トリストファー救出隊(後編)
初めて見る宗教都市の街並みは、とても清潔感にあふれ美しかった。ほぼすべての建物が磨きあげられた白い石造りで、陽光を一身に浴びてミゴンさんの頭のようにキラキラと輝ている。道路にはゴミひとつ落ちておらず、色とりどりの石が用いられた石畳が、ここからでも尖塔が見える大聖堂まで綺麗に敷き詰められているそうだ。
王都を華やかとするなら、こちらは麗しいだろうか?
アタシは隣を歩く自称弟子に小声でたずねる。
「えっと、トリス様をさらわせたのが魔法神教団ということは、トリス様を誘い出すために冒険者ギルドに依頼を出したということですか?」
「いや、少なくともミゴン殿はそうはお考えではないようですな。組織が一枚岩ではないと仰っていたことから考慮するに、依頼を出した派閥と拉致をさせた派閥が別々に存在しているとお考えのようだ。ただそのどちらもパトリ様になんらかの思惑があっての行動だとは思いますので、現在の教団の中心勢力とも別となりましょうかな」
「その中心ってのは姉ちゃんに興味ねえってことか?」
アタシの胸ポケットからクロが質問を飛ばす。自然にアタシたちの目が、先頭で上機嫌にミゴンさんの綺麗な後頭部をペチペチとたたいているパトリ様にむく。
たぶん、またうまくのせられているのだろう。彼女の頭の中では、もうトリス様の救出は成功したようなものなのかもしれない。はっきり言ってアタシには不安しかないのだが。
「それはないですな。不干渉の立場をとるとしているだけでしょう。所属してもらえるなら所属してほしいとは思っていますよ、きっと。王都で魔力感知の魔法を使えば、どこにいたとしても居場所がわかってしまう抑えきれぬ魔力量、遠くから見るだけであれば美しい外見。王都民だけではなく王国民にとって、パトリ様は尊敬と羨望を集める存在。彼女を迎え入れ、組織の象徴として担ぎたい組織は山のようにあります」
「でも味方に引き入れようとしてねえんだろ?」
「ええ。本人の力、世界への影響力。ともに強すぎる。もともと権力を持つ集団に組みこめば、それこそ世界中から危険視されることは想像にかたくありません。そこで国王陛下、魔法神教団教皇様、ラブリース侯爵の三名が協議の結果、民間の組織である魔法魔術ギルドにあずけたとうかがっております。そのギルドでも魔法魔術ギルド特級名誉研究指導教授などという意味のない役職名を与えて、怠惰な生活を送らせていますしな」
「そうなんですね。じゃあカウティベリオさんがついた魔法魔術ギルド特級名誉研究指導教授補佐っていう役職は……」
カウティベリオが苦々しげにうなずく。
「出世でもなんでもありません。たんなる子守です」
「うわー。お前も苦労してんなあ。心から同情するぜ」
「うう。ありがとうございます。クロガラ様」
二人がまた友情を深めているあいだに、ついにこの宗教都市デゼルトの象徴である魔法神大聖堂の全貌が見えてきた。
「すっごい、綺麗」
我ながら芸のない感想だと思うが、そうとしか言いようがない。
派手な造りをしているわけでも、王城のような重厚感を持っているわけでもない。
遠くからでも見えた天を貫くかのようにまっすぐにのびた尖塔。清潔感しか感じない白壁。ひらくだけでも苦労しそうな人の背丈の何倍もある大きな両開きの扉。見事すぎて、装飾された言葉なんて吹き飛んでいく。
「私もそう思いますよ。これまで私が見てきた建造物のなかで、五本の指にはいる美しさだと思っています」
ミゴンさんが魔導王国が不慣れなアタシにもわかるように笑顔で説明してくれる。観光案内のおじさんみたいだ。
「あ。ミゴンさん。カレジっすよ」
ギルドを出た所で合流し、ミセリと一緒に最後尾を歩いていたベルファリアが大聖堂の入り口の脇を指さす。
アタシたちがそちらに目をむけると、そこにいたツンツン頭の男の子、若手冒険者の最後の一人であるカレジもこちらに気づき駆けよってくる。
「まだ出てきていないのだな?」
「はい。中に入って15分くらいですかね」
