ルートルメール・ラブリース

 一人自室に戻ったボクは、火照りっぱなしの身体を冷やしたくて、バルコニーに出て夜風をあびる。

 一緒に甥の顔を見ていたマオとは、甥の部屋の前で別れた。彼女は大広間で再開した時と同様に頬を赤く染めたまま、はにかみながら僕に「おやすみなさい」と告げてくれていたけれど、ボクはいったいどんな顔をして返事をしていたのだろう。なんとか「おやすみ」を言葉にできた自分を褒めてあげたいが、周りから見たら明らかに挙動不審だったんじゃないかな。

 はぁ。明日からどんな顔をして彼女に会えばいいのだろう?

 そこまで、考えて再び夜空にむかってため息をつく。

 王都に戻ってきてから、人の顔色ばっかり気にしている気がする。あー、ガーバートにいた時からそうだったかも。つまり王都を出た時となにもかわっていない。 

 やっぱり成長してないよね。クロがそばにいてくれていると、彼の前向きな性格のおかげで、ボクも前をむいて歩けているけれど、少し離れただけでこれだ。悪い面ばかりが顔をだしてくる。

 ボクが一人で落ち込んでいると、遠慮がちに四度扉を叩く音が聞こえる。

 まさかマオ!

 ……そんなわけないよね。今日の彼女は慣れていないモノづくしで疲れきっているだろうから、いまごろは夢のなかだろう。それに叩く音が聞こえた位置は、マオの叩くであろう位置よりも低い。この屋敷であの位置をたたく者はただひとり。

「どうぞ。入っておいで、ルートルメール。起きているから遠慮しなくていいよ」

そう呼びかけると、扉が少しだけ開きルートルメールがひょっこり顔を出す。

「おじたま、すごい。どしてルティわかたの?」

「うん。扉のたたく位置でね」

 ボクの言葉の意味が理解できなかったようで首をかしげたが、すぐに気にするのをやめたようで、扉を閉めるとボクへと歩みよってくる。やっぱり歩き方がぎこちない。顔色を見るかぎり、痛みはなさそうだけど。

 ボクからも彼女に歩みより、彼女を抱きかかえる。兄にもよくこうされるのか、慣れた様子でボクの首にその細い腕をまわしてきた。

 そのまま壁際のソファーへと運び座らせ、隣に腰を下ろす。

「それでどうかしたのかい?」

 彼女の柔らかい金色の髪を優しくなでながらたずねた。

 両足をゆらゆら揺らしながら、おずおずと言った様子でボクを見上げ口をひらく。

「あのね。おじたまもマホじょずに使えない、ホント?」

 も? ルートルメールも魔法が使えないってこと? あ、でも上手にって言ってるよね。まったく使えないわけではないのかな。

 彼女はまだ五歳。魔法を本格的に使うのは、もう少し大きくなってからが一般的なんだけど、彼女は上級貴族の子女だからね。事前に魔力の状態は確認されているはずだ。ボクと同じように。つまりは周りからそう判断されたということになるんだけど……。

「ごめんね、ルートルメール。少し調べさせてもらうよ」

 不思議そうな顔をむけてきたが、とくに嫌がる様子は見せずボクを見つめたままじっとしている。了解ではなくわかっていないだけなのだろうけど、魔力視認ができないなら口で説明しても理解するのは難しい。ボクは魔糸をだして彼女の魔力を探ってみる。

……魔力は人並み以上にあるね。ただ体内での流れが悪くなっている箇所がかなりある。とくに不自由そうにしている左足に多い。

 確かにこれでは安定した魔法の使用は無理だろう。ボクのように総魔力量が低いよりも稀な症状だ。魔力の流れが悪い人は、身体の方にも症状が現れることがあると聞いたことはあったけれど、これがそうだったんだね。

 長い魔導王国の歴史をもってしても、どうしてこうなってしまうのか判明できていない。治療方法や改善方法も。あるなら兄や父がほうっておくはずもないし。

 ボクの魔糸で流れが悪くなっている箇所だけ魔力拡散をすれば、その箇所に魔力が流れ込み、一瞬だけなら魔力の流れを良くすることはできるかもしれない。でもすぐに元に戻る。根本的な解決にはならない。

