帰郷と再会の章

パトリベータ・ラブリース(前編)

 あ~、やることがなくてヒマだわ。

 私、パトリベータ・ラブリースは魔法魔術ギルドに用意されている部屋で、やることがなくてゴロゴロしていた。

 もちろん石床の上でじゃない。ここの石床はひんやりとして心地良いけれど固いもの。実家から持ち込んだふっかふかのソファーの上でだ。

 おまけにトリスちゃんがこの街を離れる前に、泣いてせがんで作ってもらった本人特製トリスちゃん人形を抱きしめながら。

 渡してくれる時に、顔を真っ赤にしてたトリスちゃん、かわいかったなぁ~♪

 はぁ~、トリスちゃん。今ごろなにをしているのかしら。

 悪い女にだまされていなければいいけど。トリスちゃんかわいいから、女がほうっておくはずないもの!

 トリスちゃんを食いものにするような女がまとわりついてたらどうしよう!

 コンコン。

 うっさい。

 おまけにトリスちゃんてば優しいから、獣のような連中につきまとわれている危険もあるわ!

 ああ、いますぐガーバートにいってトリスちゃんを守ってあげたい!

 コンコン

 なによ、さっきからコンコンコンコンうるさいわね!

 私はかわかわいいトリスちゃんのことを考えるのにいそがしいのよ!

 トリスちゃん人形を置いて、ソファーから立ちあがると、扉に向かって左手を突き出し、弓を引くような体勢をとる。

「ただいま留守にしております。御用のかたは一週間前にお越しください。なおドア周辺は自動的に消滅します。荒ぶる風よ、大気に眠りし熱の因子よ、我のもとにつどえ。わが道をさえぎる数多あまたの障害を塵とかえ、はるか彼方へ吹き飛ばせ! フレ―――」

「ちょっと、ここら一帯吹き飛ばすつもり!」

 魔法を発動する直前。ドアが勢いよく開き、顔なじみのおばあちゃんがあわてた様子で飛び込んでくる。

 仕方ないので、右手で無詠唱により魔力吸収魔法を発動し、顔の前辺りに発動させた魔法の魔力を奪い、左手で超微弱の冷却魔法をこれまた無詠唱で発動し、生じた熱を瞬時に冷却する。

「エアちゃん、大げさよ。魔力なんてほんのちょっとしかこめなかったし、わざと詠唱したしー」

「あんたのほんのちょっとは、他の人間にとってのたくさんですらないの! しかもほとんどの魔法を無詠唱で使えるなんて、神がかりなのよ! いい加減理解しなさい! あと、ギルド内ではギルド長!」

「は~い」

 形式上とはいえ、ギルドに在籍している以上はエアちゃんの顔を立ててあげなくちゃね。ウフフ、私ってば考え方が大人の女よね~。

 だというのに、エアちゃんはなにが気にくわないのか、腰に手をあててため息をつく。

「はぁ~。その顔は絶対に理解していない顔ね。まぁいいわ。あなたに説教を始めたらきりがないもの。そんなことより仕事よ、仕事」

「仕事?」

 珍しい。

 魔法魔術ギルドに在籍してから七年経つけれど、与えられた仕事なんて数えるほどしかないもん。私が魔法魔術ギルドにいる意味は、象徴みたいなものだからね。 エアちゃんには普段から騒ぎを起こさなければ、王都内限定でなら自由にしていていいって言われてるし。

 ちょっと興味湧いてきた。退屈しのぎにはなるかもしれない。

「なになに。竜の群れでもでた? 魔界のゲートが出現して、悪魔の侵攻が始まったとか?」

 私の子供のような純粋な瞳を見て、エアちゃんが肩を落とす。

 ちょっと、さっきから少し失礼じゃない?

「あのね、国家レベルの災害を、庭掃除レベルのように口ずさむのやめてくれる。胃が痛くなるわ」

「庭掃除の方がたいへんじゃない。前に暇つぶしにやろうとしたら怒られたわ」

「庭ごと燃やしつくそうとしたり、洪水レベルの水かき集めて押し流そうとするからよ。それも、お菓子食べながら片手間で」

 今度は頭を抱えてその場にしゃがみ込んだ。

 大丈夫かしら?

