと握り締めた。
「でもおかしいさあ。これほど多く爆破系の可夢偉を使う人間を、用意できるさあ?」
「多分、普通の爆弾と混ざってるね。どうやって調達したのか……」
「その詮索は後だ。それより、これを見ろ」
八重樫が差し出した端末の画面に表示されたSNS。そこはエデンを擁護するコメントであふれていた。
『朝からスカッとする~』
『上級国民ざまあ』
『綺麗なスーツで必死に走るの、マジウケる~』
千佳は顔をしかめ、宗徳は嘆息した。
「なんなんさぁ、これって……」
「本心なんだろうね。上級国民ざまあって」
今までに出会った嫌味な上級国民の姿を思いながら宗徳はつぶやく。
「普段からエデンを擁護したり、上級国民を揶揄するインフルエンサーはリストアップしているが…… それにしても数が多い」
一方、SNSに被害の映像はほとんどアップされていない。
「おそらくだが、エデン側にもかなり優れた情報担当がいるな。アカウントを乗っ取ったり、現場からの情報発信に制限をかけている」
「なんとかできないさあ?」
「情報担当班が揃い次第、対策を練る。お前たちは至急現場に向かってくれ」
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