「ふむ。誰に報告しにいったかにもよるが、報告にきただけならそろそろ出てくるころか」
ミゴンさんの言葉を認めるかのように、扉の片側がほんの少しひきあけられ、隙間から小柄ですばしっこそうなおじさんがでてくる。
おじさんはアタシたちというか、パトリ様を見つけるとぎょっとしたように目を見ひらいたが、すぐになにごともなかったかのように無表情になるとアタシたちの横を通りぬけようとする。
その男の肩をミゴンさんが掴んだ。
「な、なにしやがる!」
男は彼をにらみつけるが、声がうわずっている。
「お前はどっちだ?」
ミゴンさんが顔を大聖堂にむけたまま、これまでとは違う低い声を男にぶつける。
息を呑んだ男の喉がゴクリと動く。
「どっちてなんだよ?」
「依頼した側か、依頼を利用した側か」
「なんのことか、いてぇ! は、放せこの野郎! お前よその国の冒険者だろう⁉ 魔導王国でデカい顔できると思ってんのか!」
余程強い力で掴まれているのか、男が顔をゆがめながら彼の手をひきはがそうとするがびくともしない。
「S級のミゴンだ。文句があるのならいつでも来い」
「こ、光明のミゴン!」
ミゴンさんの二つ名を聞いて、アタシは吹き出しそうになったがなんとか耐えた。それでも、どうしても彼の頭に目がいく。
「それでお前はどっちだ?」
「い、依頼した側」
「そうか。小遣い稼ぎかなにかはしらんが、ギルドの情報を売り渡すのはほどほどにしておけ」
「わ、わかった」
怯えた様子でうなずく男をミゴンさんは解放する。
彼は痛そうに肩をさすりながら、アタシたちを大きく迂回するようにしてたちさった。
「さて、行きましょうか」
「いよいよ、悪の巣窟に突入ね。待っててね、トリスちゃん」
力拳を作ったパトリ様がミゴンさんに続く。ここまでの話を聞くかぎり、ここにはいないと思ったけど、アタシも黙って続いた。
入り口から真っ直ぐに奥へと進む。通路の左右には長椅子がずらりと並べられていて、信者らしきお爺さんお婆さんが祈りを捧げている姿がちらほら。
広間の一番奥に、魔法神オルターを象ったと思われる像があり、その前に高級そうな装飾の施された白い司祭服に身を包んだお爺さんが立っていた。
「魔法神の巫女が勝手に王都を出るとは。まさかあなた自身に課せられた制約を忘れたわけではありますまいな」
お爺さんがパトリ様をジロリとねめつける。
彼女を見ても驚いていないところを見ると、さっきの人が会いにきたのってこの人かも。
「勝手じゃないよ。パパも陛下もエアちゃんもいいよって言ってくれてるもの」
「教皇様よりそのようなお話はうかがっておらぬ」
「緊急時の場合は、制約書に名前を連ねる方四名の内二名が許可を出せば良いとなっております。許可証はこちらに」
ミゴンさんが懐からなにかを取り出そうとするが、お爺さんが手で押しとどめる。
「緊急であればな。だが緊急である証拠などあるまい。現にこの私の耳には魔法神の巫女が王都を出ねばならぬほどの案件は届いておらぬ」
「ふざけないでよ、クソジジイ! トリス君がさらわれたなんて世界を揺るがす大事件じゃないのよ!」
「クソジジイ!」
パトリ様の暴言にお爺さんが顔を真っ赤にする。ああ、なんか話がこじれそう。
お爺さんが怒りにまかせて、なにか口走ろうとした矢先、右奥に見えた奥へと続く通路から、凛とした声が二人の言いいに割りこんできた。
「お控えください、大司教様。魔法神の巫女様に失礼でございます」
いやどちらかと言うとパトリ様の方が……。
「ブスカ、なに用だ! いまは私が巫女と話しておるのだぞ!」
ブスカと呼ばれた地味な司祭服を着た若い男性は、大司教様らしいお爺さんに汚物を見るような目をむけられたが、まったく気にとめた様子はなく、先と同じ凛とした声を放つ。
「教皇様が皆様をお呼びです。教皇様も巫女様の此度の王都よりの外出、お認めになるとのことです。これで文句はございますまい」
そう言って嫌みたっぷりに微笑んでみせる。うわー、もしかしてこれが派閥争いってヤツ?