「おじさんは、生まれつき魔力が他の人より少なくてね。魔法を使うことができないんだよ」

 ルートルメールがコクンと頷く。

「そなんだ。ルティはね。まろくの流れ悪いんだて。マホ使うと、ルティけがするんだて」

 この状態だと魔法への魔力の供給が安定せず、弱まったり強まったりする可能性がある。魔法が霧散してしまうならまだいいけど、暴発はいただけない。本人はもちろん、周囲も巻きこんでしまいかねない。

「ルーティはやっぱり魔法を使いたいよね」

 距離をつめてくる彼女に、自然に呼び方が愛称に変わる。

「んー。あまり」

 あれ?

「そうなの?」

「うん」

 真っ直ぐにボクを見つめる瞳は、嘘をついていたり我慢しているようには見えなかった。

「みなね、使えなくてだいじょぶだよて、いてくれる。おとたまもおじじたまも、おかたまも、オルバじじもマリもエクスもジョバナもコジョもモデトも―――」

 延々と続く使用人たちの名前。その数は50人以上も続いた。

 もしかしてこの子、普段接さないはずの御者とか別荘管理の者とかの名前も全部覚えてるの⁉ ボクも記憶力は悪いほうじゃないけど、この子まだ五歳だよ?

 それだけじゃない。昼間に出会ったときは恥ずかしがり屋なんだろうと思っていたけど、この子みんなと会話してる。もちろん個人差はあるだろうけど。それでも武術の師匠に、部屋から無理やり引きずりだされるまでは引きこもりだったボクの子供時代とは、雲泥の差だよ。

「みーんな、いてくれた。あとね。あとね。きょね。おばたまとマオちゃも、使えなくてだいじょぶいてくれた。エヘヘ♪」

 眩しいくらいの笑顔を見せる。この子、強いね。

 ボクがそう感じたにも関わらず、ルートルメールの顔から笑顔が消えた。

「でもね。おかたまね。夜ね。お部屋、ひとり泣いてたの。ルティにマホ使わせたげたい、いてた。ルティ、マホ使えたら、おかたま夜お部屋ひとり笑えるでしょ? おじたま、使いかた知らない?」

 思わず天井を見あげた。目頭が熱くなって、まともに彼女をみれない。この子は自分のためじゃなくて、母親の、フェトリーザ様の笑顔のために魔法を使いたいと願っている。ボクとのあまりの違いに、胸が痛くなってきた。

「ごめんね、ルーティ。おじさんもどうすれば使えるか思いつかない」

 ボク自身の無能さに腹が立つ思いで言葉を絞りだす。

 魔法や魔術が難しくても、魔技ならあるいはと思う。ただ魔力の流れに問題があるから、魔糸や魔闘衣は難しい。いまのルーティの状態でも使えるものを考えてやる必要がある。それも一からだ。

 ボクが魔糸を考案し、使えるようになるのにかかった期間は八年。今回の王都滞在期間中にどうにかしてやることは、おそらくできないだろう。

 わかっている。ボクはみんなが言うような優しい人間じゃない。ボクは姪っ子の問題よりも自分の夢を優先しようとしている。それだけじゃない。仮に王都に残ったとしても、彼女に魔技を使えるようにしてあげられる自信なんてないんだ。

「でもね。ルーティなら、いまは無理でも大きくなったときに、良い方法が思いつくことができるかもしれない」

 いま彼女に残していってあげられるのは言葉だけ。希望を掴むための、その先に待つかもしれない絶望に抗うための、一掴みのわら程度にしかならない言葉だけ。

 意を決し、ずっとボクを見上げ続けている彼女に視線を戻す。

「いいかい。ルーティ。おじさんがこれから言うことは少し難しいと思う。だからいまはわからなくていい。ただ憶えていて欲しいんだ。ルーティが大きくなった時に顔をあげる力になると思うから」

