出国と成長の章

アルモニア(前編)

「シィー、動くな。何度でも言うが動くな。トリスの経験にならん!」

「体がウズウズしますー!」

「お前が手をだしたらトリスが成長できねえだろ!」

 背後でのん気な会話が聞こえるが、クマ型の魔獣とむきあっているボクにかまっている余裕はない。

 はっきり言って手強い相手なのだけど、それ以上に毛の色が違うのをのぞけばクロに似ているので戦いづらいんだよね。

 ボクは太い腕でくりだされる横殴りの打撃をかがんでかわす。

 グリリリスなんて人によってはかわいらしくさえ聞こえる名前なんだけど、その力は決してかわいいものではない。ミゴンさんから経験を積むためと言われなければ、街道をはずれてまで会いたい相手じゃなかった。

 ボクは低くした体制のままグリリリスの懐に飛びこみ脇腹に一撃をたたきこむ。

 一声ほえた魔獣はボクにおおいかぶさるように前方に倒れこんでくる。横に移動しそれをかわすと頭上から鋭い爪が振り下ろされてきた。今度は後方に跳びしさり腰をおとして身構える。四足歩行に切りかえたグリリリスは唸り声をあげにらみつけてくる。

 この魔獣は皮下脂肪が厚く比較的打撃を与えやすい腹部でも耐久性は高い。だからと言って他の部分は骨が固く、有効打にするどころか体術だとこちらが傷を負いかねない。

 狙うとしたら喉なんだけど、二足で立たれた時には位置が高くて有効打をいれづらく、四足歩行だと顔に隠れて狙い辛い。魔力の発生源となる魔核があるので魔糸を使った魔力拡散をすることもできないんだよね。

「ミゴンさん、いまのボクでは倒しきるのは困難だと思います」

「いい判断だ。基本的にお前の技術は人にかたよっているからな。ダヤンでの装備調達はどうしたらいいと思う?」

「爪系の装備「でしょうか?」

「俺としてはそれが正解だと思う。できれば毒を付加するものをすすめたいところだが」

「発動できません」

「だよな。まあいい。今回の準備の悪さは理解してもらえたと思う」

 口で注意するのではなく、実体験で理解させる人か。

 たぶん彼自身がそうやって学んできたのだろうね。

「シィー、よく我慢したな。今日の夕飯だ」

「美味しく食べるからゴメンね!」

 ミゴンさんの許可を得た先輩が、一足飛びに魔獣に並んだかと思うとその頭を殴りつけた。

 激しい音がしてグリリリスの頭の形がかわる。巨体がゆっくりとその場に崩れ落ちた。

 ちなみに鉄製の手甲をつけているボクと違い、先輩は素手だが痛がっている様子はない。

「自分と似てるやつがぶっ飛ばされると複雑な気分だな」

「ええーっ! 全然似てないよ? クロちゃんのほうが百倍かわいい」

 無駄に暴力を振るう人じゃないけれど、狩りに対しては割り切っているんだよね。先輩の場合、旅の食料はすべて現地調達みたいだし。

 だからボクは戦闘では刃物は使わないけれど、解体や調理の為に用意はしている。

 ただガーバートから先輩の退治した魔獣の解体はしていたけれど、ここまでの大物は初めてだ。ミゴンさんが手伝ってくれなければ、一日作業だったかもしれない。

「ひとり旅のときはどこが食べれるかよくわかんなくて、とりあえず毛皮とか内臓だけ食べないようにしていたんだよね。あとはとにかく焼いて食べてた」

「魔獣も動物も毒があるやつもあるからな。とりあえずコイツは大丈夫だ。うまいほうではないがな。臭みが強いし固い」

 街道へと戻りボクが調理をしているあいだ、先輩とミゴンさんがたき火を囲んで会話に花を咲かせている。

 臭みも固さも食材が揃っていれば難しくないけれど旅先だからね。臭みは用意してきた塩で、ある程度は水分と一緒に追いだせる。あとは香草で散らすのが最善かな。 水分を臭みを抜くために減らしちやうから、より固くなりやすくはあるんだけど、たたいて厚みを均等にしてやるのと、繊維に切れ目をいれてやればある程度は緩和される。はちみつがあれば、軽く塗ってやることで柔らかくしてやれるんだけど、さすがに旅先ではね。高価なものでもあるし。