 エアちゃん、いい歳だから心配だわ。

「……もういい。あなたはさっさと迎えにいってきなさい」

「迎え? それがお仕事?」

「そうよ。我が国の魔法生物国宝とも言える存在の命を救った大恩人様がね、お越しになるの。もう間もなく到着されるころだから、西門までお出迎えをしてあげてほしいのよ」

 うわ~。なんか面倒そうだ。

 私は侯爵家なうえ、魔法神の巫女なんて呼ばれてるからね。相手に誠意を見せるのには適した人選なんだろうけど、私にとっては迷惑な話でしかない。

 エアちゃんから顔をそらし、ソファーにダイブする。

「ごめんね、エアちゃん。私、トリスちゃんとの思い出にふけるのにいそがしいの。他の人にいってもらって」

 トリスちゃん人形のほっぺをつつきながら、やむにやまれぬ事情を説明する。

「あら、そうなの? 残念ね。それじゃあ、カウティベリオ君にいってもらおうかしら、仲が良いみたいだし」

 しゃがみこんだまま、意地の悪そうな笑みをむけてきた。

 ……おかしい。いつものエアちゃんなら「キィィィィ!」ってなるはずなのに。ところで、カウティベリオクンって誰?

「本当に残念だわ。感動の姉弟の再会をさせてあげられなくて。それじゃぁねぇ~♪ ごゆっくり~♪」

 なんだと⁉

 とってもにこやかに部屋を出ていこうとする彼女の不穏な言葉を問いただすため、転移魔法で扉の前にたちふさがる。

「あらあら、無駄に魔法使っちゃだめよ~」

「うっさいわね! いいから恩人の名前を教えなさいよ!」

 エアちゃんの笑みが深くなる。

「もう、しょうがないわね。トリス―――」

 私は再び転移魔法を無詠唱で発動させ、ギルドの敷地内にある倉庫に飛ぶ。

 そこに格納されている魔動車と名づけられた、前後に車輪のついた馬のような乗り物にまたがる。

 馬であれば、首にあたる位置に設置されている、動かす為の魔動核表面の魔方陣に、ありったけの魔力を注ぎ込む。

 急発進した魔動車の前輪を持ち上げて、倉庫の扉に叩きつけてぶち破る。

 庭でなにやら作業をしていた職員たちが、蜘蛛の子を散らすように私に道をゆずった。

 フフフ、運動不足の割には良い動きしてるじゃない♪

「トリスちゃん、待っててねぇ~♪」

 敷地から道路に飛びだす。ギルドは王都の大通りに面しているだけに、人通りがかなり多い。ここをフルスピードで走ったら、さすがに人を轢いちゃうわね。

 仕方ないので飛翔魔法を使い、魔動車ごと建物3階くらいの高さまで浮かすと、魔動車前方部の速度レバーを加速側に限界までまわす。

「ひゃっほー! トーリスちゃんが、トーリスちゃんがかーえってく~る~♪」

 馬の2倍はある速度で空を駆け抜け、西門へと向かう。

 正直自分で移動した方が早いのだが、コレ・・をトリスちゃんに見せてあげたいの。

 なんでも今年ギルドに入った、やたらと国の発展を叫ぶ新人ってのが試作したらしいんだけど、魔力消費が激しすぎて、私以外使えなかったのよね。

 トリスちゃんってば、こういう魔術具を調べたりするのも大好きだもの。きっと喜んでくれるわ!

 見えた! 西門!

 そして、そして!

 いままさに門をくぐりぬけ、集団の先頭でこの街に足をふみいれたのは!

「トーリースーちゃーん‼」

 私の声に気がついたトリスちゃんが、空を見上げ顔をほころばせる。

 髪のびたわね~。ああ、もう、かわいい!

 私は風魔法を使ってさらに加速し、私の到着をいまかいまかと待ちわびていたトリスちゃんの前に、後輪を滑らせるようにしてカッコよく魔動車を停車させる。

 その私の耳に飛びこんできたのは、トリスちゃんのかわいい『ただいま』の声ではなく、ドサリという、なにかが地面に落ちる音。

 驚いたトリスちゃんが、慌てた様子で後ろを振りかえる。

「先輩!」

「シィー、どうした⁉」

「シィーさん!」

 トリスちゃんの連れだと思われる大きな女の人が倒れていた。

 なんだか、痙攣けいれんしているようにも見える。

 な、なに? 病気⁉

 た、たいへん! とりあえず、治癒魔法を!

