ふもっふ ⑧

 道行と瑞穂は西と南に延びる “神田白山線” から、ほぼ真北に別れた細路を進んでいた。

 住宅街ではあったがカフェや雑貨屋や古書店もあり、なにより寺院が目立つ独特の趣がある細道だった。


「そこの奥に山岡鉄太郎の墓がある」


 左手西を指し示しながら、道行は教えた。


「おお! 鉄舟さんの!」


 幕末の偉人の名前を聞いて、瑞穂はポンと拳で掌を打った。

 先ほどの『徳川慶喜』の墓もそうだったが、本やドラマでしか知らない歴史上の人物をこんな風に間近に感じられるのは、彼女にとって新鮮な体験だった。

 景色は現代のままにも関わらず、なにやらタイムスリップをした気分になる。


「さっきはスルーしちまったけど、“渋沢栄一” の墓も谷中霊園にある」


「そうですか、それでは次回はぜひお参りしましょう」


 上機嫌でうなずく瑞穂に、道行がドキッとしたのは言うまでもない。

 やがてふたりは “諏訪台通り” と “御殿坂” が交わる場所まできた。


あっちが日暮里駅の北改札だ」


 道行が右手を指差した。


「そんで、こっち西に行くと “夕焼けだんだん”」


「“夕焼けニャンニャン” ?」


「“夕焼けだんだん”。下り階段の先にレトロな商店街があって、階段の上から見ると夕日が奇麗なんだ」


 説明しながら道行は、


(……っていうか、なんでそんな古いTV番組知ってんの?)


