オルバン・スミス

 ボクとアミナさんが、ボクらが利用している宿に到着すると、思いもがけない人物がボクを待っていた。

「お久しぶりでございます。トリス坊ちゃま」

 気品あふれる燕尾服姿の老紳士が、小箱をかかえ、その細くて長い体を折りまげ深々と頭を下げてくる。

 そのたたずまいから、ボクの実家の人間であることを悟ったのだろう彼女が、ボクの肩に手をおく。

「アタシは先にいってようか?」

 アミナさんの気遣いに、ラブリース家の執事長オルバンは、指でその白い口髭をピンと撫で上げ、彼女に如才ない笑顔をむける。

「お心遣い感謝いたします。ですが、わたくしめは我が主たるラブリース侯爵家当主プロメテア様の代理として、当家のお嬢様の不作法の被害にあわれました、当家次男トリストファー様のお連れの方への謝罪と、ご提案のためにまかりこしました。ゆえに、わたくしめもともに、そのかたのお泊りのお部屋にご同行させていただきたく思います」

 慇懃に口上を述べる彼にボクは正直戸惑う。

「オルバン、久しぶりだね。元気そうでなにより。だけどほら、ボクは勘当されている身だからね。そういった態度をとられても困るよ」

 眉をひそめたボクに対し、オルバンは首をかしげる。

「勘当……はて? なんのことでございましょう? わたくしども使用人は、そのようなことはご主人様よりお聞きしてはおりません。トリス坊ちゃまを家系から外されるようなお手続きは、いっさいなされておりませんな。家系図も含めたラブリース家の財産の管理を任されております、このオルバンの申すことでございますから間違いはございません。トリス坊ちゃまは、いまでもラブリース侯爵家のご次男でございます」

 どういう事?

「でも、あんな公の場で公言したら、父の立場上実行しないわけにいかないでしょう?」

 オルバンの笑みがさらに深くなる。

「この爺は、いつそのような言葉をトリス坊ちゃまがお聞きになったのか存じ上げませんが、聡明なお坊ちゃまのことです。その時のご主人様のお言葉を、一言一句たがえずに憶えていらっしゃるのではありませんか? そのお言葉は、本当に勘当を告げるモノでありましたでしょうか?」

 魔法武闘会で、ボクが優勝を決めてしまったときの父さんの言葉。

 薄々感じてはいたんだ。ボクは父さんに護られていたんじゃないかって。

 あのときは、魔糸を視認できない人が来賓客に多くてね。ボクが不正を働いていたのだろうとする声が、たくさんあがっていたんだよ。

 疑惑のある人間の優勝を認めるべきではないという気運が、嫌でも高まった。

 立場のある人ばっかりだったから、学園側も無視はできない。

 もっともボクは、魔糸の実験のつもりだったから、優勝を剥奪されても問題はなかったんだけど……嬉しかったわけではない。

 そんな人たちの意見をまとめるように、来賓客として招かれていた父が立ちあがって怒鳴ったんだ。

『魔法らしい魔法をいっさい使わずに、魔法の研鑽を重ねてきた学友を蹴散らすとは何事か! 我がラブリース家の恥である。他の方の要望があり次第、勘当処分といたす。そう心得よ!』

