第7話 勧誘

「国家のイヌが。お前らも、上級国民の手先だじゃ」


 さるぐつわを噛まされて地面に転がっていた無精ひげの三宅が、もごもごとした口調で呟く。


 閉じられた両眼に宿るのは、虐げられてきた者独特の深い憎しみ。


「何言うんも勝手さぁ。でも女の子を誘拐して、身代金要求するクソ野郎に言われる筋合いはないさぁ」


「黙れ! 近衛家をはじめとする上級国民のせいで、我々が貧しいのだじゃ!」

 

「上級国民が金持ちなのは、下級国民をブラック企業でこき使い、有給休暇も取らせず、残業手当も与えないからだじゃ」


「我々から搾取した金なのだから、娘をさらって身代金取って、取り返して何が悪いだじゃ。お前らもエデンの旗の下に加わるべきだじゃ」


 エデン。


「上級国民に鉄槌を」をスローガンとする日本の組織である。デモ行進や政府企業に対する批判、上級国民の運営する会社の商品の不買運動などが主だった活動だ。


 それ自体は別に違法ではなく、日本政府が言論の自由を保障している以上取り締まることはできない。


だが一部の過激派が誘拐や傷害、テロなどの事件を起こしているため、公安がマークしている組織の一つにもなっていた。


「いや、金持ち=悪人とか、単純すぎない?」


 確かにあくどいことをやっている金持ちも多い。


 だが三宅の批判は的外れだ。近衛家の有する企業は有給休暇も残業手当もあるし、福利厚生もしっかりしている。


 福祉事業も手広く手掛け、多くの私立孤児院を運営してもいる。


 そこで育った多くの子供が、近衛家企業の幹部になっているくらいだ。


『努力が無駄にならない会社と社会のために』たしか近衛家企業のスローガンだったか。


 そもそも日本国民が全体的に貧しくなったのは、上級国民のせいだけではない。


「そもそも上級国民というか、金持ちが作った会社がないと、貧乏人は仕事がないんだけど」


 だが宗徳にそう諭された無精ひげは。


「嘘をつけ!」


 何を言われても聞こうとせず、質問に答えるのでもなく。


ただ、自分の理屈と正義を繰り返すことに終始する。


「まあ、気持ちはわからなくもないけど。上級国民くたばれって思うときもあるし」


 宗徳がつぶやいた一言は誰にも聞かれることなく、闇に溶けて消えていった。


「もう付き合ってられんさぁ。はい、これ証拠」


 千佳が深緑の制服からスマホを取り出し、無精ひげに突きつけた。


 それは近衛家のホームページ。近衛家の会社の口コミ、就業規則、今までに起こされた民事訴訟の件数などが事細かに記されていた。


 彼ら「エデン」の構成員にはスマホを持つことが許されていない。上級国民の発明した道具など持つなと教えられているからだ。


 彼らは自分で情報を検索することもできず、テレビもエデンの組織以外との会話も制限される。


 こうして情報を遮断され、エデンという組織に都合のいい情報しか触れなくなる。


 初めは目を背けていた三宅だが、口コミを読み込むたび、口コミのプロフィールに添付された写真を見ていくたびにみるみる顔色が変わり、声に力がどんどんと失われていく。


「嘘だ、嘘だじゃ。貴様らが作った偽情報に決まってるだじゃ。エデン幹部も言っていた。お前らは偽情報で自分たちを正当化し、我々を惑わすと」


「わたくしたちが偽情報を作っているのに、あなたの組織は偽情報を作らないとなぜ断言できるのです?」


「それは……」


 明日香の言葉に、三宅ははじめてとっさに反論ができなくなった。明日香は機を逃さず、「エデン」の論理と正義の穴を説明していった。


 一方的にしゃべる三宅と違い相手の反応を見定めて、相手が受け入れやすい言葉、口調で穏やかに論理を展開していく。


反論を繰り返していた三宅も徐々に言葉に力が無くなり、やがてがっくりとうなだれた。


 ひょっとしたら。宗徳は胸に一抹の期待が浮かぶのを感じた。


 三宅の前に膝をつき、ゆっくりと口を開く。


「君、公安五課に協力しない?」


 宗徳の言葉に、三宅は目を見開いた。


「何を言っているだ」


「言葉通りだよ。なかなかの使い手だし刑務所送りはもったいない。少子化の時代、働き手は貴重だしね」


「仲間を裏切れ、というだか」


「正義に目覚める、って言ってほしいな。『転向』なんて珍しい話じゃないでしょ?」


「敵に情けをかけて…… いいさぁ?」


「エデンのトップは憎いけど、末端はそれほどでもないし。それにこの前の拳銃強奪事件とは、君たちは関係がないみたいだしね」


 宗徳は床に散らばった銃弾のいくつかを拾い上げる。


 警察官が使用している拳銃とは銃弾が明らかに違っていた。


「相変わらず甘いさぁ。さっきまで命のやり取りしてた相手に…… でもそういうところ、嫌いじゃない、さぁ」


 千佳の声がわずかに裏返り、宗徳にちらりと熱を帯びた目を向ける。


「エデンだけじゃない。公安五課には何人か反社会的組織から転向してきた人もいるから、孤独ってことはないと思うよ」


「誰だか?」


「それはさすがに言えないかな。仲良くなれば、話してくれるかもよ」



 後始末を公安五課に頼んだ後、宗徳たちは外に出た。


 ビルの森から覗く空はすでに夜の闇から解放されつつあった。すでに月は西の空に沈み、東の空が白み始める。


 主要道路からは車の走行する音が散発的に聞こえ、カラスの鳴き声が電柱から響いた。


 ここではないどこか遠くを見る目で、宗徳と千佳が呟く。


「彼はどうにかなりそうだけど…… ああいうのって、嫌だよね」


「悪どい金持ちを襲って貧乏人に金をばらまく、それが正義なのは昔話の中だけさぁ」


 やがて明け方独特の静かな街並みに、エンジンの排気音が響くとともに一台の車が近づいてきた。黒塗りの外観、中の見えないスモークガラスに、防弾性の車体。


 公安五課の上級国民用の護衛車だ。


 明日香はその車に乗せられ、朝霧の立ち込める街に消えていく。乗り込む際に深々と見送る宗徳たちに頭を下げていた。


「上級国民っていっても、ほんとピンキリだね」


「そうさぁ。今回は助けがいのある相手でよかったさあ。じゃあうちらも、帰るさぁ」


 深緑の制服を着た二人はまだ人の姿もまばらな電車に乗り込み、朝の街へその姿を消していった。


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