 下準備を終えると、鉄串に刺してたき火で焼いてやる。

「串は直接持たないでくださいね。火傷しちゃいますから」

「なんというか、食事への準備はしっかりしてあるんだな」

彼の呆れたような言葉には苦笑するしかない。

「護衛も食料調達をしてくれていますので、先輩にはできるかぎり美味しい食事をとってもらいたいと思っていまして」

「まあ、高魔力の魔獣なんて聞いたことはないからな。高魔力を持つとしたら人だろう。……だとしたら今度はトリスが対応できるのか。案外いい組み合わせなんだな」

「俺もいるしな!」

 先輩の胸ポケットで胸をはるクロに、ミゴンさんがふき出す。

「そうですね。長旅だとクロガラ様みたいな存在は必要です。いてくれるだけで場が和みますから」

 星の瞬く空にボクらの笑い声がとけていった。

 食事を終えるとほどなくして、横になった先輩から寝息が聞こえてくる。クロも先輩に抱かれながら目をとじていた。

 魔法生物だから人間のような睡眠は必要ないのだけど、クロの行動は普通の生物に近い。サイファー導師はいったいどのようにして、守護霊獣を生みだしたのだろう。いつか知る機会があればうれしいのだけど。

「しかし驚いたな。器用なヤツだと聞いてはいたが、護身術と呼べるだけの体術に、魔法への知識、それから魔糸だったか。対人なら充分に戦力に数えられる上に、料理や裁縫もできるなんてな」

 彼は自身の頭をペチペチとたたきながら苦笑する。

「魔獣の相手も馴れていないわけではないのですが、もともと倒すことではなく生き残ることに重点をおいた鍛錬だったので、倒しきるというのはいまいち苦手です」

「気性的なものもあるんだろう。別にいいんじゃないか。冒険者登録したのも手段であって目的じゃないんだろ? もしものときに備えて選択肢は増やしておいたほうがいいとは思うが、だいたいはいまのままでも問題ないんじゃないか?」

「自分でもそう思います。街から街への旅に耐えられさえすれば問題はありません、ただ魔導書の素材にとんでもないものを期待されているので」

 ミゴンさんは周囲の闇をチラリと見やる。

「世界樹はわからんが、ドラゴンの鱗なら市場に流れんこともないな。もちろん高額だが」

 彼の動きに少し疑問をおぼえ、小さな枝をひろうと、地面に文字を書く。

『なにかいるのですか?』

 ミゴンさんがうなずき、ボクだけに見えるように指を二本たててくる。

 声をあげないということは、相手は人か。

 それにしても先輩そうだけど、アミナさんやミゴンさんも気配を殺している相手に敏感だ。

 いったいどのように察しているのか、謎なんだよね。

 身を守るすべにかんしては鍛えられてきたつもりだが、この感覚は掴めない。

「背後! 弓だ!」

 ミゴンさんが叫ぶと同時にボクは振り向きざま顔の前に手甲はめた両腕で盾をつくる。軽い衝撃が腕にはしり、矢が地面に落ちた。

 両腕の隙間から一組の男女がこちらにかけてくる。

「何者だ!」

 もちろんふたりは彼の言葉には答えない。

 金髪の女が急に立ちどまったかと思うと地面に両手をつける。

 ボクとミゴンさんの前に、ボクらとほぼ同じ大きさの土人形が出現した。

 まさか精霊魔法⁉

 のんびりと驚くことも許されず二体の土人形と戦わされる。そんなボクらのあいだを黒髪の男が駆けぬけ、たき火を飛びこえ先輩に胸に手を伸ばす。

 瞬間、男が先程の巻き戻しかと思うように、ボクらのあいだを通り地面に手をついたままの女にむかって飛んでいく。

「なっ⁉」

 目を見開きながらも、辛うじて身をひるがえして男との衝突をさける。

「なんの騒ぎ、なんの騒ぎ?」

 大きな拳を突きだしたままの先輩が、困惑気に問いかけてきた。

 たとえ寝ていても隙がないのは反則ではないだろうか?

