ラブリース侯爵家(前編)

 世界の南東に位置しているスウェードエスト大陸。

 リュエル魔導王国は、この大陸の東部中央海岸地域から内陸中央部へと広がる、大陸でもっとも広大な土地を持つ国である。

 それゆえに、国王が全ての土地を直轄しているわけではない。

 土地を分割し、多くの貴族たちに代理統治をさせ、税をおさめさせる形での統治を行っている。

 統治を代理している貴族のほとんどは、統治している土地に本邸を構え、王都には、王城での役職のある者は別宅を、ない者は用事のある時にかぎり、王城の宿泊施設や、街の高級宿を利用する。

 ボクの実家であるラブリース侯爵家ぐらいだと思う。この逆なのは。

 そもそも管理を任されている土地が、それほど王都から離れていない。

 王都東側の草原を南に抜けたところにある農業地帯の一部がラブリース家の管理する土地となる。

 昨日、魔法魔術ギルドに行く前に、先輩とクロはオルバンが用意した馬車に乗って、その土地にあるラブリース家別邸へと向かった。

 明日にでも一度様子を見に行くつもり。オルバンが手配してくれている以上、快適に過ごしてもらえるとは思う。だから実際はふたりの世話をしてくれる使用人たちをねぎらいにいくことになるのかな。

「トリス様、ご実家に戻られるのは久しぶりなんですよね?」

 ボクとの間に姉さんを挟んで歩くマオが、興味津々といった様子で、ボクに尋ねてくる。

 魔導書作りの協力者を得てから一夜明け、ボクはラブリース侯爵家本邸へと、マオと姉さんを連れて向かっていた。

 姉さんはなぜか右腕でボクの、左腕でマオの腕をとり、終始ご機嫌な様子で歩いている。どうもカウティベリオ君だけでなく、彼女のことも気に入ったようだ。

 マオは昨日出会った直後こそ緊張している様子だったが、あれからなにやら二人で話をしているうちに打ちとけたらしく、いまでは自然に受けいれてくれている。これまでの姉さんの不遇を知っているだけに、カウティベリオ君や彼女のように自然体で接してくれる人がいると、ほっとするよ。

 話をもとに戻すけれど、オルバンとしては、昨日のうちに本邸に招くつもりだったみたい。でも姉さんがボクが滞在している間、自分も本邸に戻ると言い出したんだ。

 なんと言っても姉さんは侯爵令嬢。

 ギルドにいる間はギルド員として、一般の方とかわらない平服を着ているけれど、実家で過ごすとなると、使用人たちがそんな恰好をさせるわけにはいかない。どうしても準備がいる。

 そこで一日ずらし、姉さんを一緒につれてきてほしいと、オルバンに頼まれたんだよね。

「いや。実家には一年以上は足を踏み入れていない。学園での魔法武闘会以来、ボク自身は勘当されたつもりだったからね。もっともそうじゃなくても、父や兄への挨拶ぐらいしかするつもりはなかったのだけど」

「そうなんですか?」

 マオが不思議そうに首を傾げると、姉さんが口を開く。

「いまは兄様のご家族も住んでいらっしゃるから。フェトルさん、お兄様の奥方様ね。私たちのことあまり好きじゃないみたいだから。普段は遠慮してるの。でも今回はトリスちゃんと一緒にすごせる、数少ない機会だからね。ゆずるわけにはいかないわ!」

 ボクの腕を解放し、決意表明するように拳を高々とかかげ宣言する。

 姉さんが遠慮する数少ない相手だろうな。ああ、お義姉さんのことじゃない。兄さんの話。昔から姉さんがその魔力でなにか問題を起こすたびに、その後始末にかけまわっていたのは父さんではなく、兄さんだったから。それでも姉さんをしかることはなく、暖かい目でずっと見守ってくれている。ボクのこともね。

 父さんもそうだけれど、兄さんには頭があがらない。

 姉さんは自分が一緒に住んでいたら、お義姉さんが快く思わないと感じたんだろう。自分が原因で兄さんの夫婦仲が悪くなるようなことは避けたかったのだろう。兄さんがお義姉さんと結婚した七年前に、家をでてギルドの研究室に住むようになった。

 ただし実際にお義姉さんが嫌っているのは、ボクひとりだろうね。姉さんのことはおそれているだけだと思う。お義姉さんは良くも悪くも、典型的な魔導王国貴族令嬢といった感じの人。魔法と魔力重視。

 だからこそ姉さんの前では萎縮し、ボクの前では尊大になる。

 誤解のないように言っておくけれど、お義姉さんがとくに悪い人だと言っているわけじゃない。リュエル魔導王国では、それが普通だというだけのこと。特にこの王都ブルカンではね。