 記憶力に優れる彼女なら、ボクの言葉をいつか力にかえられるかもしれない。藁程度だとしても、ボクは掴み続けた先に友をえた。もう一度夢にむかうための一筋の光を見た。

「ルーティがね。いまの願いごとをいつか叶えるためにやれることが……やらなければいけないことが四つあるんだ」

 右手の親指だけを曲げて彼女の前に示す。そして左手で人差し指から順に折りまげていく。

「ひとつは知ること。自分のことを、他者のことを、魔法のことを、ルーティの望みに関わる全てのことを知ろうとすること。二つ目は考えること。知りえたことをどう活かせば、ルーティの望みを叶えることができるかを考えるんだ。三つ目。行動すること。辛いかもしれない。苦しいかもしれない。それでも考えたことを行動しなければなにもかわらない。最後に、知る、考える、行動する。この三つをやり続けること。ほんの少しずつでもいい。諦めずにこれをやり続けることが、君の未来につながっている。お母さんの笑顔につながっている」

 ルーティが目を丸くしている。当然だよね。ボクだって彼女と同じ歳のときに同じことを言われたら、この人なにを言ってるんだろうってなるもの。

 それでも、いつか彼女の力になると信じて、ボクはこの言葉を残してあげていくことしかできない。

「ごめんね。やっぱり、ちょっと難しかったよね」

「ん~ん」

 驚いたことに、彼女は思いのほか強く首を横にふった。

 理解できたの? この子、天才?

「とーーーーーても、むずかちかた。エヘヘ♪」

 あまりの無邪気な笑みに、ボクは吹き出すのをこらえられなかった。

「そっか。とーーーーーっても難しかったか。そうだよね。ごめんね~」

 苦笑しつつ、この優しくも強い姪っ子の頭を、ボクは再びなでる。

 ルーティは心地よさそうにボクに頭をあずけ、目をとじた。

 しばらくして寝息が聞こえてくる。

 困った。これはどうしたらいいのだろう?

 使用人を呼ぶ? それともボク自身が部屋まで運んであげたほうがいいのかな?

 判断がつかずにいると、まるで計っていたかのように扉がたたかれ、兄さんが顔を見せた。

ボクらの様子を見て苦笑する。

「人を寄こすから待っていてくれ」

 兄さんが部屋をでていくと間もなくメイドが部屋へとやってきてルーティを丁寧に抱きあげてくれる。

「ラビリント様が応接室でお待ちです」

 微笑しながらの伝言に救われた気分だよ。

 礼を伝え、ルーティのことは彼女に任せる。

 応接室には彼だけでなくフェトリーザ様もいらした。ちょうどよかったかも。ボクもルーティのことでふたりに聞きたいと思っていたからね。

 待機している使用人をさがらせ、ボクは三人分のお茶を用意する。

「ありがとう。君のいれてくれたお茶を飲むのは久しぶりだね」

「申し訳ございません。本来なら私がおもてなしをしなければいけませんのに」

 兄さんは懐かしそうに、彼女は恐縮した様子で声をかけてくる。

「どうかお気になさらず。ボクはこうして自分で動くほうが慣れていますから。むしろ戻ってきてから慣れていないことの連続で、ようやく一息つけた思いです」

 フェトリーザ様を気遣ってというわけではなく、本心からそう言うと、テーブルを挟んで二人の向かい側のソファーに腰をおろす。

「今の君に、貴族の生活に戻せと言っても無理かもしれないねえ」

「無理だと思います。礼儀作法は辛うじて憶えていますが、生活を人に任せることができません」

 苦笑に苦笑をもって応える。ボクたちのやりとりを、フェトリーザ様は珍しそうに、けれどどことなく微笑ましそうに見ている。

「さて。なにから話したものかな」

 兄さんが珍しく言いよどむ。フェトリーザ様も緊張した面持ちで、ギュッと拳を握りしめている。

「兄さん。申し訳ないとは思ったのですが、ルーティの魔力の流れ、調べさせていただきました」

 機先を制する言葉に、兄さんは一瞬目を見ひらいたがすぐにうなずく。

「ああ。例の魔力の糸だね」

 直接見せたり説明したことはないけれど、魔法武闘会でのことは耳には入っているのだろう。兄さんなら断片的な情報でもボクがどういったことをやったのか、またどんなことができるのかを推測して、限りなく正解に近い答えをだしているにちがいない。そういう人だ。

