赤き守護霊獣の導き(後編)
「えっ?」
この時のボクの表情は、きっと言葉で表現できないほど間のぬけたものであったと思う。
マオが部屋にきたときに熱を感じていた体は、心を中心に急に寒冷地に放り込まれたように、凍える感覚を味わう。
考えてみれば当たりまえのことだった。
彼女がラオブを、諸国同盟を出て魔導王国まで来たのは、エルペッナ様とイラさんの無事を確認するため。それは果たされた。これ以上彼女が苦労して旅を続ける必要はないものね。
あれ? でもいま王都に残るって言った? ラオブに帰るのではないの?
「アタシ、なにもできませんでした」
悔しげな呟きに、ボクはなんのことだろうと眉をひそめる。
「どうしよう、どうしようってオロオロするだけで、ミゴンさんのように計画をたてることも、カウティベリオさんのように冷静に状況判断をすることも、パトリ様やクロのようにゴーレムを止める力もなかった」
ああ、ボクが拉致されたときのことか。
でもボクが聞いた話では、暴走しそうになっていた先輩をひきとめたり、クロの住家になっている魔力板の魔術陣を書きかえたりと、充分に力を発揮してくれていたように思うのだけど。
「ボクはマオが沢山頑張ってくれたこと、聞いているよ」
マオは目を伏せて首を横に振る。
「アタシがいなくてもトリス様は助けられました。アタシがシィーさんを止めなくてもシィーさんが気絶して終わっただけですし、魔術陣の書き換えもクロができたことです。アタシは少し早めただけ」
悔しそうに下唇を噛む。
そんなことはないと言いかけたが、思いとどまる。
ボクに言わせれば、今回事件に関わってくれた人たち誰ひとり欠けてもボクが無事に救出されることはなかったと言いきれる。けど、きっとその事を伝えてもダメだろう。
ボクも覚えがあるよ。周囲からどんなに『君は優秀だ』『できている』『頑張っている』なんて言われても、納得なんてできないんだ。
ほしいのは自分自身が納得のできる結果。
いまのボクが彼女にしてあげられるのは、ルーティの時と同じく聞いてあげること、そしていつか力になるかもしれない言葉を残していくことだけ。
「王都に残ってなにをするの?」
努めて落ち着いた口調を意識し問いかける。
「力をつけたいんです。魔法魔術関連の様々な知識が集まる王都で、勉強したい。人としても職人としても成長したいんです!」
感情がたかってきたのか、目から涙が溢れさせ叫ぶ。ボクの服の袖を掴み、顔を胸に押しつけてくる。その姿はいまにも崩れてしまいそうで、ボクはすべてからマオを護るように、でも壊してしまわないように、彼女をそっと抱きしめる。
「アタシもトリス様について行きたい! でも、いまのアタシじゃシィーさんやクロのように、トリス様のお力にはなれません」
服の袖を掴む力が強くなる。
「トリス様もふたりも、アタシを足手まといなんて思ったりしないことはわかっているんです。でもアタシ自身が納得できない」
少しでも彼女が落ちつければと、彼女の背中をなでる。
「トリス様が療養されている間に、魔動車の駆動魔術陣が完成したんです。細かい箇所の修正や調整は必要みたいでしたけど、概ね成功だってカウティベリオさんは喜んでくれました。でも、あれも基本となる魔術陣ができていたから順調にできたんです。一からだったらきっと出来なかった。アタシには全般的な魔法魔術の知識が足りないんです」
ボクの事件で生まれた思いが、さらに後押しされたってことなのかな。
「アタシの知識不足をエア様は気づいていたみたいで、声をかけてくださったのです。王都に残って、ギルドの特別研究員として魔法魔術を一から勉強してみないかって。住むところなんかも用意するからと」
エアおば様か。本人の魔法士や魔導師としての評価も高い人なのだけれど、一番優れているのは人を見る目だと父さんが口にしていたのを聞いたことがある。
いまの魔法魔術ギルドが過去をさかのぼっても一番勢いがあると言われているのも、エアおば様がギルド長になってからのことらしい。
そのおば様が声をかけたってことは、やっぱりマオの才能って相当なものなのだろうな。
「その時はまだ母さんとエル姉さんが無事なことは知らなかったので、受けられないと思ったんですけど、それでも迷っちゃって。いまは返事を待ってもらってるんです」
マオが顔あげて涙顔のまま笑った。
「でもエル姉さんからの連絡でひとつやることが減りました。これで勉強を終えたらすぐにトリス様を追いかけられますよ。どこにいてもすぐに、すぐに追いつきますからね!」
彼女につられるように、ボクの顔も自然に綻ぶ。