 その意味でも、冒険者ギルドで出会えたあの三人は貴重。幸運上昇魔法さまさまだよ。

「あの角を曲がれば、ウチの門が見えるのよ」

 姉さんがマオに両手でしがみつき、はしゃいだ声をあげる。なんだかんだ言っても久しぶりの実家は嬉しいらしい。実はボクもだ。

 オルバンに提案された時には抵抗があったけれど、いざこうして近づいてくると、胸の高揚が抑えられない。幼いころに育った家だからね。やっぱり嬉しいさ。

 姉さんがしめした角を曲がり、ラブリース家の大きな門が見えてきた。

 門の前で待機していたらしいオルバンが、目敏くボクらを見つけ深々と礼をする。

 ただその隣で、その顔に微笑みをたたえ、スカートのはしを摘みあげ優雅に会釈してくる人物を見た時には、驚きで足がとまりそうになった。

 先程話題にのぼったばかりの人物。兄嫁フェトリーザ・ラブリース、その人だったからだ。

「お久しぶりでございます。パトリベータ様、トリストファー様」

 ボクらが目の前までくると、結い上げた金色の髪を揺らし、フェトリーザ様が穏やかな口調で語りかけてきた。

 あれ? フェトリーザ様ってこんな柔らかい雰囲気の人だったっけ? ボクの記憶では、もっとこうピリピリしていたというか、ツンツンしていたというか、気位の高そうな人だったんだけど。本当に良くも悪くも、典型的なリュエル魔導王国貴族みたいな感じの。

 でもいまの彼女はまるで、屋敷の中に飾られているボクたち三兄弟のお母様の肖像画みたいな……って、なに考えてるんだろうボク。

「フェトルさん、おひさ~。なんだか前に比べて雰囲気優しくなったねー。前はもっとギスギスしてたのに。なにかイイことあった?」

 姉さん、直球すぎ! お願いだからもっと言葉選んで!

 フェトリーザ様は苦笑してるだけだけど、オルバンのこめかみがヒクヒクしてるから!

「返す言葉もございません。お二人がこの家にお帰りにならないようになってしまわれたのは、わたくしの態度のせいでございますよね? お詫びしてもしきれるものではありませんが、どうかお許しください」

 その瞳に申し訳なさをたたえ、フェトリーザ様は姉さんというよりも、主にボクに向かって頭をさげてくる。これには焦る。

「いえ! ボクが家に帰らなかったのは、自分のできることを探すのに夢中になっていただけですので! 最近はその……勘違いと言いますか、思い込みもあったので」

「私も違うよ~。いまは職場で寝ていられるの~。この家にいた時は、起きるたびに動きづらい服に着替えて、転移魔法で研究室にいって、また着替えて働かされて。でもね! いまは目が覚めたらそこが職場なのよ! そのまま部屋で寝ててもばれないの! 素敵でしょ?」

 それ以上はダメだ、姉さん。オルバンの全身が小刻みに震えだしている。空気を読めないのはわかっているから、せめてオルバンの様子に気づいて!

 いや無理か。姉さんだものね。ボクがなんとかするしかない。

 ボクはなんとか誤魔化せるような話題はないかと必死で考える。

 おそらくさまようように泳いでいただろうボクの目が、ひとつの小さな影をとらえる。フェトリーザ様に隠れるようにして、そのドレススカートにしっかりとしがみついている小さくてかわいらしい女の子。

