あさま山荘

 数日後。示現巌と竹内薫は、北関東の山々の陰に建てられた小屋の前に立っていた。


 東京から電車を乗り継ぎ、最寄りの駅で一泊した後県警から車を借りた。


 両者とも運転免許は持っている。麓まで運転し、徒歩で小屋までやってきたのだ。


「ここでごわすか」


「エモさの欠片もない……」


 車内から小屋の様子を見張っていた二人は呟く。


 登山道からも外れた場所に建てられた小屋は、周囲を森に囲まれ一方が崖に面していた。


 小屋からの眺めはさぞ壮観だろう。


 だが赤いペンキの禿げかけたトタン屋根に、風雪にさらされて黒ずんだ壁。ろくに手入れもされていないのが一目瞭然だ。


地震でも起こればあっという間に崩落し、崖に真っ逆さまだろう。


「こんな辺鄙なところが、エデンの拠点なん? 不便すぎね?」


「ああ。昔から人里離れたところで戦闘員の養成をするのがテロリストの常道でごわす。外界から隔離し、構成員の常識を破壊して組織の論理を植え付けるのも目的でごわすからな」


「あ~、きっつい中で繰り返し語られると、いつの間にか信じ込んじゃうあれね……」


 小屋周りは雑草が伸び放題、周囲の木々も落ち葉や木の実が積もっている。一見無人のように見えるが、小屋周りの獣道には複数人の足跡がはっきりと残っていた。


「で、いつ仕掛けるん? 奇襲だからやっぱ夜?」


「いや、明朝でごわす。夜は逃げられやすい。明朝なら敵が眠っているうちに仕掛けられ、夜が明けて明るくなれば相手を探すのも容易でごわすからな」


「りょ」


 翌日の早朝。


 くすんだ壁を豆腐のように断ち切られた山小屋から、若い男女数人と一人の中年女性が飛び出してきた。


「な、なんだ」


「小屋が壊れたのか?」


 ジャージ姿の若い男女はひざ丈まで伸びた雑草をかき分けながら、小屋の惨状を呆然と見つめる。


「いえ。この壁の切られ方……」


 だが慌てふためく若い男女に対し、中年女性だけは落ち着いていた。


 その手には旧式のライフル銃が握られ、チノパンを履いた腰には二つの手りゅう弾が吊るされている。まだ木々の陰は人の顔の判別もつかないほどの暗さだというのに、あの中年女性は武器を枕元に置いて寝ているのだろうか。


「あの手りゅう弾だけは、防ぐの無理っぽい?」


「ああ。用心するでごわす。だが薫、口が軽いでごわすぞ」


 示現のつぶやきとほぼ同時。呼吸を合わせるという表現がぴったりのタイミングで薫は可夢偉を使う。


 竹内流呪術可夢偉、『美作』は関節技に限定した念力。手首を可動域の限界まで曲げられ、中年女性の手からライフル銃が落ちた。


「ぐっ?」


「浅間さん?」


「どうしたんです?」


 浅間と呼ばれた中年女性の下に、若い男女が駆け寄ってくる。


 両手首を外され、うめく浅間。


 彼らの背後では真っ二つになった屋根が滑り落ち、崖にそのまま落下していった。一拍遅れて轟音が響き、羽を休めていた木々の鳥が一斉に羽ばたく。


 同じ示現流である三宅とは、比較にならない威力の『早捨』だった。



「はいは~い、みんなこっちにちゅうも~く」


 深緑の制服に刃渡り一尺二寸の脇差、けばけばしいメイクの薫が手を叩きながら彼らの前に立った。


「あんたらさー、『エデン』の人たちだよね? うちら公安、ケーサツ、の一種なんだけど。実力差はわかったでしょ? 今ならこれ以上怪我しなくて済むから、おとなしく投降してくんない?」


 飄々とした物言いの薫と、一撃で破壊された山小屋。


 そしてその背後で蜻蛉の構えを取って威圧する、示現の姿。


 茜色の朝日が示現の刀を照らす様は、圧倒的強者の威厳があった。


「ひ、ひるんではなりません! あんな政府のイヌどもに……」


「お、俺は投降するぞ!」


 震える浅間の声を遮るようにジャージ姿の男が両手を上げると、他もあっという間に追従した。


「わ、わたしも」


「お、おれも!」


「エデンに入れば食いっっぱぐれない、っていう話だったのに。入ったらこんな狭い山奥で訓練とかマジないわ」


「そうそう、それにこのおばさん説教臭くてマジウザかったし」


「俺たちは脅されてただけなんだ」


 着の身着のまま、両手を頭に置いて一人、また一人とこちらに走ってくる。


「待ちなさい! 理想を忘れたのですか!」


 手首を外された中年女性が焦ったように叫ぶも、投降する者たちの足は止まらない。


 シワのよった顔は落ち葉で汚れていたが、それを払うこともできなかった。潰れかけた山荘では入浴もできなかったのか異臭がこちらまで漂ってくる。


「マジで、うざいわ」


 薫はそんな彼らを見て嘆息した。


 食えると見ればテロ組織に加担し、旗色が悪くなればすぐに投降する。


 今までに何度も見てきた光景だがそのたびに吐き気がした。


 口ではあれだけ大義名分を掲げながら、状況が不利になるとすぐこれだ。


「マジむかつく」


 薫はネイルアートされた爪でかちかちと深緑の制服のボタンを叩きながら、投降した男女に手錠をかけていく。


 だが彼女は愚痴を言いながらもまだ警戒は解かない。


「しかし、可夢偉使いはどこだっての。こんな山奥まで来るの、マジでしょんどかったのに」


 情報担当から、この山小屋には可夢偉使いが潜んでいると報告があった。能力まではわからなかったがほぼ確実だという。


 示現が破壊した小屋やその周囲に油断なく視線を巡らせるが、他に人間が出てくることもない。


『第一分隊、異常なし』


『第二分隊、マル被発見できず』


 投降した男女を護送するために手配しておいた、小屋を囲む他の公安五課からも話を聞くが似たような返答が返ってくるだけだ。


「ったく、どこに行った? まさか別行動とか? また探しに行くの、マジでウザイ」


 うつぶせに倒れていた浅間に手錠をかけるため、薫はゆっくりと近づいていく。


 シワの目立つその顔から落ち葉が取れ、紅葉した枯れ葉を踏みしめる音がした。


 薫は一歩、また一歩と近づいていく。


 態度は不真面目だが公安五課の職員、さらには竹内流柔術の使い手なだけあってその足取りには隙がない。男女を公安五課に引き渡した示現も、挟み撃ちするように近づいていった。


「はい、あんた。もう一人知らん?」


 うつぶせになっていた浅間をひっくり返した時。


彼女が腰につけていたはずの手りゅう弾がなくなっていた。




「くたばれ、政府のイヌ。上級国民どもに搾取されることのない、平等な世界の実現のために死んでください」




 手りゅう弾のピンを外す音が薫の目の前から聞こえた。同時、体中が土と木の葉で汚れた少女の姿が突如現れる。


「姿を消す可夢偉……?」


 年は十歳にも満たないだろう。だが薫を見る眼鏡の奥の瞳が血走り、歯がギリギリとかみしめられている。さっきまでの男女たちとはわけが違うと薫たちは直感した。


「手りゅう弾は、防げないんでしたよね?」


 閃光が視界を遮り、音速を越える爆風が二人を襲う前に。


「美作久盛」

「早捨雲耀」


薫と示現は奥の手の可夢偉を発動させた。


 

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