 魔力がほとんどないボクを、ラブリース家の者だと気づかなかった人たちも多く、父の叱責に観覧席にいた招待客はいっせいに静まる。

 当時はショックをうけたよ。

 厳しい人ではあったけれど、人の努力を否定するような人ではない。

 それがようやくたどりつけた技術を頭から否定する。 

 目の前がまっくらになった。

 表彰式のことはまったく憶えていない。優勝した喜びなんてまるで感じなかった。

 いま思えば、あのときの父の言葉がなければ、ボクは優勝を剥奪されていたことだろう。

 そうなっていれば学業にも影響がでて、卒業試験の筆記科目でトップをとることなんてできなかったかもしれない。

 招待客の中で、父以上の権力を持っていたのは陛下だけ。

 その陛下は魔力視認の魔法を使われていたみたいで、ボクのやっていたことに拍手を送ってくれていた。

 とにかくその場にいた二番目の権力者が、自ら叱りつけ罰を与える旨を公言した以上、重ねて文句を言ってくる人はいなかった。

 考えてみれば『他の方の要望があり次第』って、誰も言えないよね。

 あの時ボクのやったことを理解できなかった人たちの中に、国の魔法魔術大臣も務める侯爵に対し、お前の息子を勘当しろなんて言える人はいない。

「うん。ありがとう、オルバン。思い知ったよ。ボクはいまも昔も、父に護られているんだって」

 オルバンもしっかり事情知ってるみたいだしね。

 アミナさんが、がっくりと落ちた肩を、まるで心をほぐすかのように揉みしだいてくれる。

「よくわかんねえけど、お前はよくやってると思うよ。お前が頑張ってるのがわかってるから、およばない部分で助けてくれる人だってでてくるんだろ? このあいだクロに怒られたばかりじゃねえか。もう忘れたのか?」

 彼女の笑顔につられてボクもなんとか笑みをうかべる。

「さすがは冒険者のかたですな。言葉に重みがある。ささ、トリス坊ちゃま。気を取りなおしてお連れ様のもとへ、この爺めをお連れください」

 流れるような動きで、宿に入るようにしめしてくる。

 ボクは黙ってうなずき、二人を連れて先輩たちが待つ部屋へと戻る。

 それにしても、謝罪はともかく提案とはなんだろう?

 オルバンが抱えてる小箱に関係しているのかな?

 確認してみようと、こっそり魔糸を伸ばしてみるが、結界魔法でもかけられているのか、魔糸が上手く機能しない。魔糸も魔力だからね。魔力結界をはられるとどうしようもない。

 結局、父の思惑はわからないまま、扉をノックする

「トリスです。戻りました」

「お帰りなさい! どうぞ。鍵はかかっていないですよ」

 マオの明るい声にでむかえられ、部屋へとはいる。

 先輩は上体こそ起こしてはいたが、まだベッドの上。

 クロの依り代である魔力プレートは、ベッド横の棚に置かれていた。

「おう! お帰りトリス」

「お帰り、トリス君。アミナさんもお久しぶりです。えっと~、そちらの人もお久しぶり?」

 アミナさんが軽く手を上げて応えている横で、オルバンはニコニコしている。

「いえ。初対面ですよ。ラブリース家で執事長を務めているオルバンです」

 ボクの苦笑しながらの紹介に、オルバンが恭しく礼をする。

「お初におめにかかります。オルバンと申します。以後お見知りおきくださいませ」

「わわ。すごいお行儀の良い人だ! なんかトリス君みたい。え、えっとシャンティー・ビウスです! トリス君にはいつもお世話してもらってます!」

「おう! よろしくな、オルバン。クロでいいぜ」

「マオと言います。事情がありまして、トリス様の旅に同行させてもらっている者です」

 三者三様の挨拶をうけても、オルバンは微笑を崩すことなく、ゆったりとした動作で抱えていた小箱の蓋を開ける。

「皆様、よろしくお願いいたします。早速ではございますが、まずはこちらの品をお納めください。当家の長女パトリベータ様がご迷惑をおかけしてしまったことに対する、我が主からのお詫びの品でございます」

 そう言ってオルバンが箱からとりだしたのは、柔らかな魔灯の明かりを反射する、磨きあげられた銀色の腕輪だった。

「裏側の金具で締めつけを調整できます。邪魔にはならないと思いますが、利き腕ではない腕におつけください」

 ススッとベッド横に歩み寄ったオルバンに腕輪を渡された先輩は、左腕に言われた通りに腕輪を装着する。

「ほわ~。なんですかこれ? なんか重かった身体が嘘みたいに軽くなりました」

「なんだ、シィ。倒れて痩せたか」

 先輩が一瞬で、クロの顔を鷲掴みにする。

「うわー! ゴメン! やめろー、いた……あれ? 痛くない」

「あれ? いつものでない」

 顔面鷲掴み状態で、そろって首をかしげた。

「魔力結界ではなく、魔力霧散ですかね。もしかしてこの腕輪、散魔石さんませきでできてるんですか?」

 ボクがその結論にたっする前に、マオがそう口にする。

 散魔石というのは、魔力をよせつけない石だ。

 魔力結界との違いを簡単に説明すると、魔力結界は外から効果範囲の中に魔力が入って来るのを防ぐけど、それ自体も魔力を持っているし、最初からその結界の内側にある魔力にはなんら影響を及ぼさない。

