事件発生報告

 アタシ、マオ・グノシィーはせきたてられる思いを全力で押さえながら、馬車の揺れに耐えていた。

 アタシの大切な御主君様であらせられるトリス様が、得体のしれない黒ずくめの連中に拉致されたとの連絡をうけたのは、魔法魔術ギルドにあるパトリ様のお部屋で、自称弟子とアタシが試作した魔動車駆動魔法陣のとりつけ及び試験計画を練っている最中。当然ながらアタシの普段着である作業着でだ。トリス様のご自宅だとお姫様みないな格好させられるから少し困る。

 夢中になりすぎていて、いつの間にか夜になっていたが、放置していた部屋の主パトリ様は特に退屈した様子も見せず、私も欲しいトリス様人形を抱いて、ソファーの上で幸せそうにゴロゴロしていた。

 そこにギルドの最高責任者であるエア・ファーレン様がノックもせずに飛び込んでくる。

 アタシはまだ二度しかお会いしていなかったが、ガーバート大図書館のレゾ館長に似た、かなり老獪ろうかいそうな印象のある女性。その彼女が、息せき切った様子を見せてくる。自然に緊張して唾をのみこむ

「どうしたの、エアちゃん? 顔が真っ青。もう老い先短いんだから無理しちゃ駄目よ」

「……パトリちゃん、落ち着いて聞いてちょうだい。いま冒険者ギルドから使者が来たのだけれど、トリス君が今日の任務先だったバグロームの森で、正体不明の集団に拉致されたらしいの」

 パトリ様が弾かれたように身を起こすと、エア様がすぐさま叫ぶ。

「飛んでもダメよ! もう半日近い時間が経ってる。いまから行っても誰もいないわ」

「うるさい! あの森全部燃やして炙り出してやる! トリスちゃんに手を出したこと後悔させてやる!」

 恐かった。これまでのんきな印象だったパトリ様が、世界が震えてしまいそうな怒気を全身から立ち昇らせ、物凄い形相でエア様をにらんでいる。

 これまでとの違いに、アタシはパトリ様をなだめることはもちろん、その場からまったく身動きがとれなくなってしまった。ただパトリ様が感情を露わにしてくれたおかげで、エア様の言葉の衝撃はやわらぐ。

 アタシの恩人でもあり敬愛するかたが拉致されたのだ。もしアタシ以上に取り乱してくれる人がいなかったら、なにを口走っていたかわからない。

「燃え盛る地獄の業火よ。荒ぶる我が心に応えよ。我が愛しきものを傷つけし愚かなる者に、アイターーーッ!」

 ソファーから立ちあがり、惨状しか想像できない詠唱を始めたパトリ様の頭に拳骨が落され、パトリ様がその場にうずくまる。

「馬鹿ですかアナタは! ああ馬鹿でしたな。トリストファーがよからぬ連中に掴まっている状態で迂闊なことをすれば、それこそヤツの命が危険にさらされます。それこそ犯人たちがまだトリストファーと森に残っていたとしたら、ヤツごと焼けてしまいますよ。少し考えなさい」

「はううう。じゃあ、どうしたらいいの?」

 痛そうに頭を押さえたパトリ様が、恨めしげに拳を振りおろした張本人である自称弟子を見あげる。

「考えろと言っているのに……。まあいい。はっきり言ってトリストファー自身には拉致するような価値はありません」

 アタシこの人やっぱり嫌い。トリス様は存在そのものが稀少なんだからね!