 私が女性に近づこうと一歩を踏み出すと、女性の身体が地面の上で、陸にあげられた魚のように大きく跳ねた。

 トリスちゃんが初めて見せる恐い顔で私を見る。

「それ以上、近づかないで! もっと離れて!」

 トリスちゃんのかわいらしくも厳しい声が、稲妻の如く、私の心を打ちくだく。

 うああ、トリスちゃんに、トリスちゃんに嫌われてしまった~!

 ……死にたい。

 トリスちゃんに拒絶された私は、転移魔法を即座に発動し、ギルドの自室に戻った。

 トリスちゃん人形をしっかりと抱きしめつつ、ソファーの上に突っ伏す。

 トリスちゃんの連れの女性になにが起きたのかはわからないけれど、なんとなく私の存在が、この無駄に多い魔力が迷惑をかけてしまった気はする。トリスちゃんに勝手に寄りついてきた女だったら別にかまわないのだけれど、あの人がトリスちゃんの想い人だったら取り返しがつかないわ!

 トリスちゃんの二人目の子供は私の養子に下さい大作戦が、発動前に潰えてしまう!

 駄目だ。良い想像がなにひとつ浮かばない。そのまま時間だけがすぎてゆく。

 私が最終的にたどりついた結論は……。

「死のう」

 ゴロリと仰向けになると、右手を天井に向けて、魔力を集中させる。

「はるかなる空に凛然とたたずむ星々よ。我の願いに応え、この穢れし大地に降りそそげ。愚かなる我に裁きの鉄槌をくだせ! メテオ―――」

「ストーップ! ストーップ! 自殺はもちろんダメだけど、他の人を巻きこむのもダメーッ!」

 あら? この声は……。

 私は左手に右手以上の魔力を込めて、天上に向かって突き出し、引き寄せつつあった隕石ちゃん達に無詠唱で斥力の魔法を行使し、はるか彼方にお帰りいただく。

「お兄様、お久しぶりです。相変わらずおいそがしいようでございますわね。あまりご無理はなされないでください」

 私は上体を起こし、黒光りする石床にポツンとたたずむ白ネズミに声をかける。

 断っておくけれど、私の兄弟にネズミはいない。超天才の兄と、超かわいい弟がいるだけだ。このネズミは、その超天才であるお兄様の召喚獣。

「ああ。ありがとう、パトリ。相変わらず書類仕事が多くてね。机から離れられないんだ。この子を介した会話で失礼するよ」

 優秀なお兄様は、陛下とお父様に、半ば押しつけられる形で宮廷魔術師師団長なんて面倒そうなお仕事をされている。

「それはまったく構いませんけれども、こんな急にどうなされたのですか?」

「うん。トリスにも、先程この子で会って来てね。事情を聞いて、君のことが心配になったんだよ。いやー、来てよかった。危うく大事な妹と世界を同時に失うところだったね」

 後半の言葉の意味は良く分からなかったけれど、どちらにしろ問題は前半だ。

「ト、ト、ト、トリスちゃんにお会いになったのですね。トリスちゃん、どれぐらい怒ってました? 死ね。このド腐れ美人お姉様がーって言ってましたか?」

 涙があふれだすのをとめられなかった。すると、お兄様ネズミがするすると私の頭までのぼって来て、私の頭を優しくなでる。

「落ち着きなさい、パトリ。トリスは怒っていないよ。ただ今回は、彼の友人に命の危険があるのではと判断をしたから、厳しい言い方になっただけ。明日、友達の症状が落ち着いたら、ここに会いに来ると言っていたから安心なさい」

「ホントですか⁉」

 思わぬ朗報に、私は頭の上のお兄様ネズミを鷲掴みにして顔の前に持ってくる。

「キュエ!」

「ちょっと、パトリ! 力を緩めて! この子は戦闘力皆無だからね!」

 小動物の悲鳴とお兄様の注意の声が重なって、私は慌ててお兄様ネズミを手の平の上にのせた。

「ごめんなさいね」

 お兄様ネズミを指先で軽くなでる。

 そう言えばトリスちゃんが言ってたっけ。

 下位の召喚獣は上位のモノと違って、魔力で具現化した姿を送ってくるのじゃなくて、普通にこちらの世界で活動しているモノが多いから、ほとんどのモノは実体そのもので使役されるって。

 ああ。我が弟ながら、なんて博識なのかしら!