 対して散魔石はそこに魔力があることを許さないという代物だ。

 魔力を普通に持っている人に持たせるだけで、魔力枯渇を起こす危険さえある。

 もっとも、その力には限界がある。

 あの腕輪の効力では、魔闘衣を邪魔をすることはできても、先輩に魔力枯渇を起こさせるほだの効力はないということだ。

「ほっ。おわかりになられますか。これはおみそれいたしました」

 オルバンがさも感心した様子で、豊かな口髭をピンとはねあげる。

「マオはラオブの魔術付与士の家の子なんだよ」


「おお、さようでございましたな。ラオブは魔鉱石で有名。散魔石も一部では採掘されると聞き及んでおります。さらにマオ様のご実家グノシィー家は、諸国同盟軍御用達の魔術付与職人を輩出したこともあるお家柄。お気づきになっても不思議ではございませんでしたな」

 ボクらのことは、ひと通り調べが終わっているみたいだね。

 ん? だとしたら先輩の出自なんかも、なにかわかっているのかな。

 ここまでの旅すがら、先輩から聞いてわかったことは、魔導王国の東の海に浮かぶ、精霊神の住まう島と呼ばれるカシマール島出身だということぐらいなんだよね。

「マオ様の仰る通り、その腕輪の素材は、魔力自体を散らす散魔石と呼ばれる物です。本来の使い方としては、締め金具に小型の錠を取り付け、装着させたものに魔法を使わせないようにするものでございますな」

「なるほど。これからの魔力からの影響を防ぐだけではなく、姉さんの魔力が体内に残っている可能性も考慮しての選択ですか」

 我が父ながら、複数の方面から物事をみる視野は呆れるしかない。

「左様でございます。もっとも体内に残っているぶんを浄化するだけで、あらたにお嬢様に接近されてはまったく意味がございません。そこで今度は、ご提案でございます」

 オルバンがボクに向き直り、白手袋をつけた人差し指をピシッと立てる。

「トリス坊ちゃまがこの王都でのご用事をお済ませになり旅立たれるときまで、シャンティー様には王都の近郊にございます、当家の別荘にて静養していただきたく存じます」

 突然の申し出に先輩が目を丸くする。

「トリス坊ちゃまの王都の滞在期間は存じあげてはおりませんが、これから長旅を続けるのであれば、この王都でそれなりの準備をされてからいかれるのがよろしかろうと存じます。ですがこの王都。トリス坊ちゃまも御存じのとおり、他の街に比べ高魔力の存在とはちあわせする可能性がはるかに高い。シャンティー様にとってみれば、決してすごしやすい環境ではございません」

 オルバンの言っていることは正しい。

 先輩が倒れてしまったのは、ボクの考えが甘かったせいもある。

 この街の高魔力の存在の多さに対する危機感が足りなかった。症状への思いこみもある。

 症状ときちんとむきあっていれば、先輩たちには別の街に滞在してもらうという選択肢だってあったはずなんだ。

 別行動は別行動で、とても不安があったのも事実だけど……。

 でもラブリース家が迎えてくれるなら、その不安はなくなる。

「先輩、ボクはそうしたほうがいいと思います。これからのことを考えると、王都の滞在期間が長引きそうなので。ラブリース家がこう申し出てくれている以上、別荘での高魔力対策もしてくれていると思います。ある程度ボクたちの情報も持っているようですから、食事の心配もいらないかと」

