千佳の過去 


ゆるキャラから動物まで所狭しと並べられたぬいぐるみの数々。ふわふわとした感触をかき分けながら、千佳は剣術家にしては細い腕でスマホに手を伸ばしアラームを止める。


時刻は午前四時半。


「いつも通りさぁ……」


 わずかに白んだ東の空を眺めて視力を鍛え、布団・寝間着をたたんで顔を洗い、道着に着替えて部屋を出た。この間、わずか五分。


 公安五課の寮の自室を出て、駆け足で談話室横の道場に向かう。この時間なら他の職員に邪魔されることなく稽古できる。


 一礼して道場に入ると、千佳は備え付けの木刀で素振りを開始する。左右で結ったツインテールが動きに合わせて揺れ動き、切れ長の瞳が仮想敵を捕らえる。


可夢偉使いといえども通常の剣術の修行も怠らない。実戦では何が起こるかわからない。可夢偉が通用しない状況や相手もいる。


素振りが終わると、次は形稽古へと移る。


柳剛流の形は剣道の形とは違い、遠間から飛び込んで脛を狙う技が多い。足への攻撃がルール違反となる剣道はおろか他古武術からも邪道扱いされる、異端の流派だった。


だが他人からどう言われても、千佳は己の流派を恥じたことは一度もない。


女子でも不意を突くことで男子に勝てることが分かったし、男子に勝てるとそれが励みにもなって稽古がますます楽しくなった。


形稽古がひと段落すると、次は縦にした材木に剣道の防具を被せた打ち込み台へと竹刀で打ち込んでいく。他の公安五課の職員で脛を打つ人はほとんどいないから、なぎなたの防具である脛当てを新たに着けてあった。


低い抜刀の構えから、飛燕のように跳んで横なぎに脛を打つ。竹刀を握る右手に心地よい衝撃が伝わってきた。


例え竹刀と防具を用いた稽古でも、これを喰らって悶絶しなかった男はほとんどいない。


例外は宗徳と示現巌くらいだろうか。宗徳は流れるような動きで自分の竹刀を脛の前に割り込ませるようにして防ぎ、示現巌は剣道の八相に似た蜻蛉の構えから脛まで打ち下ろして千佳の竹刀を叩き折ってしまった。


一時間ほどの稽古を行った後、道着の胸元から取り出した手拭いで汗を拭う。


 大きさで明日香とは比ぶべくもないが、形には少々自信があった。宗徳の目の前で汗を拭った時、彼の視線が胸元に注がれたから間違いない。


「まだ足りない……」


想像の中の宗徳に百戦百敗した後、千佳は息を整える。自らの細腕を眺め、嘆息した。


千佳は群馬に伝わる剣術の家柄だった。


早くから可夢偉に目覚め、親から道場での優しくも厳しい稽古を受けながら育つ。


親は代々群馬の田舎の警官であり、公安五課ではないが地域の治安と平和を守っており、そんな親の姿が幼心に誇らしくもあった。


なぜ群馬の片田舎から出ないのか、それが疑問でもあったけれど。


クラスの友達にはその力を隠しながらも、いずれ自分の力が認められると信じ稽古に励んできた。だが中学に上がり他の可夢偉使いと交流が芽生えるころ、自身の置かれた状況に愕然とした。


「あんなの、邪剣だいね」


「脛を狙うなど、卑怯この上ないだに」


 千佳の家に伝わる柳剛流は、脛を滅多切るという独自の戦術が他流派に疎んじられていた。江戸時代に片端から道場破りを行っていたこと、一時期は関東で最大流派となっていた嫉妬もそれに拍車をかける。江戸幕府崩壊以来二百年経った今も、この地では評判が悪い。