「まあ、いつかは王都に戻ってくることになるとは思うのだけど」
「え? 世界樹の後はドラゴンですよね。この大陸でドラゴンの目撃なんて聞いたことないから他の大陸に渡りますよね? 見つけるだけでもお時間かかるんじゃないんですか?」
「え⁉ 表紙にドラゴンの皮を使うのも確定なの⁉」
さらりと発せられたマオの言葉にボクは言葉を失う。
そんなボクの反応に驚いたのか、マオは黙って目を丸くする。
部屋に広がった沈黙を破ったのは、ボクらふたりの笑い声。
「わかった。マオの決めたことなんだから、ボクも応援する。けど無理をしてはダメだよ。ボクの、クロが住む魔導書になるにはマオの力が必要なんだからね。元気でいてもらわないと」
「はい! でもトリス様もですよ。お願いですからご自分を囮にするようなことは、今回限りにしてください。トリス様の夢はもうトリス様だけの夢じゃないんですからね! クロにとってもアタシにとっても大事な夢なんです」
『ボクだけの夢じゃない』。この言葉がすごくうれしい。
「勉強をいくらしても、実際に仕事をこなさないと技術的には上がらないと思いますので、王都で職人ギルドにも登録できるように取り組むつもりです」
「そうだね。それがいいかも。ああ、そうだ。ボクも気をつけるけどマオも困った時は周りの人にも頼るんだよ。いいね? エアおば様やカウティベリオ君はもちろん助けてくれるだろうし、姉さんにはオルバンと連絡をとるように伝えておくから、ボクの実家にも頼っていいんだからね。それから―――」
「もう! トリス様はすぐそうやってアタシの世話を焼こうとするんですから! 次に会う時は、絶対アタシがお世話するんですからね!」
「え、なにその宣言⁉」
部屋がまた笑い声でいっぱいになる。
いま胸の外と内で感じている温もりを忘れないようにしよう。
翌朝、クロと先輩にもマオの決断を伝える。
ふたりとも少し寂しそうではあったけれど、最終的には笑顔で彼女の意思を尊重してくれた。
そして出発の日を迎える。
「ミゴンさん、申し訳ありません。父が無理を言ったみたいで」
王都ブルカンの北門を抜け、北の軍事都市ダヤンへと続く街道を歩きながら、ボクの左隣を歩くミゴンさんに声をかける。ちなみに右隣はもちろん先輩とクロだ。
「いやなに、リュエルには長くいたからな。そろそろ別の国に行こうと思っていたんだ。この国の場合、入国より出国許可を得る方がたいへんだから、今回のラブリース候からの依頼は丁度よかったって話さ」
だから気にするなと、ボクの肩を軽くたたくミゴンさんを頼もしく思いながら、ボクは昨日のことを思い出す。
家族揃っての最後の晩餐を終え、ボクはあらためて今回の滞在への礼を言おうと父さんの部屋を訪ねた。
来ることを予測していた父さんから、とんでもないことが告げられる。餞別代りにとボクの旅に同行する腕利きの冒険者を雇ったというのだ。
さすがに本人に相談もないというのは酷いとも思ったのだが、背を向けられて『親のわがままだ。許せ』と言われては、なにもかえせない。
ボクが拉致された時、いったいどれだけの心労を父さんに与えたのだろうか。正直、想像がつかない。ボクが本邸で療養しているあいだ、いそがしかっただろうに、毎日様子を見にきていたからね。もしかしたら、本当はボクの旅をとめたいとも思っていたのかもしれない。
「でも、あの三人のことも、もう少し鍛えたかったんじゃないのですか?」
北門で見送ってくれた三人の顔を思い浮かべる。結局、共に依頼をこなせたのは、復帰してからの一週間だけになってしまったが、助けられたことをぬきにしても、彼女たちに出会えたのは決して無駄なことではなかった。
「面白い連中だからな。どう成長するか楽しみではあったが、アイツらが今後も冒険者をやるなら、またどっかで会うこともあるだろうさ。とりあえず、王都を出てガーバートに行くことは決めさせたからな。アミナへの手紙は持たせた。アイツも面倒見がいいから、心配はいらんだろう」
ああ、そうか。アミナさんはすでにガーバートで新設された冒険者ギルドの支部長に就任しているんだものね。
「という訳で、俺はこっちの仕事に専念できるから、お前が気にすることはなにもない」
「そうだぜ、トリス。契約は半年なんだろ。その間にしっかりと鍛えてもらえ。そうだ、ミゴン。ついでにシィーも冒険者として鍛えてやってくれよ」
先輩の胸ポケットからクロが依頼する。
そう。この旅はいつまで続くかわからない。だからラブリース家からギルドへの依頼は半年間という期限付きだ。いったいどれだけの額が払われたのだろうか? S級冒険者を半年間拘束する。少なくともボク個人に払えるような額でないのは間違いないね。