「もしかしてその子、ルートルメールですか? 大きくなりましたね」

 ボクの言葉に、フェトリーザ様もほっとした様子で応えてくれる。

「ええ。もう5歳になりますの」

「たしか昨年男の子も……」

 フェトリーザ様の笑顔がますます深くなる。

 時期的に魔法武闘会の時期だから、一度も会ったことないし、名前も知らないのだけどね。でもそれは、フェトリーザ様がすぐに解決してくれた。

「はい。ディノセントと申します。よろしければ、あとで顔を見てやってくださいませね」

「もちろん喜んで」

 フェトリーザ様が嬉しそうにうなずき、彼女にしがみついている女の子の背中にふれる。

「ほらルーティ。御挨拶なさい。パトリベータ叔母様はわかるわね?」

 ルートルメールはコクンと頷き、一歩前に出る。

「パトベタおばたま、こにちは」

「パトベタおばたまでーす。ルーちゃん、こんちはー♪」

 消えいりそうな声に、姉さんが陽気に挨拶をかえすと、恥ずかしそうにはにかみ、またフェトリーザ様の後ろに隠れる。

「こら。おふたりにもですよ。一昨日にお父様がお話ししてくれた、あなたの叔父様トリストファー様とそのご友人のマオ・グロウリ様よ」

 ルートルメールは今度は身体を隠したまま、顔だけをひょっこりとのぞかせる。

「トリファおじたま、こにちは。マオグロたま、こにちは」

「こんにちは」

「こんにちは、ルーちゃん。マオでいいよ」

 マオは屈みこみ、小さな彼女の視線にあわせてあげる。するとルートルメールは破顔して彼女にむけて手をのばす。

「どうぞ手をとってやってくださいまし」

「はい。うわー、すっごくかわいい!」

 手を握ってもらったのがとても嬉しかったらしく、ルートルメールがぴょこんと飛び出してきた。その彼女を抱き留め、マオの柳眉が下がる。

「ささ。いつまでもここで立ち話というわけにも参りません。みなさま、どうぞ屋敷の中へ」

 機嫌をなおしたように見えるオルバンが、ボクたちをうながし屋敷の入り口へとむかう。全員が門を通過すると人差し指をピンとたて軽く左右に振る。すると門が重々しい音をたてて閉まっていく。懐かしいな、これ。ボク、ひとりで通過できないんだよ。もっとも門の前までくれば、使用人の誰かが開けてくれるんだけどさ。

 玄関へと向かう中、フェトリーザ様とマオにそれぞれ手を握ってもらってご満悦のルートルメールを見て、ボクは『おや?』と思う。なんだか歩き方がぎこちない。足を怪我しているのかな? いや、そんなのラブリース家がほっとくわけない。どうしたのだろう?

 ふってわいた疑問を解決する間もなく、ボクは約一年ぶりに実家へと足を踏み入れる。

 二階から見下ろせる形の、吹き抜けになっている広い玄関の間。

 足音など鳴りそうもないふかふかの絨毯。装飾品にあやどられた鮮やかな色彩の壁。ボクたちを出迎える、整列した使用人たち。なにもかもがなつかしく感じる。

「お帰りなさいませ、パトリベータ様。トリストファー様。ようこそお越しくださいましたマオ・グロウリ様」

 こんな出迎えには慣れていないのだろうマオが目を丸くしている。

 オルバンがメイドの一人に声をかけた。

「レアーレ、マオ様を居間へご案内するように。他の者は歓迎の準備を」

「わたくしとルーティも居間にご一緒いたしますわ」

 マオが一人だけ名前を呼ばれて不安そうな表情をみせると、すかさずフェトリーザ様があいだにはいってくれる。こんな気遣いのできる人だったんだ。うん。やっぱり初めてお会いしたときと違う。

「マオ様。よろしければ、ここまでの旅のお話などお聞かせいただけないでしょうか?」

「あー、旅ですか。なにか楽しい話、あったかなあ」

「トリストファー様との出会いのお話しでも結構ですのよ」

「それならいくらでも!」

 ……お願いだから変なこと言わないでね。

「坊ちゃま。旦那様が書斎にてお待ちです。書斎までモデストを同行させましょうか?」

 ひとりではいきにくいのではと考慮してくれたオルバンが、ボクもなじみの執事の名前をあげてくれる。

「いや、いいよ。一人でいく。みんな、マオのことよろしくね。マオ、あとでボクもいくから」

 使用人たちと彼女の返事をそれぞれ聞いていると、ボクの腕を掴んだままの姉さんが不思議そうに声をあげる。

「あれー? オルバン、私は~?」

 姉さんに名前を呼ばれたオルバンは、鬼気迫る笑顔で姉さんとむかいあう。流れるような滑らかな動きで、姉さんに白手袋をはめた手をのばしたかと思うと、姉さんの左耳の耳たぶをしっかりとつまむ。

「お説教です」

「うえ⁉ なんで⁉ なんで久しぶりに帰って来たとおもったら、イタイ、イタイ、イタイ!」

「問答無用です。お嬢様はラブリース家のレディーとしての自覚が足りません。こちらへいらっしゃい!」

「いーやー! トリスちゃん、助けてーっ!」

「無理です」

 きっぱりと言いきったボクからひきはがされ、つれていかれる姉さんを、苦笑しながら手を振って見送る。続いてすっかり仲良くなったマオとフェトリーザ様親子も、使用人たちに導かれて居間へとはいっていく。

 一人、玄関の間に残されたボクは、父の書斎がある二階へと続く階段を見つめる。大きく息を吐き、軽く吸いこむ。

 よし、行こうか!

 ボクは階段の一段目を力強くふみしめた。

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