レゾ・マクタバ(前編)

 窓から差し込む日差しを楽しんでいると、扉を遠慮がちにノックする音がした。このノックの仕方はトリス君だね。どうやら待ち人を連れてきてくれたようだ。

「館長、トリスです。イストリア様をお連れいたしました」

「はーい。いいよ、入ってもらって」

 自然と声が弾んでしまう。

 トリス君が扉を開け、イッ君とカウ……なんたら君を引き連れ、執務室に入って来る。おや、動きが少しばかりぎこちないね。

「トリス君、昨日もいろいろあったみたいだけど、教会には行ってないの?」

「治癒魔法を使うほど重度の傷は負いませんでしたので」

 苦笑しつつそう答えてきた。うん。トリス君はちゃんと勉強している。

 教会で使われる治癒魔法は身体の治癒力を無理やりに高めて怪我を治すものだから、体にかかる負担が大きいんだよね。使った反動が疲労として身体に蓄積するわけだ。それこそ治癒魔法では治癒できないたぐいの症状をひきおこす原因ともなりかねない。人だと特にね。

 まぁ、それは置いておくとして。

「いや~、ようこそガーバートの大図書館へ。イストリア様、お初に・・・お目にかかります。この大図書館で館長をつとめさせていただいております、レゾ・マクタバと申します。以後お見知りおきを」

 慇懃に礼をして顔をあげると、イッ君が馬鹿みたいに口をポカンとあけていた。

 さすがに気がついたね。

 彼は相手の魔力を視認できるから、私の魔力の質に気がついたのだろう。

「いかがなさいましたか?」

「あ! いや、失礼いたしました。昔の知人に雰囲気がとても似ていらしたので。初めまして、レゾ・マクタバ様」

 えらい! ちゃんと名前を間違えずに言えたね。

「そんなレゾ・マクタバ様などと恐れおおい。どうぞお気軽にレッちゃんとお呼びください。私もイッ君と呼ばせていただきますので」

「お断りいたします」

 口調と視線がいきなり冷たくなったね。うん、変わっていないようで、なにより、なにより。

「……トリストファーさん、カウティベリオさん。申し訳ありませんが、館長と大事なお話があるのを思い出しました。先にクロたちのところへいっていただけますか?」

 そう来るか。

 ふふ、頼みたいこともあったから丁度いいかな。

「うんうん。閲覧室にはあとで私が案内するからね」

「はぁ、わかりました」

「イストリア様がそう仰られるなら」

 2人とも不思議そうな表情は浮かべていたものの、素直に館長室からでていってくれる。いい子たちだね。

 さて、廊下の護衛君たちに離れろとは言えないから……。

 セニエ君、館長室をいったん隔離してもらえる?

(防音だけでよろしいのでは?)

 ああ、そうだね。下手に異変を感じさせると面倒だし

(ええ。それくらいならば、彼ら程度なら誤魔化せるでしょう)

「気づかれてもその程度ならば、私がかけたことにしますよ」

「あれ? 聞こえちゃった」

「私に隠そうとしていないでしょう」

 イッ君が呆れたように言ってくる。まあそうなんだけどね。

「死んだと聞いたときの私の涙を返して頂きたい」

「へぇ~、泣いてくれたんだ」

「一応、友達でしたので」

「過去形⁉」

「いまここでこうしている理由をお聞かせいただければ、昇格する可能性はありますよ」

 まあ当然聞くよね。

 イッ君にソファーに座るようすすめ、お気に入りの紅茶をいれて彼に手渡すと、執務椅子に腰を下ろす。

「三十年前の騒ぎは知ってるよね?」

「あれには驚きました。まさか帝国との間で戦争を起こすとは」

 彼の言葉に顔をしかめた。

「好きでやったワケじゃないよ。組織が大きくなりすぎるとって……これも好きで大きくしたわけじゃないんだけど、困った子が増えちゃってね。双方の被害を最小限にとどめて、かつ将来的に少しでも争いを少なくする方法としては、私を死んだことにしちゃうのが一番手っ取り早かったんだよ」

「しかし、その魔力量は……まさか捨てたのですか」

「ただ捨てちゃうと自然体系壊しかねないから、正確には魔封石に封印して、幻獣神様に預かってもらってるんだけどね。だからいまの私には、生き続けるだけの魔力しか残っていないよ。それでもお目付け役はつけられたけどね♪」