「詳しい状況はわかりませんが、拉致という言葉を使っていることと森の中であったのに半日程度で騒ぎになるということは、パーティーの誰かが戻って来たか、目撃者がいるということなのでしょう」

「ご明察。トリスくんが他のパーティーメンバーを逃がしたそうよ」

「フム。駆け出しの冒険者を逃がすような者たちであれば、あの小賢しい男なら充分に対応できたはず。わざと逃がされたと考えるのが妥当です。つまりその者たちにはトリストファーを捕まえたことを知らせたい相手がいる。ヤツを拉致することでおびきだせるのはふたつの大きな存在があります。ひとつはサイファーの魔導書に関わる者たち、もう一つはラブリース家。拉致していることをおおやけにすることで、逆にふたつの勢力にこちらから連絡するまで動くなよと警告をしていると判断すべきです」

「私も同感よ。だからパトリちゃん、トリス君を生きた状態で助けたいのなら、ひとりで勝手に動いちゃダメ。ラブリース侯爵にも連絡がいったそうだから、この件に関してはラブリース侯爵が指揮することになるでしょう。お父様の指示に従うのがトリス君を無事に助ける一番の方法よ。わかった?」

「……はい」

 不承不承といった感じではあったが、パトリ様がうなずいた。

 エア様はほっとした様子でひとつ息を吐き、自称弟子にむきなおる。

「それでカウティベリオ君。申し訳ないのだけれどお願いがあるの。相手の目的がパトリちゃんにあるかもしれないから、ウチも冒険者ギルドと連携してラブリース侯爵にご協力することにしたのよ。トリス君のこともパトリちゃんのことも、私をのぞけばあなたが一番わかっていると思うわ。あとでメンバーを選出するからあなたが指揮をとってくれないかしら?」

「仕方ありませんな。承知いたしました。しかし冒険者ギルドも動くのですか。確か依頼中に起きた冒険者の怪我などは冒険者自身に責任があるとされ、ギルドは関与しないと聞いたことがありましたが」

「本来ならね。でも今回は違うらしいの。私もさっきちょこっと聞いただけなんだけど、今回の依頼の受注に問題があったようで、トリス君からギルドに苦情をいれたようなのよ。ギルドもそれを認めたのだけれど、今回だけギルドの顔をたてて依頼を受けたのですって」

 うわー。なんかトリス様らしい理由だ。

「なるほど。責任はギルドにもあるということですか。わかりました。パトリ様、師匠。おふたりはとりあえず侯爵家にお戻りになったほうがいい。犯人の目的がなんであるにしろ、接触してくるとしたら侯爵家になるでしょうから」

「うん、わかった。マオちゃん」

 立ちあがったパトリ様が私にむかって両腕をひろあげる。

「はい。失礼します」

 ひと言断ってからアタシはパトリ様に飛び込むようにして抱きつく。

 すると景色がギルドの部屋から、侯爵家の玄関の間に一瞬でかわった。

「おお。お嬢様、マオ様。お帰りになられましたか。トリス坊ちゃまの件は……」

 待機していたらしいオルバンさんがすぐさま話しかけてくる。

「うん。聞いた」

「おお。よくぞ我慢なさいましたね。わたしめはお嬢様が暴走しているのではと気が気でございませんでした」

「カーちゃんとエアちゃんがね、トリスちゃんを助けたかったら、お父様の指示に従いなさいって」

「おお。リーベルタース子爵の御子息様とギルド長に心からの感謝を」

 オルバンさんは胸をなでおろした様子だったが、アタシの方はそうはいかない。トリス様拉致の衝撃がおさまったいま、オルバンさんの暴走という言葉にパトリ様以外の顔が浮かんできたからだ。

 パトリ様からはなれ、オルバンさんにたずねる。

「オルバンさん。もしかして、このこと別荘のふたりにも連絡しましたか」

「もちろんでございます。トリス様のお連れ様に隠しておくことはできませんので、通話魔術具で別荘の責任者を任せている者に、こちらで必ずお救いする旨もふくめお伝えするするように指示をだしております」

 まずい。クロはともかくシィーさんが。

 シィーさんは王都について倒れてから迷惑ばかりかけていると、このあいだ別荘に様子を見にいったさいに寂しそうに言っていた。今回のトリス様のことを伝えたら、自分がそばにいなかったせいだと思いこみかねない。

