第8話 日常でない日常
「みなさん、押さないで乗ってください」
朝の都心部の駅。制服かスーツ姿の学生やサラリーマンたちで押し合いへし合い、電車内もホーム上もごった返す。日本の高度経済成長期から変わらない風景。
だが拡声器で乗客に対し呼びかけを行っているのは年若き青年でも、風格ある壮年でもない。
声変わりもしていない幼げな声に乗客にすぐうずもれてしまう低い身長の、年若い少年。そんな彼が駅乗務員の制服を着て、満員電車の乗客の誘導を行っていた。
「す、すみません」
「どけ、チビが」
「下級国民の分際で」
「ぼく、大丈夫?」
舌打ちと気遣いの声を同時にかけられつつ、涙目で労働をこなしている。
その隣でゴミ箱からごみを取り出しているのは、作業着を着たおさげの年端もいかない少女だった。客の一人に軽くぶつかって尻もちをついてしまう。
数十年前から始まった国民の二極化は更に進み、持てる者と持たざる者、リア充と非リア充の差は拡大する一方。
大学までエスカレーター式の学校に幼稚園から入学する者もいれば、中学に行かず働く者もいる。
少子化による生産年齢人口の減少を補うため政府は、義務教育を十二歳までとし就労を小学校卒業から可能としたのだ。
当初は反発も大きかったものの、すでにいくつかの他国では行われている制度であったこともあり批判はすぐに落ち着いた。
それほどまでに国の福祉財源に余裕がなくなっていたのだ。
彼らの姿を見て、制服姿の宗徳はふと後ろめたさを覚えた。
自分より年下なのに学校にも行けず働いている彼らと、電車に乗って学校へ行けている自分。
体が勝手に動いた。大人に怒鳴られ、怯えていたゴミ集めの少女の前でしゃがみこむ。
少女は恐怖が残っているのか宗徳を見ても表情をひきつらせた。だが努めて穏やかな笑顔を作った宗徳に対し、だんだんと表情が和らいでいく。
「立てる?」
「ありがとう、おにいさん」
そのまま立ち上がると人懐っこい笑顔でお礼を言い、仕事に戻っていった。
もし学校に行けていたら、きっと人気者になれただろう。
改札口を出た宗徳は、やがて同じく制服姿の千佳と合流した。
夜通しの仕事になった二人だが、仮眠を取っただけでもう疲労の色を見せてはいない。引き締まった体格を制服に隠し、刀を腰から外しただけで周囲の学生に溶け込んでいる。
「おはよ」
「おはよう」
千佳はブレザータイプの制服をきっちりときこなし、髪もツインテールからポニーテールにしていた。刀を腰に帯びてもいない。
日本有数の利用者数を誇る今川駅。それを最寄り駅とする学園、今川王城学園に宗徳と千佳は通っていた。
駅から国道を五分ほど歩けば見えてくる校舎は、中高一貫の学園なだけあって広大な敷地面積を誇っていた。都心の学園らしくグラウンドのすぐそばにビルが立ち並び、校舎は現代アートをふんだんに取り入れた最新のデザインで建てられている。
上級国民の子女から一般人までが集まっている、様々な立場の人を分け隔てなく迎え入れることを校是としている。
事実、奇抜なオブジェのある校門をくぐり敷地に入ると見かける生徒の姿は多様性に富んでいた。
参考書片手に勉学に励む生徒もいれば朝練に青春の汗を流す体育会系の生徒もいる。生徒の改装も黒塗りの高級車で送り迎される生徒もいれば、さびの浮いた自転車で通学のする庶民もいる。
だが成績が悪くとも寄付金の額で入学が可能という噂や、授業料に上乗せしたお金で補習が免除されるという噂もあった。
驚くに値しない。少子化で経営の厳しい学校法人では半ば慣例化している。
私立の医学部などでは合格発表の席で寄付金をいくらにするか問われ、激怒した合格者が入学を蹴った話さえあるという。
だが、貧しい家の生徒が学園に通うこともできるのはそういった賄賂まがいのお金のお陰でもあった。返済不要の奨学金をばらまくゆとりなど、今の政府にはない。
「千佳……」
「うん、わかってるさぁ」
どことなく空気がピリピリしているのを感じた宗徳と千佳の二人は刀を差していない腰に手をやる。たとえ武器がなく丸腰でも、その動作によってスイッチが切り替わるのだ。
「宗徳、どうさぁ?」
宗徳は軽く深呼吸を繰り返し、精神集中する。五感を研ぎ澄ましてゆく。
「生徒からは嫌な気配はない。ただ、ものすごく神経質になってる人が二人校舎内にいる」
「エデンの手引きさぁ?」
「それはないと思う。少なくとも敵意ある緊張感じゃない」
二人は腰から手を放し緊張を解いた。可夢偉使いといえど昼は表の顔がある。クラスメイトとたわいのないお喋りをし、昨日の晩のドラマやアニメについて感想を交換する。
ちなみに同級生には誰一人、宗徳たちの正体を知るものはいない。公安五課の制服には認識阻害の可夢偉がかけられているからだ。
脳の後頭葉に働きかけ、記憶にある人物像と目の前の人物像が結び付かないようにしている。
警察官への襲撃も増えた今、オフの日の身の安全には必須の技術となっていた。
「おはよう」
「おはようさぁ」
教室に入り、二人はさりげなく状況を見回すが普段と変わった様子はない。
「ごきげんよう」
「ういっす」
「おっは~」
「ちゃろー」
バラエティー豊かな挨拶に丁寧に返答しつつ、二人は自分の席に向かう。
「お二人は今日も一緒に登校? 相変わらず仲いいね~」
クラスメイトの一人が並んで教室に入って来た宗徳たちをからかってくる。軽口が言い合える程度の関係は、ここ数か月で身に着けていた。
「そ、そんなんじゃないさあ」
「ありがとう」
千佳は少し上ずった調子で、宗徳は我関せずといった感じで席に着く。
やがて先生が教室に入り、ホームルームの号令をかけると共にぴりぴりとした気配の正体が明らかになった。
「転校生を紹介します、どうぞ入ってきてください」
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