夜のピクニック ふもっふ ⑮

「ねえ、大丈夫?」


 先ほどからめっきり口数が少なくなっている道行に、貴理子が心配げに訊ねた。

 スタートから三時間。

 剣道で鍛錬を積んでいる貴理子はともかく、スポーツとは無縁な道行にはいい加減うんざりしてくる頃合いだ。


「このぐらいの距離……問題ねぇ」


 上がったで答えても説得力がない。


 股関節が痛い。

 ふくらはぎがつりそうだ。

 足首がじんじんする。

 足の裏が焼けた砂を踏むようだ。


「そうね、問題は距離じゃなくてペースよね」


 貴理子はため息を漏らした。


 道行は歩くのが遅い。

 長い手足を持て余すように、えっちらおっちらと歩く。

 その姿はどことなくキリンを連想させてユーモラスだ。

 背筋を伸ばしてキリキリ歩く貴理子とは対象的であり、だからふたりが歩くときはいつも、貴理子が道行のペースに合わせている。


 しかし合同歩行の隊列は、時速五キロメートルほどで進んでいる。

 貴理子にはこれでもまだ少し遅いくらいだが、道行には明かなオーバーペースだ。

 休憩も二時間に一回、それも一〇分しかない。

 そうしなければとても、一二時間で六〇キロメートルを完歩できないのだ。


(二校合同にこだわりすぎなのよ)


 貴理子は、今回の二校合同の歩行祭をやっきなって企画したふたりの実行委員を、心の中で非難した。

 参加する生徒が例年の倍になってしまったために、集合場所や休憩所などの調整に労力が裂かれ、肝心のコースの設定がおざなりなってしまったのだ。

 そのせいで体力のない参加者たちが、鍛錬を超えた苦行を強いられている。

 これでは本末転倒ではないか――と思う。


 実は貴理子の憤りは別の理由に起因しているのだが、本人もそこまでは気がついていない。


「ほら、これ飲んで」


 貴理子はスポーツ飲料の入ったペットボトルを取り出して、道行に差し出した。


「い、いいよ。飲み物なら自前のがある」


「ブラックコーヒーじゃ、エネルギー補給にならないでしょ」


 コーヒー党……というよりカフェイン中毒気味の道行は、こんな時でもコーヒーを持ってきている。


「だけど、おめえ」


「なによ嫌らしいわね。別に意識するような間柄じゃないでしょ。ほら飲みなさい」


 ペットボトルを押しつけられ、道行は戸惑いながら口を付けた。

 意識するような間柄じゃない……と言われても、今まで貴理子と回し飲みしたことなどなかったのだ。

 道行としては意識しないわけにはいかないし、無論貴理子も道行に意識させるためにやっている。


「サ、サンクス」


「ん」


 貴理子はボトルを受け取るとキャップをひねって、自分も一口含んだ。


「お、おい」


「なに?」


「い、いや別に……」


 道行はドキドキと居心地が悪い。

 今夜の貴理子は明らかに距離が近い……ように思える。

 いつもは気にならない貴理子のシャンプーの香りが、やけに甘い。


(これが “夜のピクニック” の魔法か……?)


 夜間歩行祭は別名 “夜のピクニック” とも呼ばれていて、カップル成立率は学園祭の後夜祭や修学旅行を超えて、学校行事でナンバーワンとも言われている。


 夜のとばりは太陽の光が隠していた素顔と想いを解き放つ。


 入学して一ヶ月と少し。

 そろそろ教室の内外に恋愛感情が芽生えたクラスメートたちが出始めている。

 今回の歩行祭に秘めたる決意を持って臨んでいる者も多い。


 無関心な道行の耳にもそういった話は飛び込んできていて、知らず知らずのうちに自分も、そういった魔法に掛かったのではないかと酷く落ち着かなかった。

 こういう雰囲気は縁遠く、戸惑いしかない。

 ドギマギしている自分の気持ちがわからない。

 なにより貴理子の気持ちがわからない。


「もう、なに情けない顔してるのよ」


 逆に貴理子は微苦笑を浮かべ、しょぼくれた老グレートデンのような道行を見た。

 精神的な優位に立ってイニシアチブを握るのはいつものこと。

 慣れ親しんだポジションをフルに活用して、と合流する前に可能な限りリードしなければならない。


 しかし、そうは問屋が卸さない人間がいた。


「ほら道行、聖女様だぞ」


 突然後ろからふたりの間に空高が走り込んできて、スマホを突き出した。


『道行くん! 大丈夫ですか!? 元気ですか!? 生きていますか!? まだまだ戦えますか!?』


「え、枝葉さん?」


『はい、枝葉です! 空高くんから道行くんが沿との連絡を受けまして心配しています! 回収部隊が必要ですか!? どこにいますか!?』


 ご丁寧にスピーカー出力にしてあるスマホから、瑞穂の緊迫・逼迫・切迫した声が響く。


「だ、大丈夫。まだ生きてる。心配ない。全然元気。無問題」


 まるで上司からの電話に出たサラリーマンのように背筋を伸ばす道行に、見る見る貴理子の表情が不機嫌になる。


(そこまでする!?)