 フェトリーザ様も驚いている様子を見せていないということは、兄さんの推論を事前に聞いているんだね。余計な説明をはぶけて助かるよ。

 ふたりにルーティの魔力の流れを魔糸で調べたうえでの考察も含め、彼女とのやり取りを伝えた。彼女の本当の願いも含めて。

 フェトリーザ様が両手で自身の口を塞ぎ涙を流す。そんな彼女を兄さんは抱き寄せる。

「ありがとう。トリス」

 心なしか兄の声も震えているようだ。

「彼女の望むような答えは、なにひとつだしてあげられませんでした」

「いいえ!」

 思いもがけない強い否定の言葉が飛んでくる。

「あのの……ルーティの心にしまい続けていた気持ちを聞いてくださいました。それだけではございません。わたくしたちでは、与えてあげることのできなかった言葉を与えてくださいました」

 兄さんが涙のとまらぬフェトリーザ様の興奮を抑えるかのように、彼女の背中をさする。

「私たちでは距離が近すぎるからね。心配をかけまいと自身の不遇について自ら語るようなことはしない。優しい子だよ」

 それにしてもと言葉を続ける。

「子供というのは、親が思っている以上に親のことを見ているものだね」

 紅茶に口をつけ喉をうるおし、眉をひそめる。

「トリス。まさかとは思うけれど、ルーティのためにとどまらず旅を続けようとしていることを申し訳ないなどと思っていたりはしないよね?」

 兄さんばかりでなく、フェトリーザ様までが呆れたように口をあけてボクに視線をむけてくる。

 あれ、顔に出てた? ひょっとして。

「ああ、うん。君らしいと言えば君らしいけれど。さすがにそれは背負いすぎだ。私たち親の役目を奪ってもらっては困る」

 兄さんの言葉をうけるように、これまで彼にすがるようにしていた彼女が、姿勢を正しボクにむきなおる。

「トリストファー様」

「は、はい」

「わたくし、ルーティを自分自身との境遇との闘いに負けぬよう、強く育て見守り続けることが、ラブリース家への恩返しと思っております」

「恩……返し?」

 フェトリーザ様はうなずき言葉を続ける。

「あの娘の生まれたさきが、もしも私の実家であるシュラーク伯爵家であったなら、世間に知られぬよう、屋敷の中に閉じこめれていたことでしょう。いいえ。おそらくは赤子のときに処分されていたと思います。家の恥として」

 ありえない話じゃない。この魔導王国の貴族ならば。

「ですがラブリース家では、ラビリント様もお義父様も、使用人のみなも、あの娘に惜しみない愛情を注いでくれております。それなのに私の不安は消えなかった」

 フェトリーザ様の視線がテーブルに落ちる。

「昨年、ディノを産んだとき、わたくしの中にあったのは、後継ぎを産めた喜びよりも恐怖でした。これで娘は用無しになってしまうと」

 顔をあげた彼女の瞳に強い意志が満ちていた。父さんや兄さんに匹敵するような威厳までも。

「でもそうはなりませんでした。あの娘の立場も境遇も決して喜ばしいモノではありません。それにも関わらず、だれひとりとしてあの娘をないがしろにするような人がでなかった。わたくしは安堵するとともに、これまでの自分の言動がいかに恥ずかしく恐ろしいモノであったかを知ったのです。まさにお昼にパトリベータ様が仰ったとおり。自分の大事な存在が同じ境遇にたって初めて、わたくしがトリストファー様にむけていた感情が、とても恐ろしく醜いモノであったことに気づかされました」

 そうか。フェトリーザ様に再会した時、亡くなった母の肖像画と重ねてしまったのはそういうことか。

 彼女はもう貴族のお嬢様ではなくなっていたんだね。

 彼女は母親・・だ。

「あの娘が、いつかわたくしが持っていたような悪意にさらされたとき、トリストファー様のように決して折れず立ちむかっていけるように、トリストファー様からいただいた言葉を胸に前をむいて、いつかわたくしのためではなく、あの娘自身の夢を見つけ掴めるように支えていきたい。それがみな様からの愛に応える、わたくしにできることだと思っております」

 兄さんが微笑んでる。ああ、そうだった。この人は兄さんが選んだ人だものね。

「この街に戻ってきた時には、またルーティの元気な姿が見れそうですね」

「はい。必ず」

 柔らかな笑みを見せた彼女は、とても力強く、とても美しかった。

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