申し訳ない気持ちは拭えないけど、せっかくの機会だもの。経験が豊富な彼からしっかりと学ばせてもらわなきゃ。
「ああ。任せておけ。とくにシィーには食べられる物と食べられない物をきっちりと教え込んでやるからな」
「食べ物限定⁉」
「当たり前だ。お前がいろんなことを覚えられるなんて思わないし、お前に闘い方を指導できるような化け物が世の中にいると思うな」
「なんか私の扱いひどくない⁉」
「いや、普通だろ」
クロに止めを刺され、先輩ががっくりとうなだれる。
申し訳ないがボクには笑みを浮かべることしかできない。
「あれ? なんか暗くなった?」
先輩がすぐに顔をあげ周囲を見回す。
身体能力が高い先輩は周囲の気候の変化にも敏感だ。
ボクとミゴンさんは周囲を警戒する。
「おい、なんだありゃあ?」
後方を振りかえったミゴンさんが、旅立ったばかりの王都上空を指さしている。
ボクたちが王都を出たのは朝。その時は快晴で、まだ一時間もたっていない。
だというのに、なんと王都の空が闇に包まれていた。
その異常ともいえる光景に、僕らが王都へと駆け戻ろうとした時、空気を裂くような音が聞こえたかと思うと、続けて大きな破裂音が響き渡り、闇一面に光の華が咲いた。
一度だけじゃない。続けて何度も何度も。
「うわー、綺麗だね~」
「花火だな。リュエルに火薬の技術があるとは聞いてなかったが」
「ああ、オレもじっちゃんから名前は聞いたことあっけど、見るのは初めてだな」
方角的には……魔法魔術ギルドか。
ミゴンさんが言うように、リュエル魔導王国では魔法魔術技術が突出して発展しているせいか、魔力以外を動力とした技術はあまり発展していない。クロ同様、ボクも知識としては持っていても、実際に見るのは初めてだ。
そういった未知の技術を魔法でいとも簡単に再現できるのは、魔導王国広しといえどただ一人。
「姉さんだね」
「ホント、とんでもねえな。あの姉ちゃん」
「さすが巫女様。規格外だな」
「すっごいね~。会いたかったな~。トリス君のお姉さん」
残念がる先輩に、ボクも心から同意しうなずく。
「ええ。ボクも引き合わせたかったですよ。先輩と姉さんなら、とても気があったでしょうから」
「むー。どこかにこれよりもっと強いのないかな」
魔力霧散の腕輪をはめた左腕を、物足りなさそうにブンブンと振り回す。
「あんまり強すぎると、今度はオレがそばにいれなくなるけどな」
「それはダメ!」
先輩が力強くクロを抱きしめる。
「イテエ! 薄いけど魔闘衣張れるようになってやがる! なんだ、故障か⁉」
先輩は無意識な時の方が、腕力も魔力も発揮されるからね。ボクの魔糸は相変わらず近づけただけだ消されちゃうから、効力に問題が起きたとかではないみたい。
「それにしても、ずいぶんと派手な
先輩とクロに向けていた笑顔の矛先をボクにかえ、ミゴンさんが真剣な口調で言う。
「ええ。そうですね。追いかけようとしてくれる人もいますから。その人が、追いかけてよかったって思えるように、歩み続けていきたいと思います」
きっと、花火の魔法を撃ち上げ続けている姉さんの隣には、学生時代からボクの背中を押し続けてくれている友と、ボクの夢を自分の夢でもあるのだと言ってくれた大事な人がいる。
皆の想いに応えたい。それに……。
「魔導書に関して新たな目標もできましたしね」
「おう。アレだな。魔法や魔力に苦しんでるヤツも救いたいってやつ」
クロの言葉に微笑むことで応え、ダヤンに向けて歩み始める。
先輩の命の危険にも関わるような症状。ルーティの魔力による身体への影響。謎のゴーレムという魔術技術に巻き込まれた人々。
これまでまったくと言っていいほど目をむけてこなかった、魔力や魔法魔術によって苦しむ人々の姿。
自分のように魔力の少ない人でも、魔力を利用してなにかができるようになればと、魔法魔術技術の光の側面だけを考えてきた。けれどボクの理想とする魔導書は、きっと魔法魔術や魔力によって苦しむ人がいるという闇の部分についても触れなければ完成しないと思う。
魔法に憧れ続けてきたボクには苦しい道かもしれない。それでも、ボクに歩みを止める意思はない。
ボクは立ちどまりひとり花火舞うブルカンを振りかえり、深く頭をさげる。
再び前へと向きなおったボクを、待ってくれていた頼もしき仲間たちが暖かく迎えてくれた。
さあ、魔導書作成の旅を、夢への旅を始めよう。
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