 と疑問に思ったが、おそらく “仲の良いお父さん” に教わったのだろうと、勝手に推論した。

 瑞穂がお父さん子なことは、“Dungeon of Death” での冒険でわかっていた。


「なるほどこれは確かに、お夕飯前の活気がある商店街と夕焼けがマッチして、絵になるでしょうね」


 階段の上まで来てみると、視線の先に昔ながらの商店街 “谷中ぎんざ” があった。

 夕方なら “ALWAYS 三丁目の夕日” を彷彿させるスポットだろう。

 大規模ショッピングモールが出店できる土地柄ではないため、こういった昔ながらの商店街が生き残っているのである。


「真っ昼間なのが、ちっとばかしな」


 道行は瑞穂のために残念がった。


「ではそれも次に来たときのお楽しみにしましょう」


 瑞穂はまったく意に介さない。

 それどころか無邪気に無自覚に、モリモリ外堀を埋めていく。


「道行く~ん、早く行きましょうよ~」


 テケテケと階段を下ると、瑞穂が道行を振り仰いだ。


◆◇◆


「帰りましょう」


 “谷中銀座” に消えていった道行と瑞穂を見て、貴理子がきびすを返した。


「いいのか?」


「ええ。これ以上は枝葉さんに失礼だわ」


 驚く空高に、キッパリと言い切る貴理子。


「きっと今日のことは、枝葉さんにとって一生の思い出になると思う。それは彼女と道行だけの思い出であるべきよ。他人が触れていいものではないわ」


 空高は戸惑った。

 先ほどまでの不安に揺れていた幼馴染みの姿は、どこにもいなかった。

 目の前にいたのは、まるで剣道の試合に臨むときの貴理子だった。


 瑞穂の笑顔に自制を取り戻した貴理子は、彼女の思い出と自らのプライドを守った。

 それは貴理子が瑞穂をライバルと認めたことを意味していた。

 これから先、貴理子が瑞穂と真正面から向き合うためにも、後ろ暗さや気後れを持たないためにも、今日は引き下がらなければならないのだ。


 やはり貴理子は、さかしく凛々しい少女だった。


 そして空高は直感していた。

 今この瞬間、自分と貴理子と道行のひとつの時代が終わったことを。

 不安定ながらも保たれていた、三人の関係が崩れたことを。

 もう元には戻れなくなったことを。


 空高は、道行と瑞穂を引きあわせてしまったことを、心から後悔した。


◆◇◆


 ほぼ同様の出来事が、志摩隼人と林田 鈴の間にも起こっていた。


「帰ろう。リンダ」


「ええ!? どうしてよ!」


「これ以上は瑞穂が可哀想だ」


 遠ざかっていく瑞穂の背中を見送りながら、隼人は言った。

 認めたくはないがこれは瑞穂の初デートであり、いくら幼馴染みで彼女が心配だからといって、覗き見ていいわけがない。


 隼人は男として忸怩たる思いを抱いている。

 情けない真似をしていると理解している。

 男はプライドの生き物だ。

 これを失ってしまえば隼人はこれから、の前に立てなくなるだろう。

 すんでのところで、隼人は踏みとどまった。


「それでいいわけ?」


「ああ」


「この後、ホテルとか行っちゃうかもよ?」


 隼人は答えずに、瑞穂とは反対の方向に歩き出した。


「…………ごめん……」


 リンダは謝り、隼人の後を追った。


 リンダは瑞穂と道行を会わせてしまったことを激しく後悔した。

 自分の浅はかな目論見は、完全に逆効果だった。

 道行の登場で、隼人は瑞穂への想いを確たるものにしてしまった。

 これまでは、自分と隼人と瑞穂の△関係だった。

 でもこれからは、隼人と瑞穂と道行の△関係になるだろう。


 林田 鈴は自分が、物語の脇役に堕してしまったことを悟った。


◆◇◆


 道行と瑞穂は、昭和五〇年代からあるというレトロチックな商店街 “谷中ぎんざ” を冷やかしながら、ブラブラと散策を続けた。

 昔懐かしい駄菓子屋や、靴の “パンジー” の店、いか焼き屋、江戸民芸の店などがあって、なかなかに楽しい。


 お芋に目がない瑞穂は、通りかかった甘味処で熱々の “スティック芋” を発見し、早速購入した。

 もちろん道行と仲良く半分ずつ分け合った。


(なんだかデートみたいです)


(……なんだかデートみてえだな)


 揚げたてのサツマイモをホクホクと頬張りながら、揃って同じことを思った。

 何を言わんや――である。


 “谷中ぎんざ” を西に抜けて “よみせ通り” に出ると、道行は南に折れた。

 真っすぐに進むと先ほどスルーした “神田白山線” と “忍ばず通り” が交わる、“団子坂交差点” の手前に出た。

 道行は交差点を再び南に曲がり、“不忍池” 方面に向かった。


 まっすぐ行けば西 “鴎外記念館” があるのだが、道行は森鴎外の作品を読んだことがないので今日は回避した。

 道行の中で鴎外は、脚気かっけ論争で負けた軍医総監……というイメージしかない。


 その代わり、夏目漱石の旧居跡に立ち寄った。

 “忍ばず通り” から “根津裏門坂” を西に曲がり、少し北に戻ると住宅地の中にある。

 記念碑があるだけだったが、猫のオブジェが塀の上から見下ろしていて、瑞穂が喜ぶと思ったのだ。

 案の定瑞穂は喜び、記念にと瑞穂がせがむので、猫のオブジェをバックにふたりで写真を撮った。

 自分たちに向けたスマホで撮るわけだが、かなり引っ付かなければ画面に収まらないので、道行はまたもドギマギした。


 “根津裏門坂” まで戻ると “忍ばず通り” には戻らず、もう一本西に並行して走る “本郷通り” に抜けた。

 どうせだからかの有名な “東京大学” とやらを見物してやろう――という希有壮大なだった。


 代名詞ともいうべき “赤門” からキャンパスに入り、漱石の小説『三四郎』の舞台となった “三四郎池” の畔で風情豊かに休憩し、そのあと東大紛争で有名な “安田講堂” を見物した。


「ここは昔、加賀藩上屋敷だったんだ。武蔵野台地の東の外れで東側が大きく落ち窪んで “忍ばずの池” になってる。その向こうが “上野のお山(上野公園)” だ。幕末には官軍がここにアームストロング砲を備え付けて、池越しにお山に籠もる “彰義隊”を砲撃したんだ」