忌々しげに舌打ちをした大司教様は、もう一度パトリ様をにらみつけるとクルリと背をむけ、オルター像に祈りを捧げ始める。
ブスカさんはそんな彼には目もくれず、アタシたちにむかって頭をさげた。
「お待たせいたしました。教皇様が皆様に特別にお会いになられます。ご案内いたしますので、どうぞついてきてくださいませ」
特別を強調して、通路の先へと招いてくる。
貼りついている笑顔が、どうにも好きになれない。
「クロ、匂わない?」
胸ポケットのクロにこっそりたずねる。
「ん~。悪いこと考えてる匂いじゃねえ。でも優しい匂いって感じでもねえな。あとトリスの匂いもしねえ。さらったヤツの中に転移魔法が使えるヤツがいても、ここにはいないっぽいな」
ああ、そうか。なにもパトリ様だけが転移魔法使えるわけじゃないものね。
「ねえ、クロガラ先生。転移魔法って行きたいと思えばどこにでも行けるの?」
「あの姉ちゃんは魔力結界で遮られてさえいなければ行けるみたいだな。普通は本人が強くイメージできる場所だから、目に見える距離とか、本人が行ったことあって、思い入れのある場所とかだ」
「やっぱりパトリ様っていろいろ特別なんだね」
「たぶん感覚でやってんだろうけど、やってることはトリス並みに器用だな。行きたい場所の方角に魔力飛ばして、そこの大気中の魔力捕まえた上で転移魔法使ってんだ。まず魔力で道を作ってるわけだな。そこまで飛ばせる魔力があるのもとんでもねえが、それを考えてやってるんじゃねえってのがもっととんでもねえ。間違いなく天才ってやつだろうぜ」
呆れたように鼻をならす。
でもパトリ様のスゴい話を聞けば聞くほど、トリス様への尊敬の念が強まる。
あの方は自身が魔法を使えない上に、そんなデタラメな人が身近にいても、魔法に関して諦めなかったんだ。前をむいて歩いているんだ。アタシなんて女に生まれたってだけで、魔術付与職人になるのを諦めたというのに……。ラオブでは男性の仕事だったからさ。
いけない、いけない。いまはそんなことを考えている場合じゃなかった。絶対にトリス様を助ける。トリス様の作る伝説の魔導書をクロの住居にするための魔術陣を付与して、伝説の魔術付与職人になるんだ! トリス様の隣に並ぶんだ!
「こちらです。重ねて申し上げますが、失礼のないように」
中庭らしきひらけた場所の手前で立ちどまり、脇によけて先に進むよううながしてくる。
ここに魔法神教団で一番偉い人がいるのか。
さすがに緊張してきたアタシだったが、アタシが中庭に足を踏み入れる前にパトリ様が実に緊張感のない声をあげた。
「あー、コンお爺ちゃんだ。お久しぶり~。元気してた? トリスちゃん知らない?」
これまで胡散臭い微笑みを浮かべ続けていたブスカさんの顔色が変わる。
「あなたは!」
「控えなさい、ブスカ。パトリちゃんは私の大切な友人。無礼は許しませんよ」
とても穏やかでありながら、有無を言わさぬ圧力を感じる声が、いまにもパトリ様に掴みかからんとしていたブスカさんの足をとめさせる。
「しかし!」
「下がりなさい」
さっきの大司教様みたく、悔しそうに後ろに下がる。
もっともあのままでもパトリ様には届かなかったろう。さっきまでアタシの手前にいたカウティベリオが、まるで予測していたかのように、あいだに割りこんでいたから。
意外にやるもんだなと、少しだけ見なおす。
「ささ。パトリちゃんもみなさんもこちらにおいでなさい。魔力でパトリちゃんが来たことはわかったけれど、事情がわからないのでね。説明してもらえるかな」
中庭の木陰に設置されているベンチに腰をおろしていらっしゃる光沢のある司祭服を着たお爺さん、このかたが教皇様なのだろう。彼のもとへとパトリ様を先頭に歩みよる。そばにきたところで、ミゴンさんと自称弟子がすぐさま片膝をつきこうべを垂れた。慌ててアタシと若手冒険者三人もそれにならう。
パトリ様は教皇様に誘われるまま、隣に腰をおろした。
「おや? もしかして、そちらのお綺麗なお嬢さんのポケットから顔を出されているのはイディオグリモリオの守護霊獣をされていたクロガラ様でございますかな?」
「おう。よろしくな爺さん」
クロの存在に気づいた教皇様の言葉に、クロが気軽に挨拶する。
やめて! アタシの胸から偉い人に気安く話しかけるのはやめて!
