ふもっふ ⑥

 道行より一時間ほど早く目覚めた空高は、双子の兄が起き出してくる前に家を出ていた。

 そして歩いて数分の距離にある、高い土塀に囲まれた広い屋敷に向かった。

 屋敷は歴史を感じさせる平屋建ての日本家屋で、空高はその豪壮な表門の前に立った。


 さして待つまでもなくサングラスにマスク、それにまるでシャーロック・ホームズのような鹿撃ち帽ディアストーカーを被った見るからに怪しい人間が、コソコソと出てきた。

 空高は溜息をひとつ吐き、声を掛けた。


「貴理子」


 見るからに怪しい人間は、ギクッ! と身を竦めた。


「ひ、人違いです」


 くぐもった声が、マスクの奧から否定した。


「その恰好で出るなら、せめて裏口にしろよ。逆に目立ってるぞ」


「……」


「俺も行くよ。ふたりの方がまだ人目につかない」


 空高の言葉に怪しい人間は、しぶしぶとサングラスとマスクを外した。

 こういう時に “憮然” と表現するのは誤りだということは理解したうえで敢えて使うが――憮然とした表情の貴理子が現れた。


「わ、わたしは……」


「わかってる。道行がおまえ以外の女の子と出かけるなんて初めてだからな。最悪割って入ってやらないと、一生ものの傷を負ってしまう。守ってやらないとな」


 無論、嘘である。

 空高が守りにきたのは、道行が自分以外の女の子と出かけるの事態に動揺する、貴理子の方である。

 子供のように狼狽した貴理子が一生の傷を負ってしまわぬように、空高はきたのだ。


 道行は貴理子にとって、心の聖域。

 今その聖域に、予期せぬ訪問者が現れた。

 それが滞在者となり、あるいは永住者になることを、貴理子は恐れている。


 空高は道行と瑞穂を引き合わせてしまった自分の浅慮を悔いた。

 まさか貴理子がここまでショックを受けてしまうとは思わなかった。

 歪な双子の兄はずっと以前から、恋愛感情を超えて幼馴染みの少女を惹き付けている。

 それは依存という言葉がふさわしく思えるほどの強さだった。


 空高には目の前の屋敷が、幼馴染みの少女を閉じ込める牢獄に見えてならない。


◆◇◆


(………………困った……)


 灰原道行は、心底途方に暮れていた。

 目の前には向日葵のような笑顔を浮かべる、枝葉瑞穂がいる。

 つい先ほどまでの鬼気迫る表情で小鼻をピスピスさせていた彼女は、もうどこにもいない。

 これからの展開に、ただただ胸をときめかせているのだ。


『どっか、行く?』


 とは言ったものの……。


(その辺の “サイゼ” …………ってわけにはいかねえだろうなぁ……やっぱり)


 道行にとって今日はあくまで、瑞穂からお詫びをされる日だった。

 その想定の範囲内で脳内シミュレーションもしてきた。

『駅近のサイゼでお茶』――というのも、道行が道行なりに考え抜いた “悪巧み” なのである。

 しかしそれがまさか、こんなデートもどきになってしまうとは。


 道行のつたない知識では、この近郊で同年代の男女が遊びにいく場所と言えば、渋谷・原宿・表参道・青山、少し離れて自由が丘……ぐらいだろうか。

 いささかテンプレすぎる地名ばかりだ。

 さらに地名を知っているだけで、近所だというのに実際に足を運んだことはなく、当然どんなスポットがあるのかまったくわからない。


(…………これはいったい何の罰ゲームだ……)


 密かに追い詰められた道行を救ったのは、瑞穂だった。

 不思議なことにこのつかみ所のない少女は、無意識に道行の窮地がわかるらしく、この後もたびたび救いの手を差し伸べてくれるようになる。


「道行くんは、普段はどういう所に遊びに行くのですか?」


「お、俺? 俺ぁ、出不精で休みの日はあんまり出かけねえんだ……家でゴロゴロ、本とか読んでる」


「ああ、それはわたしと同じです。わたしもお休みの日はお友達に誘われない限りは、お家でゴロゴロしています。気が合いますねー」


 大概の女子高生ならドン引きする道行の言葉に、瑞穂はパムッと胸の前で手を合わせて嘆賞した。

 しかし互いに家でゴロゴロしているだけでは、ふたりの人生は一生交差することはないだろう。


 かといっていきなりどちらかの家に押しかけて、一緒にゴロゴロするわけにもいかない。

 そんな真似をすれば瑞穂はともかく、道行の心臓が止まってしまう。


「い、いや、ほとんどいつもだけど、いつもってわけじゃねーんだ。たまには出かけることもあるよ。地味な場所だけど……」


 当たり前のことを言いながら道行は胸奥で、


『だけど……あんな所に枝葉さんを案内していいのか?』


 大いに首を捻っていた。

 しかし当の瑞穂は、


 パムッ!パムッ!


 と、まるで脳天気な天使(そんな者が存在するなら、だが)が乗り移ったように、期待に目を輝かせている。


「……切符は俺が買うよ」


 道行は申し出た。

 有名店の水ようかんにせんべえまでもらってしまった以上、それぐらいはしなければならなかった。

 遠慮するかと思った瑞穂は、素直に従った。

 こうして道行と瑞穂は、初めてのデート(らしきもの)に出発した。



 最寄り駅から、山手線外回りで約二〇分。

 ふたりが降りたのは『日暮里』駅だった。


「枝葉さんには、あんまり面白くねえかもしれねえけど……たまに来るんだ」


 自他ともに認める出不精インドア派の道行だが、それでも家にいたくないときはあった。

 両親と空高が楽しげに会話をしているときなど、遠慮して家を出ることがあった。

 慣れっこであり、別にいたたまれなかったわけではないが、それでもやるせなくはあったのだろう。


 そんな時にぶらりと電車に乗って、この駅で降りることがあった。

 道行の孤独癖は、後天的なものだった。


「この駅で降りるのは初めてです――ここはどういう街なのですか?」


 興味津々といった様子で、瑞穂が訊ねた。

 道行は少し考えたあと、


「墓とラブホの街……かな?」


 と答えた。

 確かに地味な場所だった。



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