 クロなら落ちつかせようとしてくれるだろうけど、今回は耳を貸さないかもしれない。

「すいません。もう一度連絡して、シィーさんが飛びだそうとしていないか確認してください。取り乱していたらたいへんなことになります」

「御安心くださいませ。あちらには医師もいれば、もしもの時に備え、屈強な兵士もそろえております」

 ダメだ。オルバンさんはシィーさんのすごさを目にしていない。

「パトリ様は本気になったら魔法でこの屋敷くらいかるく吹き飛ばせますよね?」

「そうですな。想像はしたくありませんが、お嬢様ならできるでしょう」

「シィーさんは体ひとつで、同じことができる人なんです。クロの言葉が届いていたらいいですけど、届かずに暴れていたらとめられるのはアタシだけです! いますぐ向かわなきゃ!」

 オルバンさんが目を丸くする。

「ご冗談……ではなさそうですな。わかりました確認いたします。モデスト、念のためジャンに馬車を用意するように伝えよ。急ぐようにとな」

 近くの使用人さんの一人にそう声をかけ、自身は玄関の間手前にある小部屋へと入っていく。

 それから少しして、オルバンさんが慌てて小部屋からでてきた。

「マオ様、いますぐご出立を!」

「はい!」

 こうして現在にいたるである。

 馬車に揺られながら、気持ちばかりが焦る。

 パトリ様のお力をお借りできればすぐだったのだけど、パトリ様をシィーさんに近づけさせることはできないし、転移魔法で侯爵家領内にまで馬車ごと送ってもらうのも、いまのパトリ様の精神状態では不安があった。オルバンさんも同意見だったからすぐにこうして馬車を用意してくれたのだろう。

「マオ殿。ご心配めされるな。我々ラブリース護衛騎士団は、リュエル魔導王国の貴族騎士団の中でも最強。どんな魔獣がでようと必ずお守りいたします」

「左様。別邸も間もなく見えて参ります。あちらにも十名常駐しておりますので、シャンティー様になにがあろうとも対応できるでしょう」

 夜の街道を走らせるため、オルバンさんがもしものためにと同乗させてくれた二人の騎士様が、安心させようと微笑みながら言ってくれる。でも残念ながらアタシの焦燥感は消えない。

 街道の魔獣は任せられても、あちらは怪獣だ。強さの桁がちがう。あの大怪獣が本気で暴れていたら、力づくでとめられるのはパトリ様だけだろう。

 それでもアタシならきっと止められる。

 あの大怪獣は、ある意味トリス様以上に優しい。ただ心と肉体の釣りあいがとれていないだけなんだ。

 本当は暴れているかもしれないシィーさんの前にたつのは恐い。一度殺されかけているしね。それでもあの人の優しさは、あの人の力よりも信じることができる。きっといま暴れている理由も、とっても優しいものだから。

「なんだこりゃー!」

 外から御者さんの驚く声が聞こえてきたかと思うと、ゆっくりと馬車がとまった。

「どうした? なにがあった⁉」

「い、いえ。門の前に到着したんですが、敷地には入っていけやせん。すげぇー!」

 車内の灯りを外にもらさないよう窓にカーテンがかけられていたため、御者さんの言葉だけではまったく状況が伝わってこない。

 とはいえ、御者さんの感嘆の声は続いているから、外が危険ということはないだろう。

 これ以上馬車で進めないなら歩けばいい。玄関までは距離があるが、門からは一直線だし特に問題はない。

 騎士さんたちが先におり、それにアタシも続こうとする。

 だが馬車上から見えた光景に言葉をうしない、そのまま固まってしまった。

 街道と敷地を隔てる門から別荘の玄関まで続く真っ直ぐの道。

 その道は両脇に等間隔で設置された魔灯により、幼い頃に両親に連れて行ってもらった舞台の花道のように照らされている。

 でもそこに広がる光景は異様だった。門より数メートル入った所から別荘の玄関の辺りまで、三列にならんだ人の行列ができている。

 ざっと見ただけでも百人近くいるのじゃないだろうか。別荘で働いている騎士さんや使用人の人たちだけではない。老若男女織り交ざっているところから察するに、おそらくラブリース家を慕う近隣の領民たちも集まっているのだろう。

