レゾ・マクタバ(後編)
控えめなノック音が館長室に響く。
「館長。トリスです。お話があって参りました。お時間いただけないでしょうか」
やっと来たね。苦笑せずにはいられない。
イッ君達が王都へと帰ってから、今日でちょうど一週間。もっと早く来ると思っていたんだけれど、決断するまでにずいぶんかかったねぇ。
「いいよ。入っておいで」
私のたいへんほがらかな声に導かれ、トリス君が思いつめた表情で館長室にはいってくる。
うん。思っていた以上に重症だね。
おや、クロ君の姿が見えないね。てっきり一緒に来ると思っていたんだけれど。
彼には頼らずに、自分の意思と向き合おうということかな?
それだけトリス君にとって大事な決断をしたということなんだろうけど、でも大事な時だからこそ、友人に甘えてもいいんじゃないかと思うんだよねぇ~。そういう時に頼られない友達の、見ていることしか許されない相手の気持ちも考えなくっちゃ。今後のトリス君の課題かな。
「時間はあるからね。ゆっくりと話を聞くよ。どうぞ座って」
トリス君がソファーに座ると、いつもどおりふたり分の紅茶を入れて聞く体勢をとる。
「そういえば、トリス君が初めてここにきたときも、こんな感じでむかいあって座ったっけ。もう半年にもなるんだね~」
しみじみと語ると、トリス君の顔がますます苦しそうに歪んでしまった。
「あぁ、ごめんごめん。今日きてくれた理由はわかっているから、そんな顔しないで」
残念ながらその言葉では、彼の表情は晴れず、深々と頭をさげてくる。
「申し訳ありません。さんざんお世話になったというのに、半年しか勤めていないうちに、このようなお話をするのは大変心苦しいのですが……」
私から目はそらさずに、重いものを吐きだすようにきりだす。
ああ、トリス君だねぇ。優しくて、真面目で、そして不器用だ。
頭も良くて察しもいいから、こないだのイッ君の言葉が、私の差し金であることくらい気づいているだろうに、私なんかに恩みたいなものを感じて、夢に向かって進むことに罪悪感を覚えてしまっているんだろうねぇ。
……トリス君だねぇ。
おっといけない。にやけるところだった。
「トリス君。誤解のないように伝えておくけれど、私はこうなることを望んで、君をこの大図書館に誘ったんだからね。クロ君と出会ったことは予想外だし、こんなに早く立ち直ってくれたのも嬉しい誤算だけれど」
トリス君が頭をまた深くさげる。
ただ今度頭をあげた時には、迷いが晴れたのか、私の大好きなキラッキラッした若者の目になっていた。
最近、仕事しろって感じの、セニエ君の冷たい視線しか浴びてこなかったから、癒されるよ。ホント。
「旅に出たいと思います。魔道書を作るために、自分の夢を追うために、旅に出たいと思います。……司書の仕事を、やめさせてください」
「うん。半年間、お疲れ様……と言いたいところなんだけどね!」
「え?」という顔で、トリス君がこちらを見てくる。
まぁ、ここまでの話の流れだったら、そういう顔もしたくなるよね。
でも、これ大事なことだから言っとかないと!
「トリス君は大事な戦力だったからね。君が抜けたら残された人は大変になるわけだよ。わかるね?」
「は、はい」
「そこで、君が抜ける穴を埋めてって欲しいの。埋めるための私からのお願いを聞いてくれれば、もうどこに行っちゃってもいいから」
私のサバサバした様子に、トリス君の顔がますます困惑に染まっていった。
トリス君が私の執務室に決意表明をしに来てから三日後。
私達はそろって街の東門に来ていた。
「やっぱり、王都って美味しいものいっぱいあるのかなぁ~」
「シィー、お前ホント食べることばっかりだな。目的忘れるなよ。あくまでトリスの魔道書を作るための旅になるんだからな」
「もちろんわかってるよ~。楽しみだねぇ♪」
ハンマーも含めた大荷物を背負ったシャンティー君が、彼女の胸ポケットにおさまるクロ君に元気よく答える。
うん。全然わかってなさそうだね。
ふたりの様子を、トリス君は優しい眼差しで見守っている。
私がトリス君に出したお願い。これがその答え。
シャンティー君を魔導書作りの旅に連れていくこと。
トリス君がシャンティー君と仕事をするようになってから、大図書館の毎月の修繕費用が、なんと十分の一以下!
いまさらシャンティー君ひとりのこしていかれたら、また大損害だからね。連れてってもらわなきゃ。
表向きはトリス君の護衛として。まぁ、本当は先の理由も、四分の一は表向きなんだけどね。
それと同行者がもうひとり。
「ギャルドさん、親方。短い間でしたが本当にお世話になりました。館長さんも労働権の手続きなど、いろいろお世話になりました」
「いいの、いいの。たいしたことじゃないし」
「食い扶持に困ったらいつでも戻ってこい。お前なら大歓迎だ」
マオ君の言葉に、私と魔法道具専門店で技師頭が笑って答える。
「いいか、マオ。お前の制約はこの街だけのものだ。だがトリスの性格はわかっているな。迷惑をかけんじゃねぇぞ」
「はい。肝に銘じます」
ギャルド君の厳しい言葉に、彼女が神妙にうなずく。
そんなマオ君の頭に彼が手を乗せる。
「かたがついたら、母ちゃん連れて遊びにこい。ウチの二人も喜ぶからよ」
「はい。必ず」
ギャルド君の手が彼女からはなれたのを機に、トリス君が口をひらく。
「名残惜しいですが、そろそろ出発したいと思います。みなさん、短い間でしたが、本当にお世話になりました。他のかたがたにもよろしくお伝えください」
「うん。王都の人たちにもよろしくね。セニエ君からのお使いも頼まれていることだし」
王都の冒険者ギルドのへの書簡。トリス君たちが、まずは王都にむかうと聞いて、彼女が彼に預けたものだ。
セニエ君のことだから、きっとろくなものじゃないだろうけど、私はこの件はノータッチを決め込もう。
「ああ、それとご実家にはちゃんと顔を出すんだよ。お父様もご心配されているだろうからね」
「……わかりました」
トリス君は困ったように眉を寄せたが、うなずいてくれた。本当にあそこの家族は愛にあふれているくせに、みんな不器用なんだから。
「クロ、先輩、マオ。行きましょうか」
荷物の入った袋を肩から下げ、頭を下げると、私たちに背を向け歩きだす。クロ君を胸ポケットにいれたシャンティー君とマオくんがそれに続く。
この街にきたばかりのころは、三人そろって背中が小さく見えたものだったけれど、いつのまにかしっかりと大きくなったものだ。お互いの出会いが、よいモノであった証拠だろうね。
トリス君は決意を固めていることを示すように、振り返らず真っ直ぐに歩き、シャンティー君とマオ君は、何度も振りかえり手を振ってくる。クロ君もシャンティー君の胸ポケットから、ちぎれんばかりに手を振っていた。
私は手を振り返しながら思う。
若者が新たな目標に向かって歩いていく姿は、なんと眩しいことだろうかと。
千年以上も生きていると、本当にそう思う。
多くの魔法に関する知識や技術を探し続けるのなら、きっとまた彼らはこの街にも戻ってくることだろう。
そのとき彼らは、どれくらい大きな存在になって帰ってくるだろう?
その日を思い浮かべるだけで、わくわくがとまらない。
私は彼らが見えなくなるまで、全力で手を振りつづけた。
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