耐えられそうもなかったアタシは、ポケットから魔力板を取り出して教皇様に差し出す。ミゴンさんが中継してくれ、クロが教皇様の膝の上におさまる。
「これはたいへん光栄ですな。私、この教団で教皇という役目を任されておりますコンシリア―トルともうします。どうぞコンとお呼びください。以後お見知りおきを」
「おう。よろしくな、コン。お前は陽だまりみたいないい匂いがするな」
「光栄です。さて確かクロガラ様は、いまはトリス君とともに生活していらっしゃるとうかがっておりましたな。ということは、パトリちゃんは彼を探しているということかな?」
「そうなの! トリスちゃんがさらわれちゃったの!」
「オレら、いま手がかりを探してんだ。なんか心当たりねえかな」
「うんうん。たいへんなことになっているようだね。そこのあなた。君がこの集団の中心だね。説明をお願いできるかな」
教皇様がミゴンさんに話しかける。彼は恭しく一礼すると、懐から書簡を取り出す。
「承知いたしました。まずはこちらを。今回のパトリ様の王都外への外出を認める国王陛下、侯爵閣下、魔法魔術ギルド長の連名の許可証となります」
「ありがとう。パトリちゃんは大事な約束をきちんと守れる子だからね。そこは心配していなかったけれど」
教皇様は書簡をうけとられると、中身を一瞥だけして、またミゴンさんへと書簡を返した。
彼が書簡を懐へと戻し、それではと今回のトリス様拉致事件を教皇様に説明する。
全てを聞き終えた教皇様は、しばし目をとじてなにかを考えていらっしゃるようだった。
「ブスカ」
離れた位置で立っていたブスカさんを呼ぶ。
「確かファーナー枢機卿の姿を最近見かけないということだったが、戻ってきたかね?」
「いえ。まだお戻りになられていないようです」
「フム。そうか。これは調べた方が良いかもしれぬな。……ミゴン殿」
「ハッ!」
緊張した面持ちで顔をあげる。
「こちらの内情にも関わることゆえ、詳しいことは省かせてもらうが、この教団で枢機卿を任せている者の中にひとり、オルター様の教えを広めるのに少しばかり熱心すぎる者がおりましてな。その者の姿が最近デゼルトより消えておるのです。あなたはここより北、王都の東のレグラ山はわかりますな?」
「はい。存じあげております」
「そこに修道院がある。院長を務める者がその枢機卿に心酔しておりましてな。彼もよくその修道院に足を伸ばすことがあるらしい。教団から人を拉致するような輩がでるとは考えたくもないが、疑いの目は摘まねばなるまいて。内部にかんしては私の名をもって調べさせるゆえ、みなさんはそちらを探してはどうかな?」
言いつつクロの魔力板をミゴンさんに渡す。
恭しくうけとると、ミゴンさんは地面にその綺麗な頭をこすりつけるように頭をさげる。
「ご助言ありがたく」
教皇様が満足気にうなずく。
「さてパトリちゃん。修道院に直接飛んでは、もし違ったときに侯爵の立場がないからね。まずは麓にあるオルデンの街に飛ぶといい。君ならいけるね?」
「うん、大丈夫! ありがとう、コンお爺ちゃん。大好き!」
そう言って教皇様に抱きつく。
「ホッホッホ。この程度でパトリちゃんの抱擁がうけられるとは。役得、役得」
満足そうな教皇様を解放し立ちあがったパトリ様が、膝をついたままのアタシたちの中心にやってくる。
「それじゃあ、私。トリスちゃんを助けてくるから」
教皇様が優しく微笑まれる。
アタシたちがそろって頭をさげると、教皇様の声が耳に届く。
「……神はいったいどれだけの試練を彼にお与えになるのか? 主よ、あなたはいったい彼になにをさせようというのか……」
思わず呟いてしまったと思われるその言葉は、転移魔法で別の場所へと飛ばされたアタシの心に、なぜか深く刻みこまれていた。
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