 並んでいる人たちはそれぞれ前にいる人の腰に、必死の形相でしがみついている。三列の先頭の人たちは、ひとりの女性……シィーさんにしがみついていた。

 シィーさんは前傾姿勢になりながらも、彼らを引きずりながら、一歩また一歩と門に近づいてくる。彼女の燃えるような赤髪が魔灯の光に照らされ、彼女の闘志を現すが如く美しく輝く。

「だーかーら! まだ相手の目的もわかってないんだから、探しようがねえって! いったん落ちついて連絡を待てって!」

「待てない! 私がそばにいなかったから、トリス君がさらわれちゃったんだもの! 草の根分けてでも私が見つけてあげなきゃ!」

「ダメだって! トリスの姉ちゃんもきっと探してる! お前がいったってまた倒れちまうだけだ! その腕輪でも姉ちゃんの魔力はどうしようもねえって聞いただろ!」

「それでもじっとなんてしてられない!」

 シィーさんとクロの会話に正気をとりもどしたアタシは、いまだ呆然と立ちつくす騎士様たちのあいだを駆けぬけ、両腕をめいっぱいひろげてシィーさんの前に立ちふさがる。

「ダメですよ、シィーさん」

 ふたりの顔がアタシにむけられた。

「マオちゃん!」

「来てくれたか、マオ!」

 シィーさんが驚きの、クロが安堵の声を上げる。

「マオちゃん、そこをどいて。私トリス君を助けにいかないといけないの!」

 さすがのシィーさんでも、これだけ多くの人をひきつれた状態では迂回できない。いやできそうな気もする。たぶんそれをやれば、使用人さんたちに大怪我をさせてしまうかもしれないと本能的に恐れているのだろう。

 アタシは勇気をふるいおこして脳裏にうかんできた、殺されかけた記憶を振りはらう。この人の力は恐い。でもこの人の力を一番恐れているのはアタシじゃない。この人自身だ。そしてそれは、この人の優しさに起因する。


「いいえ、どきません。さっきクロが言ったとおりです。いまシィーさんがトリス様を助けにいっても事態が悪化することはあっても、解決することはありません」

 シィーさんの顔がいまにも泣きだしそうなくらい歪む。胸が痛い。それでも言わなきゃ。

「ガーバートから王都につくまで、アタシたちはずっとシィーさんに助けられてきました。トリス様もですよ。シィーさんのおかげで安全に旅ができるんです」

 まぎれもない事実。アタシは感謝もこめて未来を語る。

「トリス様の旅はまだ続きます。シィーさんの力が必要なのはこれからなんですよ。いまは信じてください。アタシたちを。トリス様は必ずアタシたちが連れ戻します」

 アタシは手の届く位置にまできていたシィーさんの頭を抱きよせた。シィーさんにしがみついていた三人の使用人さんたちの腕が、安心したようにはなれていく。

「いまトリス様は、犯人たちのもとで耐えるという戦いを、おひとりでしていらっしゃいます。アタシたちが助けにくると信じて。シィーさんもひとりで耐えるという戦いをしてください。アタシたちを信じて待つという戦いを」

 言いながらシィーさんの胸ポケットからクロの宿る魔力板をぬきとる。

「そういうこった。トリスの捜索はオレが協力してくっからよ。お前は信じてまってろ」

 アレルギー症状を発症しているわけでもないだろうに、シィーさんは顔をグチャグチャにして、アタシに頭をあずけてくる。

「ゔん。わがっだ。ふだりどもドリスぐんのごどよろじぐね~」

「そもそもお前はひとりになるわけじゃないしな。うしろ見ろ。うしろ」

 クロの言葉をうけてアタシが頭をはなすと、シィーさんが不思議そうにうしろを振りかえる。途端に弾かれたように直立した。

「ご、ご、ご、ご、ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい!」

 力尽きぐったりと地面に転がる大行列に、シィーさんは何度も何度も頭をさげた。

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