 ボクを見つめる先輩の瞳が不安げにゆれる。

「う~ん。トリス君がそういうならそうしようかなとは思うんだけど、ひとりはちょっと寂しいかも」

「安心しろ、シィ。俺が一緒に行ってやるからよ。いいだろ? トリス、オルバン」

 クロが顔を掴まれたまま、まかせろと胸をドンとたたく。

「そうだね。クロが一緒にいてくれるなら、ボクも安心かな」

「かしこまりました。もちろんけっこうでございます。明日のお昼ごろに、お迎えの馬車をこちらによこしますので、そちらをご利用くださいませ」

 にこやかに請けおうオルバンを確認し、ボクはマオに目を向ける。

「マオはどうする? 先輩と一緒に別荘で待っていてもらってもかまわ―――」

「おお! もう一つご提案がございまして」

 オルバンが大げさな声をあげてボクの言葉をさえぎる。

「つきましては、坊ちゃまたちは王都滞在の間、ラブリース本家でご滞在していただきたく存じます」

「ええーっ⁉」

 ボク自身も初めて聞くような頓狂な声が飛びだす。

 オルバンがほがらかに笑う。

「ホッホッホ。トリス坊ちゃまは相変わらずで、このオルバン。たいへん微笑ましく存じます。これからの旅に金銭がかかることを頭では理解していても、金銭で苦労するという経験が圧倒的に足りませんな。ろくな収入のあてもないうちから、こんなまともな宿にお泊りとは。このオルバン。驚きを通り越して、思わず微笑んでしまいましたぞ」

 うっ。言葉にすごい棘がある。

 で、でもほら、先輩急に倒れちゃったし、西門から近かったし、ボクひとりじゃないし……。

「昨晩、ラビリント様にお会いしたとうかがっておりますが、おふたりそろってシャンティー様の体調を崩される要因にばかり目をやり、いまのシャンティー様に必要な処置はなにか、これからどうすべきか、助けを求めるべき相手は誰か、これらをまったくお考えにならなかったとは。このオルバン。自分の不徳を心から嘆くばかりでございました」

 ポケットからハンカチをとりだし、わざとらしく目元を拭きはじめる。

 オルバンも相変わらずだね。

 寮生活をしていたボクのこともふくめ、ボクら兄弟を優しく見守ってくれていたけれど、注意すべきときは厳しく注意してくる。多少芝居がかってはいるけれど。

「でもね、オルバン。だからといって本家に行くのはちょっと……」

 なんとか抵抗を試みようとしたボクの頭を、これまで傍観に徹していたアミナさんが上からおさえつけてきた。

 おかげでボクは床とにらめっこをする羽目になる。

「冒険者なめんなよ、トリス」

 その声は静かながら、わずかばかりの怒りをふくんでいるように聞こえた。

「登録したばっかの駆け出しのEランクが受けれる依頼の報酬なんざ、たかがしれてる。いいかい。長旅を続けるんなら、節約できるところは節約するんだ。旅ってのは本当になにが起きるかわからない。ガーバートから王都までの、ある程度舗装されて警備隊が巡回をしているような道ですら、魔物も賊もでただろ?」

 でたね。先輩がいたから、脅威にならなかっただけで。

「シィがどんなに強くたって、今回のような場合だってある。怪我だってするかもしれない。いろんなところを歩いてまわれば、伝染病の危険だってあるしね。医者や薬はただじゃない。教会だって時にはお布施を求めてくる。金は汎用的に使えるんだ。冒険者ギルドを活用すれば、その国の貨幣に両替もできるからね。いざってときのために、残しておける時は残しておいた方がいいのさ。悪いことはいわない。信頼のできる相手が協力を申し出てくれているときは、素直にその好意に甘えな。先輩冒険者からの助言だよ」

 最後にパシリと軽く叩いて、アミナさんの手がボクの頭から離れる。

「わかりましたよ」

 ボクが不貞腐れたようにそう言うと、その様子が珍しかったのか、部屋に笑いの渦が巻きおこった。

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