 竹刀と防具での勝負にいくら勝っても、自分を認める群馬の可夢偉使いはいなかった。


 そのようなことが続き、やがて剣から遠ざかり女子らしいおしゃれや遊びにのめりこむ。学校帰りは道場でなくカラオケで声を出し、道場でやかんから注がれた麦茶をがぶ飲みする代わりにカフェーでコーヒーをたしなむ。


 可愛いものにも興味を持ち、部屋をぬいぐるみで埋め尽くすようになった。


 ほこりをかぶった剣術道具とそんな千佳を父親は寂しそうに見ていたが、咎めることもなかった。


 千佳自身は楽しくもどこか物足りない。そんな青春を送っていた。だが中学三年に上がった頃、転機が訪れる。


 駅前でトラブっていた上級国民の子を助けた。刀こそ持ってはいなかったものの千佳は可夢偉使いだ。素手でも普通のヤンキーに後れを取る道理はない。


 黒崎家という、金融を取り仕切る家系の子供だった。強引な取り立ても行うということでいい話は聞かなかったが、千佳の見た子は世間の噂とはまるで違っていた。


 傲慢でも高飛車でもなく、女子である千佳とすらうまくしゃべれないほどおとなしい子。

ほとんど真っ白なブレザータイプの制服に、折れそうなほど細い体を包んでいた。


群馬にある都心の一流大の付属中学に通う子で、いつも黒服の護衛が守ってはいるものの同じ学園の子にいじめられていたらしい。


「上級国民なんて、やっぱりこぎたないさぁ」


 上等の制服を着て転がった、イキっていた男子数人に千佳はそう吐き捨てる。


 いじめられていた子はまだ立ち上がりもせず、涙目で千佳を見上げていた。口を開きかけては千佳と目が合っては閉じる、それを繰り返して。


その姿に千佳は苛立ちを覚えた。


 力を持つのに認められない自分と、権力を持つのにそれを生かせない彼女。


 そんな彼女に苛立って、立場も忘れて千佳は厳しい言葉を浴びせる。


「泣いてるだけでどうにかなるとでも思っとるさぁ? あなたバカさぁ?」


「そ、それは……」


「言いたいことがあるなら言うさぁ。言えないのなら、言えるようになる努力をするさぁ」


 上級国民の中でも特に名家の子に対しどうかとも思うが、言葉は止まらない。


 完全に口を閉ざした子に対し、千佳はふと言いようもない後ろめたさを覚える。その瞬間なぜ言い過ぎたのかわかってしまった。


 この白い制服を着た子は、自分だ。


 言ってもどうしようもないから、言うことを諦めて。剣から逃げ出した。


「助けてくれて、ありがとうございます。それに、そ、その通りです。わたちの周りには、そんなふうに言ってくれるひとはいませんでした」


打って変わってはっきりとそう口にしたその子は、続けて深々と頭を下げた。


後から駆け付けた護衛の黒服にとがめられるが、黒崎家の子はそれをかばってくれた。


「ぶ、ぶれいは許しません。この方はわたちを助けてくださったのです」

「しかし! このような下賤の輩、何か下心があって」


「下心があるのなら、わたちにらんぼうなことばを使ったりしないでしょう」


 それまで上級国民に対し良い印象のなかった千佳。


 だが触れれば折れてしまいそうな体で、震えながらも自分をかばってくれるその姿に千佳は感銘を受けた。


 去り際に彼女は黒崎まふゆと名乗って。


 ああいう人間のために働きたい。


 そう思った千佳は再び剣を取る。だが、群馬の片田舎では相変わらず認められなかった。


「東京へ出るか?」


 中三の冬、志望校を学校に提出する時期に千佳は父親から勧められた。


 東京では自分たち、柳剛流のコネは一切ない。


 東京は魔都。人口が多い分犯罪の巣窟だが警官や公安にとっては仕事が多いということでもある。


 千佳は是非もなくうなずき、父親が地方で代々警官をしていたというコネも利用して今川王城学園へと入学した。


 やがて公安五課から接触があり、深緑の制服に身を包むこととなる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る