 貴理子がキッと空高を睨んだ。


(~~~♪)


 空高は素知らぬ顔で、視線を逸らす。


 空高は貴理子に明確な好意を抱いているし、貴理子は空高の想いに気づいている。

 しかし貴理子は道行が好きだった。

 その気持ちは空高もわかっていると思っていたし実際、空高はわかっていた。

 この辺りふたりは、誰よりもお互いの気持ちを理解しあっている。


 だからこそ貴理子にしてみれば空高に、


(協力してくれてもいいじゃない)


 ――という気持ちがある。


 もちろん貴理子の甘えなのだが、貴理子にも貴理子なりの言い分がある。

 空高に口に出して『好きだ』と言われていない以上、その気持ちはないものと受け流すしかない。

 貴理子にしてみれば空高は大切な幼なじみで、きょうだいのようなもの。

 先んじて『ごめんなさい』なんて言えるはずがないじゃない、というわけである。


 空高は空高で今告白すれば振られるとわかっている以上、玉砕する気などないし、まして貴理子と道行の仲を取り持つような真似などするわけがない。


 結局貴理子が『わたしは道行が好き。協力して』とハッキリ空高に言えないことが事態を複雑怪奇にしてしまっているのだが、それを臆病と言えばよいのか、それとも当然と言えばよいのか……わからない。


「必ず自由歩行まではたどり着くから。うん、そこで『ゴッチン!』――痛えぇ!」


 怒りのパワーがごーっと燃え上がった貴理子にすねを蹴られて、哀れな道行少年は飛び上がった。


『――み、道行くん、どうしました!? 大丈夫ですか!? 生きていますか!? 回収部隊が必要ですか!?』


◆◇◆


「さて、そろそろ娘さんも団体歩行が終わるころでしょうか」


 ダイニングの掛け時計を眺めて、母親は独り言ちた。

 あと三〇分ほどで、今日が昨日になる時刻。

 リタイヤしてなければ彼女の可愛い娘さんはそろそろ団体歩行を終えて、大休憩の場所である青梅の中学校に到着するころだ。

 遅い夕食と仮眠のあと、いよいよ娘さん待望の自由歩行に移る。


 自由歩行で娘さんが歩くのは六人。

 当人はまったく気づいていないようだが聞いた話を総合すると、なかなかに獰猛どうもうなシチュエーションのようだ。


 空高くん→片桐さん→道行くん←可愛い娘さん←隼人くん←林田さんリンダ


 母親の見るところ六人の中では、青春の甘酸っぱい矢印がこのように向いている。

 

 片桐さんという子が道行くんと空高くんの幼なじみで、娘さんのライバルらしい。

 イケメンで成績もよくスポーツもできるらしい空高くんではなく、そうではない?道行くんに矢印が向いているあたり、どうやら娘さんと同じ属性の子らしい。


 そして娘さんが夢中になるあたりこの道行くんという少年は、娘さんの父親と同じ属性のようだ。


(まったく、やれやれです。そんなところまで似なくてよいと思うのですが)


 母親は自分に似てしまった娘を思って嘆息した。

 そして自分の配偶者を思ってまた嘆息した。

 完全無欠の生活無能力者でありながら経済力だけはあるという、特異な男性。


 夫が稼ぎ妻が家計をやりくりする前時代的だが、効率的な役割分担と夫婦間の尊敬がなされている枝葉家に育った以上、“稼ぎ男に回し女” が理想になってしまうのは仕方のないことなのかもしれないが……。

 とにかく彼女の可愛い娘さんは父親以外に、理想とする男性を見つけてしまった。


 わずか一五才で “世話をしたいと思っている女” をふたりも作ってしまうなんて、道行という少年は天然のジゴロなのだろう。

 母親としては道行くんが、ただの駄目男なだけでないことを祈るばかりだ。


 なによりも――。


 ひとり駄目男に女ひとりなら聖女で済むが、ひとり駄目男に女ふたりではもういけない。

 待っているのは修羅場しかなく、はてさて、あの “のほほん” とした娘さんに恋の生存競争を勝ち残ることができるか。


「まあやれるだけやってみなさい、わたしの可愛い娘さん」


 母親は声に出してエールを送ると、電灯を消して寝室に向かった。


 団体歩行が終わり、自由歩行が始まる。



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