 とりあえずは納得してくれたようで、大きくうなずく。

「なるほど。彼女がそのお目付け役ですか。それはそうと、どうしてここに?」

「私を倒したことにしてくれた友達の冒険者……ファロス君のことも知ってるよね?」

「ええ。どうやらこの街で警備隊長をされているようですね。それにも驚きました」

「うん。私の大事な飲み友達だからね。彼のツテで、魔導王国の先代を紹介してもらってさ。この国に住まわせてもらえることになったわけ。いまの王もたいしたものだけど、先代もできたお人だったよ。まだ若かったのに……」

 先代国王のことを思いだすと、目頭が熱くなってくる。

 私も歳をとったかな。

「それではあざむいて、というわけではないのですね」

「もちろん。そうでなければ正体がばれる可能性が一番高いこの国にいたりはしないよ」

 私がそう言うと、ようやくイッ君がクスリと笑ってくれた。

「そうですね。この国は魔法技術の実力者ばかりですから」

「そういうこと。ある程度の身分や立場の人たちは、私のことを承知で仲良くしてくれているよ。トリス君のお父さんとかエアちゃんとか」

 本当にこの国には感謝しかない。

「だいたいのお話しはわかりました。もともと人間好きのアナタしたから、心配することもありませんでしたね」

「私がトリス君やクロ君に何かすると思ったわけ?」

「知らない時間があるのだから仕方ないでしょう。それより、クロが元気に働いている姿を見たいので、そろそろ閲覧室に案内していただいても?」

 立ち上がりかけたイッ君を、私は手をあげてとめる。

「ああ、うん。その前にひとつお願いを聞いてもらいたいんだよね。トリス君のことでさ」

 意外だったのか、彼が眉をひそめる。

「トリストファーさんの? どういうことでしょうか。彼のためになることであれば、協力はおしみませんが」

「もちろんトリス君のためだよ」

 私は執務椅子をくるりと一回転させ言葉を続ける。

「彼、ここに来る前はさ、本人の体質のこともあって、元気がなかったんだよね。さっきも言ったけど、私、彼のお父さんともお友達でさ。子供の頃から彼のことを知っていたから、放っておけなくて。新たにやりたいことを見つける力になれればと思ってここにさそったんだけど、君のお友達のおかげで状況が変わってね」

 彼にも感謝しかない。

 トリス君ばかりか、シャンティー君の心まで救ってくれている。

 私の気持ちを察したのか、イッ君も柔らかい笑みを見せた。

「ふふ、ふたりは本当によい関係のようですね。私としてもありがたい。それで? 私は彼のためになにをすればよいのですか、元魔王・・・様」

 興味深そうに目を輝かせ、身を乗り出し尋ねてきた。

 私とイッ君の密談から二日後。

 彼らクロ君調査団が帰還するときがやってくる。

「イス兄、気をつけて帰れよ。オレ、久しぶりに会えてすっごく嬉しかったぞ。イヒ♪」

 クロ君がトリス君の胸ポケットから笑顔を見せる。

「ええ。ありがとう、クロ。私もですよ。あなたが元気にしている姿を、この目で見ることができて、本当によかったです。トリストファーさんとシャンティーさんには、心から感謝しなければなりませんね」

 そう言って彼は、私たちのはるか後方で、手をぶんぶんと大きく振っているシャンティー君に、深く頭をさげる。

 一昨日、大図書館でクロ君が元気に働いている姿を堪能したイッ君は、予定を早め、本日王都への帰路につくこととなった。見送りは私たち4人だけ。なにか因縁があったらしいマオ君とは、昨日のうちにお別れを済ませたらしい。