「やめておけ。戦力差がありすぎる」

 すでに土人形を斬りふせていたミゴンさんが、体勢をくずしていた女の首元に剣を突きつける。

 彼女は大きく息を吐きだす。とたんにボクの前の土人形が崩れおちた。

「トリス、男を縛りつけておけ」

「わかりました」

 指示通り、荷物から手ごろな紐を取り出し、気を失っていた小柄な男を後ろ手に縛りあげる。

「そのねーちゃん、エルフか?」 

「いえ、ハーフエルフ……でしょうか?」

 歩みよってきた先輩の胸ポケットへ再びおさまったクロの質問に、戸惑いつつ言葉をかえす。

 不思議に思い、女を注意深く観察する。

 クロたちが迷ったのも無理はない。彼女はかわった特徴をもっていた。

 左耳がエルフのように先端が尖っていたのだけど、右耳はボクらと同じように丸みを帯びていたんだよ。

 ヒト族とエルフ族の混血がいるとは聞いていたけれど、こういった特質があるのなら話にあがっても不思議はない。つまりこの特徴はこの人自身の特徴なのかもね。

 あれ? 以前にこんな特徴の人の話を聞いたような……。

「トリス、コイツも縛りあげろ。明日にまとめてダヤンの警備隊につきだす」

 考えるのをやめ、すぐに男と同じように後ろ手に縛った。

「申し訳ありませんが、きつめに縛らせてもらいます」

 女はすでに諦めているようで抵抗はしてこない。

 ふたりを縛りつけた紐を木に結び、ボクらはひと息つく。

「俺たちを足止めしてシィーに襲いかかったところをみると、狙いはクロガラ様か」

「もしかしたら、ブルカンにいたときから目をつけられていたのかもしれませんね」

 王都にいるあいだは、急襲する隙がなかったのだろう。街を歩くときは、魔法神の巫女と呼ばれる姉さんが一緒だったし、誘拐事件のあとに三人組と素材採集の仕事をしているときは、遠巻きにラブリース家の騎士たちが見張っていたからね。

 襲いかかっていたら、大勢にとりおさえられていただろう。

「ふたりとも腕は立つようだが、標的をシィーにしてしまったのが運のつきだったな。昼間は休んでいて、コイツの実力を見ていなかったのだろう」

「ええ。先輩は王都でも暴れられませんでしたからね。夜に火を使うことを予測したまではよかったが、というところでしょうね」

「なんだか私、化け物あつかいされてる気がする」

「当然のあつかいだろ?」

 先輩やクロが旅の仲間だと、襲撃後も緊迫感がないね。

 ともかくダヤンには明日の昼前には到着できる。

 いつまでも襲撃の余韻にひたっていても仕方ない。交代で休みをとることにした。

「おい、縄をほどきやがれ! お前ら野盗だろ!」

 ボクが見張りになって間もなく、男が目を覚ましわめきたてる。どうやらボクらを襲ったのは勘違いということにして誤魔化そうと考えたようだ。

 相手にするのは面倒なので、男に無言でちかよる。男はなおも野党と勘違いしている芝居をしていたが、魔糸で魔力拡散をしてやると、またも気を失って大人しくなる。

「ありがとう。うるさくてかなわなかったんだ」

 女がせいせいしたように呟く。

「アナタはお芝居をしないのですか?」

「無駄なことはしたくない。ダヤンの警備隊に引き渡すんだろう? 私達のことはもうラオスから伝わっているだろうからね。ノマッド・グリモリオを追えなくなった時点で詰んでたんだよ、私たちはね」

 自嘲気味に笑う彼女の言葉に、ボクの記憶が刺激される。

 マオの実家を襲撃した犯人たちの生き残りはふたり。そのうちひとりは片耳がエルフのように尖った女性。

 さらにその人物は世界樹のある迷いの森にすんでいるハイエルフ『たゆたう森のイストリア』様の娘の可能性がある。

「じろじろ見るのはやめてもらえるかな。この耳が珍しいのはわかるけど」

「すいません。その珍しいとかではなく、あなたの外見と同じ特徴の人物の話を聞いたことがあるものですから」

 彼女が眉をひそめる。

「私のことは、あのラオブの娘に聞いたんじゃないの?」

「ボクらを監視していたのはブルカンからなんですね。ガーバートのことはなにも知らないんですか?」

「私たちがあの守護霊獣の存在を知ったのはアナタたちがブルカンをでた日だよ。いまさら隠しても無駄だろうから言うけど、この国をでれなくなってね。帝国にぬけたノマッド・グリモリオを追えなかったのさ」

 魔導王国は魔法魔術技術の流出を嫌う。だから入国は簡単でも、出国には厳しい検査をされる。転移魔法で国外にでるのも結界でできない仕組みらしい。もっとも並みの魔法士の話だが。

「雇い主は魔導王国にいるけど、手ぶらじゃ戻れない」

「それで偶然見かけたクロに目をつけた訳ですか」

「イディオ・グリモリオがほしかったんだけどね。守護霊獣を連れさればなんとかなると思ったんだよ」

 肩をすくめるその姿は、嘘をついているようには見えない。

「私は話せることは話したよ。私と同じ特徴をもつっていうのは誰だい?」

 迷ったが、このまま刑に処されてあとからイストリア様の娘だとハッキリしたらたいへんなことになる。

「あなたはご自身の父親はご存知ですか?」

「父親? さあね。生まれたころから親なしだよ、私は」

 イストリア様は事件に巻きこまれて行方不明と言っていたけど、娘さんが物心ついていたかは言っていなかったね。

「女性に失礼かとはおもいますが、見た目はお若いですが二百年近く生きていらっしゃるのでは?」

「だったらなに?」

 ボクがなにを話すのか警戒しているのか、声が固くなってきている。

「もしかしたら、あなたの父親はイストリア様かもしれません」

「は?」

 彼女の口が憐れなほど大きく開かれた。



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