 トリスちゃん、かわいい♪

「ああ、パトリ。たぶんトリスのことを考えているのだろうけど、そろそろこっちの世界に戻ってきてくれるかな。話の続きをしたいのだけれど」

「あら? お兄様、いつからそこに?」

「うん。ずっといたよ。君も相変わらずだね。トリスのこととなると、まわりが見えなくなるんだから。もっとも、そうやって君がトリスに惜しみない愛情をそそいでくれるから、私や父上も安心していられるのだけどね」

 なにを言っているのだろう? 姉が弟を愛でる当然の権利を行使しているだけなのだけれど?

「それでね。君からもシャンティーさん、その倒れたかたなんだが、彼女の倒れたときのことを聞きたくてね。トリスから、彼女が高魔力アレルギー体質というモノを持っていると聞いたのだが、なんだか釈然としなかったんだよ。彼女をあずかっていたのが大図書館のレゾ館長で、世話役を務めていたのがセニエ女史だというのも引っかかる。

 あのふたりは特定の人物への肩入れを避けていたはずなんだよ。人間社会で平穏に暮らすのが目的だからね。その事を考えると、今回トリスをうけいれてくれたのも、まるで彼女とひきあわせるためだったかのようにも思えてくるよ」

 うん。なにを言っているのか、さっぱりわからない。

 お兄様は超天才すぎて、私の頭ではついていけないのよね。

 考えても解からないことを考えても仕方ないので、とりあえず質問にだけ答えよう。

「私が魔動車で、こうズダダダダーッとカッコよくトリスちゃんの前に停まったら、いきなり倒れたんです」


 腕を魔動車に見立てて、そのときの華麗な停車技術をお兄様ネズミに見せてさしあげる。

 するとどうしたことか、お兄様ネズミは少しばかり首をかしげた。

「魔動車? 魔力で動く荷車かな? とにかく、君が近寄っただけで倒れたと。うん。トリスから聞いたことと大差ないね。ただ、これまでの症状はくしゃみや鼻水、涙がとまらなくなるというものだったらしい。突然倒れて痙攣まで起きたのは、初めてのことだそうだ。魔力の大きさでそうなったのか、それとも魔力の質の問題なのか。これはもしかしたら、私の予測が本当にあたっているかもしれないね」

 お兄様ネズミはうんうんと唸っていたが、しばらくして私の顔を見つめてくる。

「パトリ。お願いがある」

「あら、お兄様が私にお願いだなんて珍しいですわね。なんでも仰ってください。私にできることなら、なんでもさせて頂きますわ!」

 お兄様が私を頼ってくれるなんて、これまで一度もなかったもの。多少の無理はしなくちゃね!

「ありがとう。ギルドの地下に禁術書の保管庫があるね。明日ギルド長の許可をとって、人体に施す封印魔術関連の書物を調べてもらいたい。そして、そういった術が人体にどういった影響を及ぼすものなのかを調べてみて欲しいんだ」

「ほ、本で調べるのですか?」

 私、活字って苦手なのよね。魔法は実践で覚えたし、詠唱の文言もテキトーだし。

 うん。これは私には無理ね!

「トリスのためでもあるんだけどね?」

「いますぐ調べてきます!」

 私が立ちあがると、お兄様ネズミが声をたてて笑いだした。

「明日トリスが会いにいくと言ったろ? 君が疲れている顔を見せたら、トリスが心配するよ。今日はもう休んで、明日の朝から調べてくれればいい。あと、エアおば様の許可はちゃんととるんだよ? トリスのぶんもついでにね。彼なら今回の件、自分でも調べてみようとするはずだ」

「わかりましたわ。ご報告はどうしましょう?」

 一瞬トリスちゃんに心配してもらえるという誘惑にさそわれかけたけれど、明日トリスちゃんと保管庫デートをするという魅力のほうがまさり、私は素直に返事をする。

「明日の夜に、またこの子を使いに送るよ。その時にわかったことを教えてくれればいい」

「それじゃあ、おやすみ」と言葉を紡いで、お兄様ネズミは私の手から飛びおりると、扉の前で紙のように薄くなり、部屋からでていった。

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