 本当は昨日の内に出立しようと考えていたようだけれど、この街の街長であるクニーガー君に、せめて夕食だけでもと誘われて断りきれなかったようだ。

 まぁクニーガー君からすれば、国賓とも言えるイッ君に対して、なんのおもてなしもせずに帰すなんて選択肢はなかっただろうから、しょうがないよね。

 一昨日の夜は私が主催しちゃったし。チャンスは昨日だけだったもの。

 頭をあげた彼がトリス君に視線を移す。

 お! いよいよかな? さあ、なんて切り出すのか。頼んどいてなんだけど、私がドキドキしてきちゃったよ。

「トリストファーさん」

「はい?」

 イッ君がそのまま馬車に乗りこむと思っていたのだろう。トリス君が頓狂な声で反応する。

「生き急ぎなさい。人の生は長いようで短い」

 唐突な言葉に、トリス君は戸惑う。

「クロから聞きましたが、あなたは魔導書をお書きになりたいそうですね。それもクロが住めるような魔導書を」

「は、はい」

「わかっていらっしゃるとは思いますが、あなた自身にクロが住めるような魔導書をつくれるような魔力はありません」

 言葉自体は冷たくぶった切るモノだったけれど、その声は言葉に反してとてもあたあたかさがこめられていた。クロ君も気がついたようだね。開きかけた口をすぐに閉じた。

「あなたが、クロのような魔法生物でも住めるような魔導書を作る方法は2つ。魔力を保存できる物質に、クロが住めるだけの魔力を他者に注ぎ込んでもらい本を作成する方法。もうひとつは、元々魔力の高い材質を使用し本を作成する方法」

 トリス君が真剣な表情で頷く。

「知識を集める。知識を文章としてまとめる。本を作る。これらの作業を順番にやっていては、貴方の寿命では間にあわないかもしれない。動きなさい。全ての作業を並行して行うのです。それは、この街で立ち止まっていてはできない。トリストファーさん、先ほど申し上げたふたつの方法のうち、ひとつ目はあまり現実的ではないことはわかりますね?」

「はい。魔力をためる性質を持つ材質は、鉱石がほとんどで本づくりにはむいていませんし、それらの物質は、同時に魔力を放出することができてしまいます」

 うんうん。つまりクロ君が住んだ後でも、本から魔力を取られちゃうかもしれないってことだね。

「そうです。二番目の方法を選ぶべきでしょう。魔力の強大な魔獣の皮や、多くの魔力を内包する植物を使う。あるいは両者を併用する」

「ほえー。なんだか大変そうだな」

 話に割りこんできたクロ君の頭を、イッ君が優しくなでる。

「ただの本ではありませんからね。ですが、それなりの厚みにはなるでしょうが、きちんと整理して書けば一冊、多くても作るのは二冊で済むでしょう。そもそもサイファーが魔導書を四冊も作ったのは、先に守護霊獣を四匹生み出してしまったからなんですよ」

 ああ、そうなんだ。確かに計画性とかなかったもんね、彼。

「ふーん。……あ! トリス、オレ良いこと思いついた!」

 彼が嫌な予感しかしないといった顔でクロ君を見下ろす。

「魔導書さ、中の紙を世界樹で作って、表紙をドラゴンの皮にしようぜ」

「え⁉ なにその贅沢な魔導書!」

 顔を引きつらせるが、イッ君は手をたたいて喜ぶ。

「いいですね。世界樹はエルフの森を抜けたさき。私の住んでいる場所からも近い。案内なしでたどりつくのは不可能ともいえる場所でもあります。クロにもまた会うことができますし、僭越ながらその時は私が手助けをさせていただきましょう」

「え? あ、いや、その……」

 取り乱す彼をイッ君は軽く手をあげて制する。

「とりあえず材料をなににするかは保留するにしても、早く行動を起こすにこしたことはありません。もう一度言いますよ、トリストファーさん。生き急ぎなさい」

 静かだけれど力のある声に、トリス君の心は戸惑いながらもかたむいているように見える。この街を旅立つ選択に。

 もうひと押しただね。さあ、ここで私の出番だ。背中を押してあげるよ、トリス君!

「なにを偉そうに迷っている」

 満を持して口を開こうとした私の、機先を制するように言葉を発したのは、イッ君の後ろで大人しくしていたトリス君の学友である……なんだっけ? カウボーイ君?

 彼がつまらなさそうに言葉を続ける。

「お前は、いつからそんな迷うような権利を手に入れた? 迷うことが許されるのは、膨大な選択肢を有する私のような優秀な者だけだ。あんなにも目ざわりに動いていたヤツはどこへ行った? 無能なお前にできることは、みっともなく足掻くことだけだろうが」

 見開かれていた瞳が、いま、はっきりと輝きを帯び始める。

 私は役目を失ってしまった可哀想な口を、ポケットから取り出した飴を放りこむことで慰めた。

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