 文学よりも、道行はこういう話の方が得意だった。

 どちらかといえば文学少女な瑞穂も、歴史は嫌いではなかったので、目を輝かせて聞き入った。


 ふたりは “弥生門” から東大を出て “暗闇坂” を “忍ばずの池” に下っていった。


 “弥生式土器” が出土したのはこの辺りだとか、“春日局の菩提寺” はすぐそこの“春日通り”にあるとか話しながら、今日は隣接する “旧岩崎邸” を見学した。

 三菱財閥の創始者 “岩崎弥太郎” が建てた洋館である。

 日曜だというに入館者はまばらで、ふたりは落ち着いた雰囲気の中、明治の空気を楽しむことができた。


 適度に休憩と飲食、おしゃべりを挟みながら、道行と瑞穂の “本郷界隈” の散策は続く。

 道行のナビゲートはぐねぐねと行き当たりばったりだったが、瑞穂には好評な様子だった。


 道行自身は、よくもまぁこんな縁もゆかりもない場所に土地勘があるものだと、今さらながら気づかされた。

 それは少年の孤独の深さを裏返しでもあったわけだが、今日彼が伴っていたのは、その長年の友人ではなかった。


 瑞穂は瑞穂で、『道行くんはなんてなのでしょう!』と、自分の目に狂いがなかったことに大いに満足していた。

 少女の少年への評価はうなぎ登りの青天井で、と終始ご機嫌だった。


 それからふたりは “科学博物館” で、恐竜の骨格や、ゼロ戦や、寄生虫まみれのクジラの小腸などを見学した。


 “国立博物館” では司馬遼太郎の短編の題材にもなった上杉謙信の愛刀、重要文化財の太刀 “長船兼光” などを見て、その美しさに感嘆した。


(妖刀 “村正” はないのでしょうか?)


(妖刀 “村正”はねーのかな)


 となぜかこの時も、ふたりして同じことを思った。


 さすがにヘトヘトになったので近場のロイホに入り、“ヨーグルトジャーマニー” などをまったりと食しながら、あとはひたすらにお喋りをした。

 会話の割合はほぼ9:1だった。

 どちらが9だったかは、言うまでもないだろう。


 遅くなる前に、ふたりは電車に乗って帰った。

 最寄り駅で別れるとき、これからも連絡を取り合う約束をした。

 約束という最も貴く最も正統な “大義名分” を得られたので、瑞穂はとてもとても嬉しかった。

 これでいつでも連絡が取れるというものである。

 そして思った。


(いつか道行くんとデートがしたいな)


 まったくもって、何を言わんや――である。


◆◇◆


 コンコン、


 コンコン、


 二度ノックしても返事がないので、母親は自室にいるはずの娘に声掛けた。


「娘さん。娘さん。わたしの可愛い娘さん。そろそろお風呂に入りなさい」


 やはり返事はない。

 しかし部屋にいないわけでも、寝ているわけでもなかった。

 なぜなら部屋の中から、


 バタ! バタ! バタ! バタ! バタ! バタ! バタ! バタ!


 という、一人娘が興奮しているときにだけ発生する “音” が響いていたからだ。


「娘さん。娘さん。入りますよ?」


 ガチャ、


 いちおう許しを請うてから、母親はドアを開けた。


「入りましたよ、娘さん」


 バタ! バタ! バタ! バタ! バタ! バタ! バタ! バタ!


 娘の瑞穂は、十畳の洋間の壁際に置かれたベッドにいた。

 うつぶせになって大きめの枕に顔をうずめて、両足をバタバタさせている。

 足の動きが疲れ知らずなことから、愛娘の今日の一日が推して知れた。

 さらに枕にぐりぐりぐりぐり、これでもかと顔をぐりぐりさせて悦に入っている。


 母親は苦笑すると、そのまま部屋を出た。


(よかったですね、娘さん)


◆◇◆


 一方そのころ、道行もなにやら興奮が冷めやらぬ思いだった。

 電灯から垂れる “紐” でシャドーボクシングをするほどではなかったが、それでもジャブを二発放った。

 老いたグレートデンそのままの少年にしては、えらいテンションの高さである。


 ベッドに投げ出していたスマホに、LINEの着信があった。

 すぐに瑞穂だと思った。

 いつもの情けない通知サウンドが、今日はどこか意気揚々と聞こえた。

 サッと手に取って、ディスプレイを見る。


 差出人は、瑞穂ではなかった。

 差出人は、貴理子だった。



『明日から本気出す』



 メッセージは簡潔で明瞭だったが、道行は意味がわからず困惑した。



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